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2022.6.15診察記録【完】「性別違和」という違和を超えて

間が空いてしまいましたね。

会社もあたしも大きな転機が
立て続けにきまして、
格闘していました☺️

これもいつか書きます。

さて、
5/25に突然診断結果を告げられ
ポカンとしてから2週間。笑

あたしのこれからのために
解消すべき問いを整理していました。

6/15に受診して解消したので
一つずつ紹介していきます。


■この記事を書く目的

私はセクマイ当事者の一部ですが
何を考え
何に影響されているのかが
伝わればいいなって思います。


■あたし個人的な目的

これまでひとりで考え抜いてきた
「性自認」
と医師としての
「客観的判断認知」
を重ねれば

より、
他者への説得力が増す

あたしが、
自分自身に自信を持てる

自分は性的に何者か?
に決着をつけられる

これらが受診の目的です。


■ひとみんは性的に何者?

■生物学的性

染色体検査してないが
子どもがいる
→紛れもなく「男性」です。

■身体的特徴

ホルモン分泌と乳房は女性

初回の血液検査で確認してましたね。

血液検査の結果


■性自認

a.あたしの感覚

男性と女性が同居
両性〜不定性:流動的に動く

b.カウンセラー視点


客観的に観て
・カウンセリングを受けている
・身なりも女性として普通

はっきりは言えないが
女性よりの自認ではある。

一般男性として生きるには
なんらかの苦痛を感じている

とは言える。

c.医師の視点・補足

カウンセラー視点に加え

100%どちらの性ということはない。
どちらよりの性もあり得る。

ただ、
このあたりを理解している人は
ごく少数

■表現したい性と表現した性

表現したい性は女性


表現した性は男性

医師の発したこのキーワードは
結構核心でした。


就職前だったら?

表現したい性
→ずっと女性だった



そういう気持ちや欲求に気づけず
家族や周囲の期待を優先した結果
表現した性は男性だった。


この時代に「性別違和」という言葉や
概念はなかった。

ふつーかオカマ(ミスターレディ)
程度しか
片田舎の実家で目にできる基準
がなかった


今、いろいろ気づいて
表現したい性を表現している


こう理解すると
とても腑に落ちるのです。

さすが、精神科医

さすが、自分史を丹念に確認しただけある

と思いました。

誤解のないように書きます。

気づけなかった、と書きましたが

あたしの中に後悔はありません。

結果として短い時間だったけれど
親孝行もできました。

これは男性でなければできなかった
と自分でわかっています。


気づけなかったけれど
それでも、幸せな人生を送れたことに
感謝しています。

※遺言みたいになったけど、
 まだまだ生きるよ。笑


■性的指向と性自認は無関係

よく言われるのが

性的指向(好きになる性)が
オンナだったのだから
オトコでしょ

というステレオタイプな言葉。


医学的、精神学的視点では

性自認と
好きになる相手の生物学的性
の間には関係なし

とのこと。


MTFでもそれ以外でも
・好きにならない人もいれば
・特定の人を好きになる人もいる

性自認と好きになる人の性別は無関係
従属せず、独立した関係だということ。

ココからはひとみんのアタマの整理
そのための補足です。


そもそも、好きになる要素のうち
【性別】に関する優先順位って
これも人によりばらつくと思う。

あたしは、
性別以外の要素の方が格段に大きい

例えば

・会話の相性

・深いところまで知りたくなる人か
 (つまり、あたしが持ってないものを持ってるか)

・あたしをこのまま認めてくれるか

だから、

誰を好きになるか

ということと

あたしの性別が何者か、は

関係ない。

これがひとみん。



ということで
性的指向と性自認の組合せ
だけでも

性自認(♂、♀、どちらでもない、その中間)
×
性的指向(上記と同じ)

5×5=25パターン

もあるということ。

いつも思います。

パターン分けよりも
「その人」にフォーカス
しないと
理解が遠のく


いらない軋轢を生んでしまう。


確かに理解のための知識も大事だけど

目の前の大切な人を

そのまま受けとめる

ことの方が、よほど

その人を理解した

ということになると思うのです。


■性交渉と性自認も無関係


a.あたしの自認:興味あり〜不快

男性には興味あり
(就職・結婚してなければカラダ変えてた?)

女性には不快・得意でない・避けてきた


b.カウンセラー視点


女性に興味があったからといって、
善し悪しの判断材料ではない。


女性が好きだったからといって
性別違和がないこととは関係ない。

これも、あたしにとっては
核心でした!


どうしても、
聞かれた時に詰まってしまうのです。


そもそも、自分がどんな性かと
誰を好きになるのかは別モノなのに

植えつけられた

「あたりまえ」

に、自分を見失っていたようです、


c.医師の視点

そのとおり、
性交渉の指向と性自認は無関係
どの性自認でも、
どの指向もあり得る。



一般の人は
一緒くたに考えるのが普通


あたしの理解で良い


・性自認は性自認
・性指向は性指向



また悩んだら来るということで

診察終了




いかがだったでしょうか?

子どもの障害に対する見方もそうですが

意識しなければ
基本、自分の経験の延長線上
でしか、他人をとらえられない

と、改めて感じました。


とにかく、身の回りにサンプルがいない、

テレビなどに出てる人は
身近な人ではない。


ということで、

会社でカミングアウト

に、至った次第です。




■書いてみての気づき


結局、性に特に悩みを感じていない人は

・特に興味がない
・メジャーな話題について行ければいい
・考えるエネルギーをセーブしたい

よって

・多くの人が知っている人=普通の人として、パターン分けしてセーブ
・人は一人ひとり違うということをすっ飛ばして簡単に理解

ということが起きてるのかな?

このあたりは、
最近の会社での悲しい経験を
客観的に理解するためにも
役立ちそうです。


一方で


こうは書きましたが、当然、
性に悩みのないすべての人
に当てはまる訳でもなく

どこまで行っても

その人次第

という見方がとても大切だと思います。

あたしが悲しくなったのと同じような
色眼鏡な見方をしないよう


あたしも気をつけます☺️



ほにゃね✋☺️

また書きます。

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