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ぼくらの漂流記 Vol.3 ネバーランド

<プロローグ>
Vol.1に登場してくれた久保田貴大くんに紹介してもらったのは、北海道十勝郡浦幌町にて地域おこし協力隊として活動している古賀詠風さん。インタビューのキーワードは「子ども」。子どもたちへの浦幌町をあげた取り組みから見える地域の可能性、そして、日本各地で活躍するレジェンド達の話も出てきます。

古賀詠風さんの活動についてはこちら

——今北海道ですか?

古賀
北海道です。

——何か北海道と繋がってるって新鮮ですね。同じ日本だけど、ずっと遠い感じがする。

古賀
福島の久保田くんから、急に北海道ですもんね。

——というか、さっきから人の声がしますけど、今どこですか?

古賀
今、実は人の家にいて。

——そうなんですね。何か予定があったんですか?

古賀
もともと全然予定してなかったんですけど、今日突然ご飯会みたいなものに声かけてもらって。

——そんな時にすみません。

古賀
いやいや。最初こっちだったんで。

古賀詠風(こが・えいふう)
1996年北海道遠軽町生まれ。高校まで地元で過ごす。高校の担任との出会いが転機となり、北海道大学教育学部に進学。在学中、「カタリバ」という活動に関わるなど、学校教育だけでない教育のあり方に触れる。「教育」「地域」に興味を持つなかで、卒業後は「地域×教育」の実践をしている浦幌町の「うらほろスタイル」に地域おこし協力隊として参画。高校のない浦幌町で、中高生の探究学習の伴走等をおこなう。

1. 2,900%の町

——浦幌町ってどんな場所なんですか?

古賀
十勝の人口4,500人ぐらいの小さな町で、海に面しているんですよね。十勝って、結構山脈とか、広い平原みたいなイメージを持たれる方が多いんですけど、浦幌はそういう「十勝っぽさ」はあんまりなくて。
 海に面してるので産業的に漁業も、それから林業とか酪農業とかもあって、食料自給率が半端なく高いんです。
 何%だと思いますか?

——えっと、、、。そもそも日本の自給率もちゃんとわからないので、、、。

古賀
日本は30なんぼですね。

——ほうほう。でも高いってことはそれ以上だから、50%!

古賀
浦幌町の食料自給率は2,900%。

——はあ⁉︎そんな数字ありますか?

古賀
(笑)。なかなかバグってるなと僕も思うんですけど、人口が4,500人、その2,900%分の食料は賄っているっていうところで。
漁業だったら、タコ、ヒラメ、鮭、いくら、ほっき貝、つぶ貝があったりだとか、畑ならじゃがいも、小麦、玉ねぎとか、酪農も肉牛もやっていて。移住して1年で15kg太った人もいるくらいなんです。

——いやあ、羨ましいなあ。自然に恵まれてる場所なんですね。

古賀
浦幌は第一次産業が中心の町です。人口が少ないので、学校も少なくて、小中2校ずつしかない。高校も大学も専門学校もないっていう場所で、本当にちっちゃい町ですね。

——そこで育った中学生たちは卒業したらどこに行くんですか?

古賀
近くって言っても、片道40分くらいかかるんですけど、近隣の高校に通学したり、別の地域に下宿するとか、寮に住むとかしながら通っている子がいますね。高校がないので、中学卒業の時点でみんなそうなります。

2. 遠軽発浦幌行 その1

——古賀さんが生まれたのは遠軽町というところですが、どういうところなんですか?

古賀
遠軽は、浦幌よりもう少し大きい田舎で、2万人ぐらいの町で、高校が町に1校ある。ただ、マックとかはなくて、電車は3時間に1本しかない。そんな田舎町だったんですけど、当時いた時は結構閉鎖的だなと思ってましたね。
 大学で札幌に行った時に、教育学部で教育を学ぼうってなったりもしてて、結構地元での色々は大きかったですね。

——住んでいるのはずっと北海道なんですか?

古賀
そうですね。地元に18年、大学で札幌4年、今が浦幌3年目です。新卒ですぐに地域おこし協力隊としてこの町に来たので、ずっと北海道ですね。旅行とかで他の地域に行くことはもちろんありますけど。

——北海道にお住まいの人って北海道にずっといる人も多いんですか?

