三国漢麗劇団物語(BL小説)第15話



十五

 静まり返った夜。鋭利な月が雲に見え隠れしながら空に浮かんでいる。そんな夜空の下で口付けを交わす二人の男。
「ん・・・・・・」 
月が、雲から顔を出すたびにそんな二人を見ているとも知らずに、まるで不安を相殺するかのようにお互い唇を貪っている。しばらくして、口付けを同じタイミングで止めてからぎゅっと抱きしめ合った。
「兄さん・・・・・・」 
相手の胸に顔を埋め不安を消そうとする男、孫権。
「そろそろ、舞台の練習に参加しないといけないな」 そう落ち着かせるように言ったのは孫策。すると孫権は孫策の背に回した腕に力を込めた。
「何で僕たち、またこの場所にいるんでしょう、兄さん」 
そこは、かつて二人が劉備と対峙した場所だった。外灯がぽつぽつとあるが、ほぼ真っ暗な周辺に浮き出た、あの時と何ら変わらない場所。劉備を傷付けて、しかし劉備に恐怖した場所だ。それから二人は寮の部屋に閉じこもり、外出できなくなり。それほどまでに劉備とまた鉢合わせすることから逃げようとしたのだ。しかし、あれから数日経っていた。二人は、またここにいる。
「・・・・・・二人で話し合ったじゃないか。後悔しないように、劉備に謝ろうって」
「・・・・・・だからって、またここで会えるかなんてわからないですよ」
「別の組の寮に行くことは規則違反だし、劉備は玄武蜀組のレッスン場には来てないと聞くし。俺たちにはサロンかここしか思い当たる場所はないだろう?」
「・・・・・・・・・」
「権・・・・・・」
 震える孫権を孫策は強く抱きしめた。 
そんな二人がハッとする。足音が微かに聞こえてきたのだ。劉備だろうか?と、二人は抱き合う腕を緩めて視線を向けた。しかし、その足音は一人だけのものではなく、多数の音が聞こえる。
「あれー?」 その足音たちが二人を見つけて灯りの下まで来て立ち止まった。
「アンタら何してんねん?」
 問うのは凌統だ。
「レッスンにも来ないから心配していたんですよ?」と、陸遜。その隣で険しい表情を浮かべているのは甘寧だ。そんな彼らを見て、軽くくっついたままで孫策と孫権は顔を見合わせる。
「どこか具合が悪いってわけじゃなさそうだな?じゃなきゃこんなところに二人揃って抱き合ってたりしねえもんな?」
 甘寧の鋭い指摘に孫策は俯き、孫権は視線を伏せた。
「それとも、レッスンを休まなきゃならないほどの大義名分があるのか?」 
そこまで問い詰められても、孫策たちは口を開かない。劉備を待っていたと言うのは簡単だ。だが、理由を聞かれて上手く答える自信はなかった。まして、劉備が怖くてレッスンを休みましたなんて言い訳にもならない気がした。そんな兄弟二人を見ながらふと何かを思いついた様子の、凌統。
「まさか、昨日の小火騒ぎと関係あるんか?」 
その言葉にポカンとする一同。
「小火騒ぎ?何の話だ」 
甘寧が首を傾げた。孫策と孫権も顔を上げて凌統を見つめる。
「あれ?知らんのん?昨日小火騒ぎがあったんやで。王朝の館で」
「王朝の館?確か、劇団の会長が住んでる建物ですか?」
「そそ」
 凌統と陸遜が言う『王朝の館』、それは劇団の敷地内の一番奥にある真っ白な建物のことだ。内外の者は皆、王朝の館と呼んでいる。そこには劇団の会長が住んでいると言われていた。つまり、劉協のいる場所だ。
「そんなの初めて聞いたぞ。ニュースにもなってないじゃねえか」
「当たり前やん甘寧ちゃん。あの謎の会長の住む建物のことが何で公になんの?」
「いや、だから何でそれをお前が知ってるんだって話だよ」
「凌統さんは情報通ですからね」
 答えたのは陸遜だった。そう、凌統は劇団内で情報網を常に張って情報を得ていることで朱雀呉組では有名な情報通なのだ。
「お前が情報通なのは把握してるが、あのトップシークレットの会長のことまで何で知ってるんだよ」と、もはや呆れ顔の甘寧。
「まぁ、それはいいじゃないですか」
「そそ。陸遜ちゃんの言うとおりやで!」
肝心なところが大ざっぱな陸遜を味方につけて、凌統は得意気だ。
「・・・・・・わかった。まぁ、いい。で、その小火騒ぎと、孫策たちがどう関わるんだ?」 
諦めて話を進める甘寧。
「いや、昨日のこの時間帯に小火騒ぎがあって、昨日の今日で孫策ちゃんたちがこんな所にいたっちゅうのが何か関係あるんやないかって思っただけ」
「つまり勘か?」
「そう。勘」
「・・・・・・・・・」
 甘寧は難しい顔をしながら孫策たちを見やった。しかし兄弟二人は甘寧と目を合わせるなり首を横に振る。
「俺たちは劉備を待ってただけだ」
「兄さん!」 
孫権が口止めしようとしたが遅すぎた。
「劉備を?」 
予想外の名前が出てきたので甘寧の顔が幾分か和らぐ。
