練武知真 第2話『強くなる為の武術』
武術の元々の目的は、そう、
「強くなる」
ことです。
外部からの脅威に対して、自分や大切な人や物を守る。
試合や勝負に勝ち、自尊心を満足させる。
修行により自らを向上させ、発展させる。
などなど、
武術を学ぶ動機や理由は様々であっても、
武術である限りは、まずは「強さ」を追及します。
かく言う僕も、自分の弱さを克服する為に武術を始めました。
いつ襲ってくるか分からない外敵に備えて、常に強くあろうとして、
自主トレから始まり、武道・武術の道へと入っていったのです。
身体を鍛え、技を練ることを日常生活に課し、
物理的に強くなることを常に目指していました。
しかし、大人になり、様々な経験を重ねてゆくうちに
「強さとは何だ?」
と時折考えるようになりました。
警察官や科学捜査研究所員としての20年の警察経験は、
殺伐とした、血なまぐさい世界をたくさん私に見せました。
それはしばしば「人を傷つけること」の意味を僕に考えさせることになります。
また科学捜査研究所勤務時代の終盤には、鑑定体制の悪化や組織への不満などの仕事のストレスから、精神のバランスを崩す経験もしました。
それは昨今の異常な自殺件数と相まって、僕にある考えを与えました。
人は・・・
他者から直接的に害されるよりも、
「取り巻く環境によって命まで害される」
ことの方が遥かに多い。
勿論、環境といっても、職場にしろ、学校にしろ、家族にしろ、何かのコミュニティーにしろ、他者が関わっているので、「他者に害される」と言えなくもないけれど・・・
物理的なものではなく、ジワジワと心身を蝕んでゆくような状況が人を死に追いやる。
武術を「護身」の術とするならば、
このようなケースでは、
その格闘テクニックで自分の身を守ることはできません。
そう考えると、「強さ」とは何だ?
いくら腕っぷしを鍛えても、日常社会に存在するこのような危機に対しては無力です。
物理的脅威に対して以外にも通用する「強さ」とは・・・
僕が考えるに、
それは「心の強さ」です。
何を当たり前のことを・・・と思うかも知れませんが、武術家である僕にとっては新鮮な気づきなのです。
武道には「心技体(しんぎたい)」という考えがあります。
武道で練り上げる3つの要素。
ココロとテクニックとボディ。
腕っぷしの強さにこだわり過ぎると、ボディとテクニックの向上に全集中しがちになります。
ココロの向上と言っても、自らを興奮状態にして、気持ち的に押し負けないようするだけ。
でも、そのようなココロの使い方は、日常生活ではあまり活用できません。
使ったところで、周囲や社会から離れてしまうだけです。
では長い人生の日常において活用できるココロの強さとは?
それは「自然体でいられる強さ」です。
怯えず、威張らず、虚勢を張らない
最も自分らしくいられる自然体。
このココロの状態を得るのは並大抵ではありません。
でも、この社会で本当に自分らしく生きようとするならば、
社会に潰されない「心の強さ」は必要不可欠です。
武術の表面的な「荒ぶる心」ではなく、
さらに深くにある「揺るがない心」。
これを求め育んでゆくこと。
それは「自分の人生を、自分の意志で歩む」道を支えてくれます。
2024年2月21日 小幡 良祐
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