古賀
いや、バラバラですね。北海道でも、なんかこう「東京一極集中」って言われてるような感じで、札幌に行くっていう人が結構いますね。そっから東京っていうルートはあるかなと思います。

——みんなまずは札幌に。

古賀
そうですね。札幌は200万人都市くらいで、かなりの人口の多さなので。

——古賀さんは、札幌に行っても東京に行こうとかって思わなかったですか?

古賀
そうですね、札幌へも都会への憧れがあったから行ったわけじゃなかったので、東京に就職したいだとか、そういう生活がしたいな、みたいなのもあまりなかったかなっていう気はします。
 当時はやりたいことが無くて、やりたいことが無くても学べる、その先の進路を選択できるような大学に行きたいなと思って行った。それがたまたま札幌だった。
 今もそうですし、大学時代も東京に行こう、みたいな気持ちはなかったですね。ただ、道外に出た方がいいんじゃないか、というのはありました。特に大学の就職というか選択の時には。

——それはどうしてですか?

古賀
やっぱ、地元から札幌も3時間くらい離れてて、札幌からこの町も3時間、この町から地元も3時間離れてて。3時間って、他の都道府県だったら県外に行ける移動時間だと思うんですけど、こちらは、あくまで北海道っていうところは変わりはないので、文化とか、いろんな価値観とか考えると、もうちょっと外で経験積んだ方がいいのかな、という葛藤はありました。

——大学に入るまでは何かに熱中したりとかってなかったですか?

古賀
無かったですね。やりたいことが無くって、大学2年生の時に自分の学部を選択できる大学に通ったんですよね。なので大学1年はモラトリアムの延長でもないですけど、自分がどんなことしたいのかなっていうの考える期間に使おうと思ってたし、実際使ってました。

3. 金魚を飲み込む変な担任

——在学中に発見とか、こういうことやりたいなっていうものは見つかりましたか?

古賀
大学で都会に来て、改めて地元から離れて色々振り返ったりとか、何やりたいんだなって考えてる時に、自分の地元での経験がやっぱり大きいなと思って。
 中学校まではどっちかっていうと、萎縮してたんですけど、高校の担任の影響がすごい大きくて。その影響があり、なんかそういう人っていいな、という軽い感じで、教育学部を選択しました。

——その担任の人ってどういう人だったんですか?

古賀
金魚を飲み込むのが特技な人でした。

——ええっ!

古賀
教員をやりながら株で何千万と稼いでる人でした。

——いや、金魚が置いてけぼり、、、。

古賀
金魚を飲み込んでここ(喉)に溜め込んで、それを吐き出すのが得意で、それを女子生徒とかもいる前でやる男性教員だったんですけど(笑)。
 それは冗談として、いや、本当なんですけど、なんか、「自分で考えたことを選べ」っていうの3年間通してひたすら伝えてた先生で、その先生もそれを伝えるために、ピエロみたいな感じで当時振る舞ってたんだろうなと思ってるんです。
 実際すごい頭良いし、自分で選択をしている人で、センター試験理科系科目400点中397点みたいな。で、早稲田行って、教員になる前に銀行員になって、当時だったら安定してたって言われてただろう職務を辞めて、自分のやりたいことを選択して教員になって、というような人だったんです。そもそも教員ぽくない感じだったんですよね。振る舞いもそうですし、教育の場での振る舞いも、先生として関わるっていうよりは一個人として自分を表現したし、相手の事も個人として見てくれているような感じがあって、それはすごくいいなと思った。
 当時僕は、親が医療系なので、そのまんま専門学校とかでそういうのを学ぼう、ぐらいに思ってたんですけど、先生の影響を色々受けて、結局そういう進路に進学することになったりして。色々お世話なった方がいたので、それを振り返った時に、その経験というか、出会いが大きかったな、と思っていて。自分もそうなれればいいな、みたいな感じで教育学部を選んでいました。

——その先生とは親しかったんですか?

