三国漢麗劇団物語(BL小説)第9話







 三国漢麗劇団。女人禁制の男の園。その中では、男同士の恋愛が許されている。団員同士が恋愛することで、より質の高い芝居ができる。そういう考えが昔からあるせいだ。そして、多感な思春期に男のみの世界に入ることは団員達にとって地獄にも似ていた。男達は自らの欲望の捌け口を同じ団員に向けることで精神の安定を図るのだった。

 それは、団員だけではなく彼らをまとめる劇団総監督の諸葛亮も同じだった。三国漢麗劇団の中で最も美しい容姿に声に、それはまるで幻の鳥、迦陵頻伽と揶揄されるほどの男、劉備の唇を貪り続けていた。互いの唇が赤く腫れていく。

 ガクッ。

 突然、劉備の体が耐えられず力の抜けた膝から崩れた。唇がやっと離れて二人の荒い呼吸音が倉庫の中に響く。その場にへたり込む劉備を諸葛亮はただただ見下ろしていた。息が整うまでしばらくそのままでいたが。

「服を脱ぎなさい」

 少し経ってから冷たく劉備に命令した。しかし劉備は無反応だ。その姿はまるで土下座のような姿勢だったので反応のないそんな彼を見下ろすだけで、諸葛亮はなぜか優越感に浸っていた。いくら迦陵頻伽だのなんだのと呼ばれていようが、所詮たかが団員の一人。総監督の自分のほうが立場は上だ。だのにいつも見下されているようだった。

 諸葛亮はエリート学校を卒業し、二十歳の時にスタッフとして劇団に入った。その時すでに入団していた劉備は十二歳。まだまだ下っ端の目立たない団員だった。諸葛亮もなかなか才能を発揮できないでいた。しかし劉備が十六歳になると姫という存在が生まれる。劉備こそが、姫として見出されたのだった。それから三年経ち、諸葛亮もやっと劇団スタッフの中でも重役を任されるようになると敏腕ぶりを発揮した。それからすぐに総監督となるが、劉備はすでに雲の上の存在だった。総監督のほうが当然偉いはずなのに劉備だけは手が届かない。そんな諸葛亮はある時姜維を自らスカウトしてきて劇団に入団させた。姜維は負けん気が強く、才能も素晴らしかった。いつしか姜維が劉備を超えないものかと密かに願うようになる。

 姜維は可愛らしい男だった。彼を愛することは容易だった。劉備を意識しながら姜維を愛した。どうしてそこまで劉備にこだわるのかわからない。だが、この劇団内全体が劉備を特別視していたのは事実だ。やはり姫であることが大きかったが、劉備という男はあまりにも美しすぎた。完璧すぎた。

 劉備を取り巻く羨望と嫉妬。劉備の貞操を狙う者や命を狙う者は後を絶たず。それが当たり前な彼らの中に諸葛亮がいた。ただ、それだけだ。

 諸葛亮は今やっと劇団員達全ての中で初めて劉備を屈服させている。唯一勝った人物だと誇りにさえ思えた。

「服を脱ぎなさい」

 もう一度命令する。しかし、やはり反応がなかった。劉備はただ跪いたままで小刻みに震えている。すると諸葛亮もしゃがみ込んで劉備の顎に手を添えてクイッと顔を持ち上げた。劉備と諸葛亮の目線が合う。劉備の潤む瞳に諸葛亮は冷笑を浮かべた。

「自分で脱げないのなら私が脱がしてあげましょうか?」

 悪戯っぽく言う。それでも劉備は黙ったまま彼を見ている。

 ただ、ジッと見つめている。

 その時、一瞬だが諸葛亮はなぜかどうしようもない罪悪感を覚えた。不思議な感覚だった。どうしてだろうか。自分のほうが劣っているような。そんな感覚。こちらが勝っているはずなのに勝ったはずなのにどうしてこんなにも彼に見下されているのだろう。どんな姿になろうと劉備の高貴な匂いは消せなかった。何も言わず、何も反応せず、こうやって見つめられることで、諸葛亮は完全なる敗北感を味わっていたのだ。

 劉備の真っ直ぐな視線は明らかに諸葛亮を不安にさせた。勝ち誇った気持ちは一気に崩れる。悔しかった。幼稚な自分を諭されたようで。

「・・・・・・気分が失せました。行きなさい」

 諸葛亮は劉備を解放した。それでも反応しない劉備に居たたまれなくなった諸葛亮はそれ以上何も言わず自らが先に倉庫から出て行った。

 残された劉備は目を静かに閉じてからやっと胸をなで下ろす。劉備はしばらく淡い倉庫の灯りに照らされたまま動かなかった。


※※※


 月が雲に隠れたその夜は、外灯の灯りが普段より強く感じられた。劇団の敷地は広大だがそれぞれの建物も立派だ。レッスン場は全部で五つあり、全て密集している。さすがに寮は組ごとに離れていて同じ組の団員以外が行き来する自由はない。そして一般人も入れるのが劇場だ。劇場は全部で三つあり、それぞれの組が専用の劇場で演劇を披露する。敷地内には他に広い庭やサロン、売店や食堂もある。これらにはどの組の団員でも交流可能だ。

 この世界で三国漢麗劇団に入団することは何よりの自慢、誇りであり栄誉あるものであった。

 夜も外灯がたくさんあるため、それほど暗くはないレッスン場に伸びるその道を二つの影が歩いていた。すでに夜中の二時にもなるが、この敷地内ではよくあることだ。熱心な団員ほど、夜遅くまでレッスンをすることも珍しくはなかった。

