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映画 ハウス・オブ・グッチ

“ソフィア・ローレン”はじめ世界のスーパーセレブたちが愛用したことでも有名な“GUCCI”の自伝的映画。

パトリツィア・レッジャーニをレディー・ガガ。

マウリツィオ・グッチをリドリー・スコット監督の盟友アダム・ドライバーが演じる。

ガガがとにかく美しくて醜い!

本作のジャレッド・レトはまさに道化。

モービウスと同一人物とは思えない(笑)

ポスターにはアカデミー賞の名がズラリと並ぶ。

これは実話に基づく物語。

監督・製作は“ホアキン・フェニックス”主演の新作“ナポレオン”が公開を控える“リドリー・スコット監督”

小学生の頃に“光栄(現在のコーエーテクモ)”のシミュレーションゲーム、“ランペルール”にどハマりしてからこの時代が大好きになった自分としては“ナポレオン”はめちゃくちゃ楽しみな作品。

日本の戦国時代も、幕末も、三国志も、項羽と劉邦の楚漢戦争も!

歴史のことはすべて、光栄が教えてくれたのです(笑)

GUCCIは1921年に“グッチオ・グッチ”がイタリア・フィレンツェで創業。

そこから紆余曲折、波乱万丈の歴史を刻みながら現在にいたる。

人が人である限り決して切り離すことはできない、欲望(野望)、そして嫉妬。

緩やかに、だが確実に崩れ落ちていく帝国。

“ディオール”のアトリエで誇りをもって働く職人たちを描いた映画“オートクチュール”は希望の物語だったが…。

アカデミー賞を受賞したこともある衣装デザイナー“ジャンティ・イェーツ”の感性にもじっくり触れてほしい“華やかで泥くさい”約2時間40分。

“手のひらの上で華やかに踊れ”

この作品を観ればGUCCIのイメージがガラリと変わること間違いなしだ。

緑に赤の“シェリーライン”が特に有名な世界的ハイブランド“GUCCI”、GUCCIの魅力は歴史と伝統、まさにレガシー…。

“ハウス・オブ・グッチ”、それは

“父と子とグッチ家の名において、誓う”

1978年、イタリア・ミラノから物語ははじまる。

“マウリツィオ・グッチ(アダム・ドライバー)”、彼は純粋で繊細なごく普通の青年。

“パトリツィア・レッジャーニ(レディー・ガガ)”、彼女はどこか“野生的”で“肉食”、スタイル抜群で社交的な美しい女性。

真逆の二人は知り合いのパーティーで出会い、情熱的な恋に落ちる。

“ロドルフォ・グッチ(ジェレミー・アイアンズ)”、マウリツィオの父で子沢山だった創業者グッチオ・グッチの5番目の息子。

彼は元俳優で端正なルックスを武器に一時代を築き、いまはGUCCIの経営を兄・アルドに任せて(意見を言ったり知り合いのセレブにグッチを紹介したりはする)美術品や映画、“過去の記憶と思い出”に囲まれて悠々自適な暮らしをしている。

“ファッショニストが最後は勝ち残る”

それが彼のGUCCIに対する思い、考え、信念だ。

父が遺した“GUCCIという遺産”の“酸いも甘い”も知る彼はマウリツィオとパトリツィアを不釣り合いだとして別れさせようとする。

この一件で“人生ではじめて”父親に反抗したマウリツィオは家を出てパトリツィアの実家の運送業を手伝いながら弁護士の資格を取得、二人は幸せな日々を過ごす。

この、二人の恋が物語のすべてのはじまり。

気弱で奥手で“ピュア”な青年はやがて、“自信”をつけていくにつれ“増長”していく。

周りから“金目当て”と思われていたパトリツィアは純粋にマウリツィオのことを愛していただけだった。

だが、やがて“野心”が彼女のなかに芽生え、彼女もまた、“増長”していく。

この“増長”が二人を醜く変え、奈落の底に突き落としていくのだ。

20世紀最大のハリウッド・レジェンド、“アル・パチーノ”が演じる“アルド・グッチ”

グッチオの3番目の息子でGUCCI帝国、GUCCI王朝ともいうべきグッチの一時代を築いた王。

彼はマグ、コーヒーカップなどファッション以外の雑貨小物にも力を入れ、日本市場にも注目。

日本語を勉強し、富士に宿泊施設を建てる計画を立案するなどグッチのために幅広く、精力的に活動した。

“グッチの定義は私、自分がグッチと言えばそれがグッチ”

それが彼のGUCCIに対する思い、考え、信念。

コピー商品は儲かると黙認したアルド、彼は息子の裏切りで王の座から引きずり下ろされてしまう。

“パオロ・グッチ(ジャレッド・レト)”