古賀
そうですね。高校卒業後に、一人だけ浪人した友達がいたんですけど、3ヶ月ぐらいかけて、その子の応援メッセージをクラス全員分集める、みたいなことを一緒にやってました。同級生は北海道内外も、大学進学とか就職で散り散りになってるんですけど、そういう人のところに直接行ったりだとか。

——へえー。

古賀
その先生は有給とか使いながらそれをしてて。それが終わった後にお疲れ会でご飯食べた時に、僕に起業しないかって誘ってくるような、本当に変な教員で。その話はその後何もなかったんだけど、とにかくよくしてもらいました。
 教員というのはあくまで手段であって、本人もそこにこだわりはなく、自分が楽しく進めるなら別にいい、みたいな哲学があって、すごく面白かったです。

4. 遠軽発浦幌行 その2

——大学で4年間学んで、その後就職で地域おこし協力隊。

古賀
はい。

——これはどういった経緯だったんですか?

古賀
教育に興味があって教育学部で学んでいたんですけど、そもそも僕のいたのが教員養成をメインとしてない教育学部で、60人の同級生の内、教員になったのが2、3人かな、という感じで。幅広く、心理学や社会学的な教育学、目の認識がどういうふうに学習に効果を及ぼすのか、みたいな医学的なところも含めた教育学を学べたりだとか。
 大学1年生の時は教育学部じゃなかったので、全然教育を学べていなかったんですけど、その一方で、生活の中でもっと自分のやりたいことができたらいいなって思って学外の「カタリバ」っていう東京発祥のNPOの北海道支部の活動にも参加したりしていて。  
 教育=学校みたいに思ってたのが、NPOとか民間での関わり方も沢山あるし、先生だけじゃなくて幅広い教育の捉え方を活動を通して知りました。そんな中で偶然出会ったのが、当時の地域おこし協力隊の人で、今仕事で関わっている取り組みのこととかも聞いたんです。
 僕の地元は結構閉鎖的な町というか、学校が結構軍隊的で、全校集会で列1mmずれたら怒号が入る、みたいな。なんかそういう感じでいろいろあったんですが。でも、その浦幌での取り組みは、学校だけに閉ざすんじゃなく地域で子供たちを育てようみたいなもので、本当に子供たちのことを考えて、町全体でやってるような感じがあって。しかも教育だけではなくて子供たちのための仕事の場づくりとか、本当に色んな活動をやってるっていうのを聞いて、当時は本当に地元と対極にあるんじゃないかと思うぐらい衝撃を受けました。

——はい。

古賀
そこから、浦幌へ通ったりインターンするようになったり、卒論書かせてもらったりとかをしながら、ここを選択したっていう感じですね。だから、全然まともな就活はしてなくて、多分浦幌に来るまで、スーツ着たのって人生で4回くらいしかない。

——在学中から浦幌には何度も行かれてたんですね。

古賀
そうですね。大学2年の7月に初めて浦幌の人と会って、その年の12月に初めて浦幌に行って、そこからまあ5回以上10回未満ぐらい多分行きました。で、そのまま移住みたいな感じで。

——他の地域も見てみたりしましたか?

古賀
してましたね。大学4年の時に、当時「polca」ってサービスがあったんですけど、ご存知ですか?

——いや、知らないです。

古賀
個人で小額のクラウドファンディングをやるサービスがあって、例えば誰かにプレゼントをしたいという軽い感じで寄付を募れるようなサービスがあったんです。
 それ使いながら個人でお金を集めて、全国各地の、学校だけじゃなくて地域で子どもを育てているような場所にお邪魔して、何日間ずつ滞在するような旅を1ヶ月ぐらいしました。島根とか岡山とか大阪の方とか、本当に色々行きました。

5. 地元へのキレ

——「子ども」っていう単語がさっきから頻繁に出てくるなと思っていて、古賀さんの中でそこへの情熱があるのは何でなんですか?

古賀
まあ、地元の環境に自分がキレてたみたいなのはありますかね。

——詳しく聞いてもいいですか?

