三国漢麗劇団物語(BL小説)第12話



十二



今から八年前のこと。まだ姫というものがいなかった頃だ。玄武蜀組の劉備と公孫瓚は幼いながらもその美しさで劇団内の人気を二分していた。

白い肌、赤い唇、大きな黒い瞳に長い睫毛。長い黒髪はサラサラと流れ、スラリとした高さの背に痩せ型の体。性格もお互いに控えめで穏やかで。まるで二人は一卵性の双子のような美しさだった。

しかし、二人には決定的な違いがあった。それは演技力に差がありすぎたことだ。

平凡以下の演技力しかなかった劉備に対して、公孫瓚は天才的だったのだ。美しいだけの劉備にとって周りから才能を評価され『白雪の君』と呼ばれていた公孫瓚はまさに手の届かない存在だった。


※※※


一瞬ずつ吹く乾いた風は、目の前の公孫賛の長い髪をふわりと舞い上がらせた。彼はそれを手で幾束か押さえてベンチに座る劉備を見下ろす。

どうしようもなく儚げな公孫瓚の笑顔。引きつらせる右頬の皮膚の爛れの痕を劉備は見つめた。

「恨んでないからね」

劉備が何か言うより先に彼がそう言った。透き通るようなその声が劉備の脳に直接響くような感覚をおぼえさせた。

「にしても、こうして話すのは八年ぶりだね」

「・・・・・・・・・」

「君が姫になってから周りにいつも関羽達がいたから近付けなかったからね。そもそも僕は白虎漢組だったから」

「公孫瓚、貴男は││」

劉備が何か言うため口を開くが公孫瓚は最後まで聞かず腰をかがめて劉備を抱きしめた。柔らかな花の匂いがふわっと香る。それがどちらのものかはわからなかったが、端から見るとまるで天使同士の清らかな抱擁のような美しい光景だった。

「ずっとこうしてあげたかった」

「・・・・・・公孫瓚、私は、貴男を救えたのか?」

「もちろんだよ。僕がこの火傷を負って、姫の座が空席になった。適役は君だけだったからね。なぜなら僕たちは似ていたから」

「歌声以外?」

「そうだね。天才の僕と、平凡以下の君と。知っていたよ。君が血のにじむような努力をして僕から姫を受け継いだこと。まさに刻苦勉励。君の苦労はよく知ってるんだ。僕のためにありがとう」

耳元で囁く彼の消えそうな存在を劉備は確かに感じ取った。しかし背中に回された腕にゆっくりと力を込められていくのがわかると心のどこかでひどく安心した。引き裂かれた二人の八年越しの意思の疎通。まさにそれだった。

「ねぇ、劉備君」

「なんだ公孫瓚?」

公孫瓚の睫毛が揺れた。

「殺してあげる」

その瞬間、夏の強い日差しが凍りついたのがわかった。ドクンと劉備の胸が大きく鳴る。劉備に意味を理解する間を与えず、公孫瓚は彼の背に回していた両腕を解きそのまま肩を伝ってその白い首を力いっぱいに絞めた。

「こ、公孫・・・・・・さ」

気管を強く絞められて上手く呼吸ができなくなる。そんな劉備が必死に空気を取り入れようとする口を公孫瓚が自らの口で塞いだ。首を絞められながらの口付けに快楽なんてものは当然ない。頭が真っ白になるくらい脳にバチバチとダイレクトな電流が流れるような感覚。劉備はすぐに酸欠に陥った。その異常な苦しみに死さえも覚悟する。すると公孫瓚の唇が微かに浮いた。

「君は僕のものなんだ││」

突然フッと時が止まった気がした。それからすぐに劉備の、苦しさで潤む視界からゆっくりと公孫瓚の姿が横に消えていった。まるで連写の1コマ1コマを見ているようだった。そして公孫瓚の姿が完全になくなると別の影が視界に入った。

「っっ!・・・・・・ゲホゲホゲホ!」

公孫瓚の手が首から離れ、急に気管に空気が流れ込み劉備は咳き込んだ。それと同時にひゅーひゅーと確かめるようになんとか息をする。何が起こったのか、それは公孫瓚と入れ違って現れた目の前の男が知っていた。

「劉備、大丈夫か?」

まだ咳き込んでいる劉備の顔を覗き込む男。劉備が霞む男の顔を確認した。

「そ・・・曹操・・・・・・?」

何とか名前を声に出す。するとその男、曹操が視線を公孫瓚に向けた。先ほど曹操に突き飛ばされた公孫瓚が立ち上がるところだった。

「・・・・・・何が悪い?」

公孫瓚の呟く声が劉備と曹操の耳になんとか入ってきた。

「双子だと揶揄されて、しかし平凡以下の才能しかなかった劉備は僕のためにここまで成長した。だったら劉備の気持ちは僕だけのものじゃないか。僕だけのものにして何が悪い?」

「貴様、何をブツブツ言っているんだ?」

土で汚れた服を軽く払いながら、公孫瓚は曹操にチラリと視線を向けた。それがあまりにも無機質な瞳だったので、曹操は内のどこかで自分さえも気付かないほどの小さな恐怖心を生みだした。それを悟ったかのように公孫瓚はまだ苦しみの余韻を残している劉備を見る。

「劉備君、この劇団内に君の味方はどれだけいるんだろうね。七年も姫だったんだ。この年月、特別扱いされ続けた君を妬み憎む人間がどれだけ生まれたか、君も知っているだろう?その獣たちが君に牙を剥き始めるのも時間の問題だよ」

言いながら微笑む彼の顔は、やはり儚げに見えた。口から出る言葉は残酷なものなのに、美しかった。しかし、それ故に不気味だった。無機質な瞳、表情とは裏腹な言葉。まるで人形が腹話術で話しているような、とにかく人間らしさは全く感じられない。