「疲れたぁ」

「今回僕ら脇役ですけどね」

「そう言うなよ権~」

 背伸びをした勢いで愛しい弟を後ろから抱きしめたのは朱雀呉組の孫策だ。

「ちょっと兄さん!」

 照れながらも嬉しそうに頬を赤らめる孫権。

「俺がそのうち呉組トップになるからよ。お前は乙女トップになれよ?舞台の上で俺達の愛し合うところを観客に見せつけようぜ?」

「それ言うの何度目ですか」

 外灯で明るいとは言え夜道をいちゃつきながら寮へと帰る二人。静かに夜風が吹くと、夏なのに肌寒く感じ、どちらともなく手をつなぐ。

「ねぇ兄さん」

 しばらくそのまま歩いてから、突然孫権が足を止めた。そしてより兄に密着して前を警戒する。

「どうした?」

 つられて前方に目を凝らすと孫策は眉間にシワをよせてみせた。

 誰かが歩いてくる。こんな時間に自分達以外に稽古していた者がいたのかとすぐに察したが、しかし、何だか様子がおかしかった。前から歩いてくるその人物はズッズッと靴底を地面に擦るようにトボトボと力無く歩いていた。ちょうど外灯の光から離れた暗めのところにいたのでまるでお化けのような不気味さを二人は感じた。

 兄は思わず弟を守るように自分の後ろへ隠す。

 ズッズッ、ズッズッ。

 ゆっくりと灯りの下に現れたその不気味な人物は二人にとって意外な人間だった。

「あれ、劉備じゃねえか?」

「え?劉備??」

 孫権は孫策の肩越しから覗き見る。唖然とするそんな兄弟の横を、そう、劉備はトボトボとゆっくりゆっくり通り過ぎていく。まるで先ほどの余韻を引きずるかのように兄弟には目もくれず。そんな事情など知らない兄弟は劉備の憔悴しきった様子を見過ごさなかった。

 動いたのは兄、孫策。

「なぁ、アンタ、」

 劉備に近づき腕を掴んだ。劉備が足を止める。

「アンタさぁ」

 質問しかけて、なぜかやめた。彼の鋭い視線を孫策は見逃さなかったからだ。冷たく、凍りついた炎が瞳の奥に見えた気がしたのだ。切れ味の鋭いナイフのような例えるならそんな視線を。

「離してくれないか」

 劉備がか細く呟いた。ハッとして孫策は手を離す。すると、黙っていないのが弟だった。

「劉備、貴男何なんですか?周り振り回して楽しいですか?」

「おい、権」

「兄さんは黙ってて。貴男のせいで玄武蜀組の演目が公演延期になったのに、謝罪もしてないんじゃないですか?そもそも姫って何なのですか?自分に魅力があるとでも?それにしては取り巻き達もさっさと姜維に寝返りましたよね!笑えるんですけど!」

 一気に早口でまくし立てた。そんな孫権を困った顔で兄は見つめる。

「お、おい、権、言い過ぎだぞ」

 なんとか宥めようとするが孫権には完全に火がついてしまったようだ。孫策を押しのけ劉備の正面に歩みでた。

「貴男の存在がウンザリなんですよね。姫でなくなったのならさっさと劇団から去ればいい!なんなら、姜維ではなく僕にだって姫になれるはずなんだ!そもそも姫って何なんだよ!!」

 あまりにも興奮しすぎているせいか、孫権の言ってることはちぐはぐだ。どうにも調和のとれていない言葉をただ静かに聞いていた劉備は目を伏せた。彼の中で孫権のある言葉が引っかかっていた。

「・・・・・・姫になる覚悟があるならやればいい」

 目の前にいる孫権にさえ聞き取れないような声量で劉備は言葉を紡いでいく。

「姫になる意味も知らないくせに。姜維が私の代わりになるために覚悟した気持ちもわからないくせに。犠牲になることを、覚悟したその決意をわかろうともしないで・・・」

 ブツブツとたまに掠れながら言葉を発する。

「何?聞こえないんですけど!」

 イラつく孫権。そんな二人を交互に見る孫策はハラハラと落ち着かない。劉備のいつもは決して見せないただならぬ雰囲気もだし、それに噛み付く弟の命知らずさにも、このままでは何か事故が起きるのではと気が気ではなかった。そんな兄の心配もよそに、弟は劉備を睨みつけながら。

「貴男の時代は終わったんだ!」

 トドメとも言える言葉を発していた。

「権!!」

 孫策がそれまで以上に声を張り上げた。そして、慌てて劉備に視線を向けると。その時すでに顔を上げていた劉備。

「!?」

 孫権の表情が思わず強張った。劉備は、微笑んでいたのだ。目を伏せたままではあったが、その微笑みは全てを許した、それほど慈悲深いものに思えた。孫権はしかし恐怖を覚えた。そこで初めて、自分が言い過ぎたことに気付いたのだ。これほどまでに傷ついた相手の顔を、孫権もまして孫策でさえも見たことはなかった。

 劉備は微笑みの中で泣いていた。美しい。限りなく美しいその泣き顔。美しく儚げで、触れたらきっと壊れてしまうのではないか。脆すぎるガラス細工がそこにはあった。

 劉備はまた歩き出した。孫権を肩に掠めながら今度はしっかりと歩んでいく。何とも言えない空気が兄弟を取り巻いた。しばらく二人は震えが止まらなかった。

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