古賀
さっきの軍隊みたいな話は高校なんですけど、中学校も部活の時に、暴言とかは言われていて。

——未だにあるんですね、そんなことが。

古賀
部活自体は振り返ってみると楽しかったとは思ってるんですけど、その対応は違うんじゃないかとは今でも思うかな。高校もそうだけど、結構、抑えつけるような教育があって。
 「社会に開かれた教育課程」って今はよく言われるんですけど、つまり、学校だけじゃなく社会全体に教育を開いていきましょう、と。でも、当時地元ではあんまりそういうこともやっていなかったので、職業選択にしても、身近にこんな職業があるんだとか、こういう大人がいるんだ、っていうのはそんなに機会がなかったんですよね。地元というよりは、僕の学校がそうだったっていう感じなんですけど。
 で、結局、地元の高校の先生がきっかけで教育を志すんですが、その先を行くっていう段階でもやもやとしてたのは、地元での経験が割と大きくて。 
 もうちょっと子ども達がハッピーになれる環境を作れないのかな、みたいなところは思ってたかもしれない。僕自身は自分の選択肢を広げたり、見つけたりとか、それがぎゅっと閉ざされていたっていうような印象を受けていたので。それで子どもに興味を持つようになったのかなと思いますね。

6. 「うらほろスタイル」

——今は、浦幌町に移住されて3年目ですか?

古賀
はい。

——地域おこし協力隊も任期が3年、今年で最後なんですね。

古賀
はい。

——今まではどういう活動してきたんですか?

古賀
今までは「うらほろスタイル」っていう活動に関わってきました。浦幌町は、地域で子供を育てるっていうのを、ここ15年間くらい行っているような町で、地域の自然、人、文化、産業、歴史とかに、授業の中で子どもたちが関わったり、自分たちで考えて実践してみたりする、というようなことをしているんです。
 その町で育ってきた子ども達は、中学校を卒業する段階で別々の学校に行くので、「また友達と集まって話したい」だとか「地元で活動したい」みたいな子達がいて、高校はないので正式な部活ではないんですけど、任意団体みたいな形で、自分たちで「浦幌部」っていう団体を5年前に立ち上げたんですよね。
 自分たちで地元の食材を使ってメニューを考えて、お祭りやイベントで出店してみたりだとか、最近は自分たちで撮りたい映像を撮ってみたりだとか。中学生も最近活動を始めたんですけど、自分たちで絵本の制作をしていたりだとか、カフェをイベントに出店してみよう、みたいな動きがあったり、そういう子達がいるので、僕たちはそれに伴走支援みたいな形で関わっています。

——そういうひとつひとつの企画って、まず子ども達が考えて、そこからサポートするって感じなんですか?

古賀
そうです。

——そもそも、どうして浦幌町はそんなに教育に対して積極的なんですか?

古賀
町にあった高校が10年以上前に無くなって、その無くなるという危機感からこうした活動が始まったと聞いてます。地元に高校が無くなるということは、町を離れていく人もより増えていく。そういうところの危機感から、僕が今関わっている「うらほろスタイル」という取り組みが始まった。

——「うらほろスタイル」の活動で、他にどんなことをやっているんですか?

古賀
いろんなことをやってますね。例えば、授業で地域に出たり、地域の人を呼んだりするサポートをしています。実際に子供たちが鮭を捌いてみる授業があったりだとか、農家さんや漁師さん、林業の方とかの家に宿泊しながら職業体験をする授業があって、そういったことを小中9年間、授業の中でやってます。

——その中で、古賀さんはどんなポジションにいるんですか?

古賀
例えば、中高生がカフェをやりたいっていった場合、手順とか準備とかが必要じゃないですか。そういうところで間に入って、これこれどうなの、とか言いながら関わってますね。必要な場合には、本物のカフェの人に繋いだり、食材の人に会いに行ったりだとかもしてます。

7. チャレンジできる町へ

——町の人たちの「うらほろスタイル」への反応ってどんな感じですか?

古賀
最近、いいな、ってことがあったんですけど、小中9年間、高校を含めたら12年間、地域で学んできた子どもたちの内の1人が、最近、地元で94年続いた蕎麦屋を、期間限定でオープンしたんです。その方は今20代なんですが、戦前からやっているような歴史あるお店を継ぐべく現在奮闘していて、「地元でチャレンジできるんだ、っていうのを次の世代に思ってもらえたらいいな」と言いながら頑張っている。
それを見た町の人にとっては、自分たちが関わってきた子どもが、こういう風に地域でチャレンジしようとしている、っていうところがあるので、とても話題になりました。

——これから地元で何かしたいっていう子どもも増えるかもしれないですね。

古賀
そうですね。「戻ってこいよ」って地域としては言うつもりはないんですけど、「戻ってきたい」とか「帰って何かに関われないかな」とかって思った子に対して、それができるようなサポートはしていこうという姿勢でいますね。

——仕事の中で難しいことってありますか?