「俺がいる」

公孫瓚に向けて全身で嫌悪感を露わにさせる曹操が口を開いた。

「俺が劉備を護る。俺がコイツの味方だ」

サラリと言ってのける曹操に、そのまま微笑みを向けた公孫瓚。

「君は、劉備君のことが好きなんだね。僕のように」

「何を言っている?貴様はコイツを殺そうとしたじゃないか」

「愛しているからこそじゃないか」

「?」

「誰かに嬲り殺される前に綺麗なままで殺してあげて何が悪い?」

「・・・・・・貴様、狂ってるのか?」

「ふ、ふふ。僕は正気だよ」

言いながらしかし公孫瓚は右頬に手を伸ばすとガリガリと引っ掻き始めた。火傷の痕が赤く潰れて血が滲む。だが、その笑顔だけは変わらない。

「公孫瓚・・・・・・!」

そこへ劉備がまだ乱れた呼吸に構わず言葉を発した。

「私が、・・・貴男を変え・・・・・・たの・・・か?」

「いいや?変わってないよ劉備君。僕は何も変わってない」

「・・・・・・私は、・・・・・・貴男のためなら・・・・・・死ねる!」

その言葉に引っ掻く手を止めた公孫瓚。

「もう、生きてる・・・意味もわからな・・・いから、もう・・・何のために・・・・・・生き・・・・・・てるかわからないか・・・ら、だったら、貴男のため・・・に・・・今、死ぬ・・・・・・!」

言い終えて、また咳き込んだ。そんな劉備の予想外な言葉に曹操は焦った。

失うわけにはいかない。失うわけには!

慌てる曹操の視線が劉備と公孫賛を行ったり来たりする。その何度目かの往復で、公孫瓚の様子の変化を捉えた。笑顔が消えていたのだ。

「だ、ダメだよぉ?君がそんなこと言ったらダメだよぉ!君は最期まで高貴でなきゃ!僕だけが悪者でいいんだから!!僕だけがぁ!!」

頭を押さえてうずくまる彼に何が起こったのかわからない劉備と曹操が目を丸くして注目しているとやがて過呼吸を起こしだす公孫瓚。

曹操は慌てて携帯電話を取り出し劇団敷地内の医療施設に連絡してすぐに二人はそこへ運ばれた。昨夜姜維が運ばれたその施設へ。


──医療施設内。

横になる劉備のベッドの脇に曹操は立っていた。

劇団内にある医療施設は街にある普通の総合病院とさほど変わりはない。違いを言うならば、劇団内にある医療施設のほうが少し規模が小さい。中身はというと、総合医療が主だが中でも心療内科に力を入れている。どうしても怪我が多い劇団内では外科が主だってはいるが劇団員たちのメンタル面を支えるためカウンセリングを行う心療内科は必要不可欠だった。

公孫瓚も心療内科の方に連れて行かれたようだ。あの不安定な様子では仕方ない。劉備はというと、喉は一応診てもらったが特に異常はなく回復するまでそのまま医務室のベッドで休むことになった。

「・・・・・・劉備」

天井を見つめる劉備の様子を確かめるように曹操は声をかける。

「曹操、また貴男に助けられた・・・・・・」

「・・・・・・いや、構わない」

そんな短いやり取りをしてからしばらく、二人は何も言葉を発しなかった。すると胸の上のあたりに剥き出していた劉備の両手に曹操がそっと自分の手を重ねた。

「一度しか言わない」

「曹操?」

曹操はなるべく劉備を見ないように目を伏せながら。

「頼むから、死ぬとか言わないでくれ」

「・・・・・・・・・」

「お前を失いたくない」

「・・・・・・っ・・・」

劉備は曹操の言葉に込み上げるものがあった。不意に涙が溢れて目尻から流れ落ちる。たまらなく悲しかった。そして浅ましいと感じた。

この劇団に留まる理由、そして存在価値もなくなり、他の団員に妬まれる日々に死にたくてたまらない気持ちを、公孫瓚の所為にしようとした浅ましさが今の劉備の心を支配していた。公孫瓚の為に死ぬと言えば、人の所為にして死ぬと言えば、正当化される気がしたのだ。何が正当化されるのかはわからない。だが確かに劉備の中でその宣言は美談だと思えた。

悲劇のヒロインを演じるように、自身がただただ追い詰められて死ぬよりは誰かのために死ぬ。嗚呼、一瞬でも考えたソレは、まんまと計算されていて、なんと浅ましい。なんと卑しい。そんな心の内を知ってか知らずか曹操は心配してくれて。それがなんとも酷く悲しすぎた。

一方、曹操は曹操で上手く気持ちを伝えられない歯がゆさを感じていた。

好きだの愛してるだの簡単に言える性格ではなかったし、空気を察したからこそ今言うべきことを選別したのだ。しかし、曹操にとっては精一杯の告白でもあった。

劉備の反応を確認しようと伏せていた視線を彼の顔へと向ける。

「!」

劉備が泣いていたから一瞬動揺してから後悔した。彼が何故泣いているのか知る由もなかったのだが、明らかに自分の所為だと確信したからだ。悲しませたことへの後悔は計り知れない。いつかの情事でも曹操は劉備のことを深く深く想い、気遣い、愛した。それは溺愛そのものだった。読んで字のごとく、まさに溺れる愛。曹操は、どっぷりと劉備に溺れていた。

劉備の目尻を流れる涙を何度も確認して、曹操は彼の手をギュッと握りしめた。細くて長い劉備の指の柔らかな感触を一本一本感じながら、同時にそのか弱さを感じとった。二人の種類の違う悲しさと哀しさは平行線を辿ることになるのか、交わる気配はなさそうだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?