「何故あの人に?しかもこんな時間にこんな場所で・・・・・・」 
陸遜がそこまで言うとまた兄弟たちは押し黙った。そんな妙な沈黙のあとに。
「おい、凌統、劉備の情報はないのか?」 
甘寧が仕方なさげに隣に目を向ける。まるで孫策たちを味方するかのように、深くは掘り下げることをしなかった。
「怒ってたんちゃうん?」
「うるせー。こいつらがレッスン熱心なのは知ってるつもりだ。こうなったら何か事情があるんだろ?」
「はいはい」 
甘寧と凌統のやり取りを見守る兄弟。
「劉備やったら、昨日医療施設に運ばれたらしいけど?」 
思わぬ情報に、一同驚く。
「だから、何でお前はそういう情報知ってんだよ!」
「いやん!甘寧ちゃん怖い!」
「誤魔化すな!」
「まぁ、運ばれた理由は知らんけどな。元気に走ってたらしいし、病気ではないと思うで?」
「・・・・・・だそうだ。孫策、孫権」
 凌統の様子に呆れながら、兄弟を見る甘寧。運ばれるほどの何かが起こったということだが、走ってたという言葉が引っかかった。兄弟は困惑しつつ、どうしようかと考える。
「あ、もう医療施設にはおらんと思うで。入院リストに名前はないからな」
「どこまで知ってんだよお前は。何でリストとかわかるんだ?いちいち誰が入院してるかなんて覚えてるのかよ」
言われて凌統はキョトンとした。
「いんや。そんなわけないやん甘寧ちゃん。劉備に関してはビックネームすぎたからつい覚えてたってだーけ!」
「そーかよ」 
イラつくのも馬鹿らしく思えた甘寧はそれ以上突っ込まなかった。
「じゃあ今どこにいるのかわからないのか」
 孫策が落胆する。
「たぶん寮に戻ってるんじゃないですか?急いで会う必要がないならまたサロンに顔を出した時にでもいいじゃないですか」
と、陸遜。すると孫策はなぜか安心したような顔をした。確かに急いではいないが、いざ劉備を目の前にしたときまた鋭い矢のような彼の視線に耐えられるかわからなかったし、謝って終わりだなどとは到底思えなかった。それほどまでにあの時の劉備は恐ろしく不気味だったのだ。何ともいい知れない恐怖そのものだったのだ。しかし、同じ気持ちかと思えた弟の孫権には別の気持ちが生まれていた。失意というのだろうか。感情が欠落したような。無性に何かを失ってしまった感覚。 孫権は思ったのだ。もう、二度と劉備に会うことはないのではないかと。未来なんてわからないが、何故だか劉備とは一生会えない、謝れない、そういう漠然とした感覚だけが彼を支配していた。
「夜も遅いし、もう寮に戻って休もうぜ。お前らも明日からはレッスン来れるんだろ?舞台の公演までそんなに時間はないんだぞ」
「権、また機会を作ろう」
 心ここにあらずなまま孫権は、兄の顔を見ることなくそうですねと呟いた。
※※※
 深い。深い深い、底なし沼に沈んでいくような感覚を劉備は感じていた。いつか、董卓に媚薬を嗅がされた時に似たような感覚。しかし、あの時と違うのはどこにも快楽は感じられないということ。ひたすら心も体も沈んでいく。ただ、深い闇に溶けていく。助けて。劉備は叫んだ。それが夢なのか現実なのかわからなかったが、確かにそこから抜け出そうともがいて見せる。助けて。やっと、やっと抜け出せた地獄にまた舞い戻る苦痛。しかし、姜維のあの姿を見て、やはり自分にしかこの役目は背負えない。誰も傷つくことはない世界のためには、自分が犠牲になるしかない。
 助けて。闇に沈みながら、叫ぶべきなのはその言葉じゃない。
 助けて。なのに、ついて出てくるその言葉。 誰か、誰か。 
もう、生き地獄しか、ないのか。
「劉備君、この劇団内に君の味方はどれだけいるんだろうね」
 公孫瓚の声が聞こえる。 そうだ。この世界には自分を妬む者ばかりだ。姜維も諸葛亮も孫権も公孫瓚も、きっと劇団員全てが劉備を妬み、恨み。そうだ。もうこの世界にいる意味はない。劉協に玩具にされるのも限界だ。 もう、ダメだ。もう、もう。
「頼むから、死ぬとか言わないでくれ」
 ───あれ?この声は誰だ?
「お前を失いたくない」
 そのは闇に沈む劉備の手をしっかり掴んだ。これは、光?闇の中に光が見える。劉備の闇の中に、ただ一筋の。
「俺が劉備を護る。俺がコイツの味方だ」
 嗚呼、この声は、優しい声だ。それが、姫というもののために、劉備のために、泣いてくれた男、曹操という光だった。
「曹操・・・・・・なぜ、貴方は・・・・・・」
「俺は曹操じゃねぇよ?お姫様」 
その、聞き慣れた乱れた声にハッとして目を開ける劉備。 
目の前には、醜く歪めた劉協の笑顔があった。
「会いたかったよ劉備。俺のたった一人の姫ぇ・・・・・・」

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