古賀
「やってみたいことをやる」というのが、その人がハッピーになることとは限らないと思うんです。やってみたいことをやる中でどうやって想定外の出会いだったり、自分の知らなかった価値観に気づくことにつながるかなって考えるのは、楽しくもあり、チャレンジングな所でもありますね。

8. 旅と出会いと

——そういえば、久保田くんとはどういう繋がりなんですか?

古賀
久保田さんとは、長野県の「シンカイ」っていうお店で出会いました。多分、丁度休職されてた時なのかな。そのシンカイに僕が行きたいなと思って行ったら、久保田さんも偶然その場にいて。僕の同世代の友達とかでも、久保田さんのことを知ってる人がいて、それで今もちょこちょこSNSで繋がってる、みたいな感じですね。

——シンカイにはどうして行きたいと思ったんですか?

古賀
徳谷柿次郎さんっていうローカルで活動してるすごい方がいて、その方が関わられているのがこの「シンカイ」って場所なんですね。それで、行ってみたいなと思っていて。

——そういえば、柿次郎さんの話を久保田くんもしてた気がするなあ。

古賀
そうそう、それで、柿次郎さんに久保田さんを紹介してもらって。

——そうやって、道外にも積極的に旅されていたんですね。

古賀

そうですね、結構行ってましたね。その後にも、岡山県の舟橋村っていう子育てをすごいやってるところなんですけど、そこの岡山史興さんっていう方に出会ったりだとか。結構色んな所に行ってました。学生時代にもかなり色んな所行ってましたし、結構そういうの好きなタイプでしたね。

——古賀さんは旅をするとき人を訪ねに行くんですね。

古賀
そうですね。まあでも、純粋な旅もしたことあるんですけど。大学2年生の3月とかに北海道の北の端の稚内から沖縄までヒッチハイクで友達と行ったりはしましたね。

——うおお。

古賀
まあでも、観光地っぽい所よりも、例えば地元のスーパーとかに行って、そこの人たちが普段何を食べてるかとか、地元の特産とか、そういう日常のものがある場所に行ったりだとか、あとはチェーンじゃない個人経営っぽい居酒屋で地元の人と話したりだとか、そういう旅は割と初期からしてて、それはすごい好きで。
 今はまあ、そういう旅はしなくなったけど、でも人に会いに行ったりとか、話したりだとかをしながら、色んな地域を巡ったりとかはしてますね。

——久保田くんの回でも登場した、佐野和哉さんと繋がったのもそういうことですか?

古賀
いや、佐野さんは地元が一緒で。僕の高校とは違う高校にあの人は行ってるし、僕の出身小中ともまた違うんで、所属は被っていたことは無いんですけど、偶然SNSで繋がって、地元出身でああいう人いるんだ、みたいなところで最初面白くて見てて。大学4年生ぐらいの時に確かはじめましてしたのかな。そこからっていう感じですね。

——へえー。

古賀
当時僕は道内各地に行ったりだとか、道東の人たちと遊んだりとかもしてて、で、その中で佐野さんに会った、みたいな感じです。

9. 15年の積み重ね

——協力隊は今年までですけど、その後のプランとかあるんですか?

古賀
その後も、今やってるような町の中高生やその先の若者も含めて、もっと町で良い環境を作っていけたらなと思っていて、事業を申請していて、それをやろうとしてます。

——具体的にどんな事業なのかとかって教えてもらえたりしますか?

古賀
町を離れてしまった子達にとっては、町との接点って今は持ちづらくなっていて、そこをもうちょっと作っていったりだとか、見るようにしてたりだとかはしたいなと。この町で自分のやりたいことができない、とかじゃなくって、それをもうちょっと可視化させていきたいなというか。
 この町でもチャレンジしてる子ども達の姿はあるし、そういうのにもっと関われる機会や情報を届けていけたらいいな、とは思っていますね。

——浦幌に残ってこれからも活動していく、その芯みたいなものってありますか?