アルドの息子でデザイナー志望の彼は分かりやすく言葉を選ばずにいえば“バカ息子”だ。

周りの誰も彼のデザインや感性に興味はなく、興味があるのは彼が所有している“グッチの株”だけ。

この親子は金や権力は失うが、親子の絆、二人にとって本当に大切なものを見つける。

増長し、金と権力を手に入れたマウリツィオとパトリツィアは結局破滅、すべてを失うことになるのだ。

グッチとそれを取り巻く人々の欲望(野望)はイタリアから“アメリカ・NY”、そして世界へと羽ばたいていく。

欲望(野望)が増長するにつれ、情熱的だった二人はすれ違い、冷めていく。

欲望は人を醜く変えてしまう。

“魅力と奇抜さだけでは会社は経営できない”

プール付きの豪邸、城のような別荘、フェラーリ、ランボルギーニのスーパーカー・カウンタックなどマウリツィオは経費でやりたい放題。

スイスに逃亡した際に“人生ではじめての自由”を手にしたマウリツィオ。

“ラルフローレンは映画のセット、ヴェルサーチはロックコンサート、グッチはファッションのバチカン”

グッチのモカシンにカワサキ(KAWASAKI)のバイク、走り出した彼はもう、誰も止められない。

物語にははじまりと終わりがある。

ハウス・オブ・グッチ、それはまさに華麗なる一族だ。

同族経営の闇、恵まれすぎたがゆえに起きてしまった悲劇。

“グッチ一族はトスカーナ地方の領主、豪族。
彼らが戦うのは王冠や領土のためではなく、皮をめぐって争う。
支配する村、キアーナ峡谷、巨大な牛…”

勝者が歴史を作る、グッチ家の古い歴史がどこまで本当かは分からない。

確かなのは世界がまだ帝国主義の時代、GUCCI創業者のグッチオ・グッチは唯一無二の才能と強運を武器にイギリス・ロンドンのベルボーイから成り上がった人、誰よりも努力をした人だということだ。

“原価はなにも意味をもたない。
むしろ商品の値段が高ければ高いほどそれを所有することの価値も高くなる”

三流オペレッタと呼ばれ低迷、頭打ちのグッチを救ったのはグッチ発祥の地・イタリアの人間ではなくアメリカ・テキサス出身のトム・フォード。

いまは独立して映画監督デビューも果たしたあの“トム・フォード”だ。

個人的にはトム・フォードといえばサングラスなどアイウェアのイメージが強い。

“ドイツ人(ラガーフェルド)がフランスのシャネルに新しい風を吹かせたように、イタリアの老舗高級ブランドをアメリカ人が再生した”

資金面ではイラク資本の“インヴェストコープ”が介入。

インヴェストコープは84年にティファニーを買収して再生させた実績をもち、高級品ビジネスに意欲的な中東の投資ファンド。

“こんなに上等な肉ははじめてだ”

まさに外資に食われてしまう。

“踊り続けられたものが王の座に居座り続けることができる。
いや、踊らされているのは誰だ?”

クリエイティブなセンスはあったのか、経営者としては無能だったのか?

自身が招き入れた人々にグッチを追い出されたマウリツィオは1995年3月27日、凶弾によって倒れる。

彼に刺客を差し向けたのはなんとパトリツィア。

前半から中盤にかけての彼女は非常に美しく魅力的だが、後半は同一人物とは思えないほど醜く、モンスター化してしまう。

マウリツィオとの離婚後、彼と、そして“GUCCIの名”に執着する彼女は精神に異常をきたし、占い師(ジプシー)に傾倒してとんでもない罪を犯してしまう。

パトリツィアの実家で土埃にまみれながら暮らしていた頃の二人が一番美しく、幸せそうに見える。

現在はグッチ社にグッチ家の人間は一人もいないとか。

“私はグッチ、パトリツィア・グッチ。
それだけは絶対に譲らない”

現在74歳、彼女はミラノで暮らしている。

ちなみにパオロ・グッチの娘の名前はパトリツィア・グッチ(パトリツィア・レッジャーニとは別人)

デザイナーとして活躍する彼女はじめグッチ家の人々はこの作品を事実と違う、不快だと抗議。

トム・フォードは映画を観賞後、笑い飛ばした。

ハウス・オブ・グッチは原作ありきの商業映画でドキュメンタリー作品ではない。

最近は史実を基にした歴史もののイメージが強いリドリー・スコット監督だが、もともとは娯楽、商業映画の天才として名を馳せた監督。

事実を基にしているが、脚色、演出、監督独自の解釈、表現は当然含まれていると思って観るべき作品かも知れない。

映画、原作、声を上げた人たち、なにが正しいのかは分からないが、近年実際に起きた事件、人々の話なので賛否両論あったことは最後に付け加えておきます。

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