古賀
もちろん、子ども達の為に、みたいなマインドはすごくあるし、僕もこの町で色々やらせてもらったりだとか、受け取ってきたものが大きいなと思うので、それを返していきたい、という思いもあるし、そこを改めて魅力に感じて、ここでもちょっとやりたいなと思っていますね。
 本当に色んな活動をし続けている町なので。

——浦幌って、教育以外も町おこしの取り組みが盛んなんですか?

古賀
教育だけじゃなくって仕事づくりとかもやっていて、例えば町の花を使った化粧品があったり、「子ども達のために魅力的な仕事の場を作ろう」って言って、1週間後ぐらいにゲストハウスがオープンする予定だったりだとか。  
 最近は文科省14年働いてきた人が辞めて移住してきたり、オリエンタルランドで20年位マーケティングやってた人がそれを辞めて移住してきたり。そういう外からの人も最近は来ているし、一方で、さっき話した蕎麦屋の子みたいな感じで、地元の子もどんどん増えていろんなチャレンジが起きていて、凄い色んな動きとか思いを持った人が居る町ですね。

——それってここ最近のムーブメントなんですか?

古賀
それも全部15年の積み重ねの中でだと思います。広く、子供とか次世代のためのまちづくりの観点で移住してくる人が多くて。自分たちの代だけがよければいい、とかじゃなくて、過去から受け取ってきたものを自分達だけで終わらせないで、次に繋いでいくくんだ、っていうマインドを、教育だけじゃなくて、色んな所で持っている人がいて、最初は教育の取り組みとして、協力隊を含めた外の人が入ってきながら活動をしていたんですけど、だんだん仕事づくりとか経済やまちづくりみたいなところでもすごい動きが盛んになってきていて。それでより色んな人が集まってきている感じですね。

10. 中も外も繋がる町

——地元の方の住民性って、どんな感じですか?

古賀
もちろん全員が全員では無いですけど、地元の人がそもそも教育の取り組みを始めたので、外から来た人だけじゃなくて地元の人も「子ども達の為に」と思っている方が多いと思います。
 町の農家さんが200人ぐらい子ども達を呼んで、その日自分の畑を貸切にして、野菜取り放題で、取れたての野菜でカレーを作ったりだとか。その人は、敷地の中にある川で魚を獲ってみたりするようなイベントを自分で企画して実施していたりもします。だから、すごい面白い地域ですね。中の人も、外の人も。

——その中で、古賀さん自身の暮らしはどんな感じですか?

古賀
割とローカルだとそうなりがちだと思うんですけど、仕事もプライベートも混ざり混ざる感じはあるので、そこはすごく面白いなと思ってます。
 あとは、ゲストハウスがオープン予定だったので、この半年間は平均したら毎週1回はDIYで参加してたりしてましたね。そういう、例えばお祭りとか地域のイベントのお手伝いとか、仕事じゃなくても町の人と関わることは多いですね。人口4,500人なんで、関わるんですよ。
 例えば、札幌だったら、多分遠い地区の人とはあまり関わることもないし、あったとしても関係は途切れるだろうし。だから失敗したとしても関係は続かないから大丈夫だろう、みたいのはあるんですけど。こんなちっちゃい町では、本当に関係は繋がり続けるものなので、地域で楽しくやっていく為に、仕事じゃないけど色んなことに参加したりだとかはしてますね。

——祭りって、どんなものがあるんですか?

古賀
最近はコロナなのでやってないんですけど、神輿を担いで順繰り回るようなものとか。地域で休憩場が10箇所20箇所位あって、それぞれの場所で地域の住民が酒を準備して待ってて。
 あと、地域の10代20代が集まって子ども達の為の冬のお祭りを企画していたりだとか。外の人も中の人も合わさって、色んなことをやってますね。

11. 小さいこと、豊かなこと

——古賀さんはこれからも子どもに関わる仕事していくんですか?

古賀
あまりぶらさないで、教育は本業でやりつつ、ただ教育はあくまで誰かがハッピーになる手段でしかないな、とも思うので、視点としては閉じずに広くやっていきたいなと思ってますね。色んなチャレンジをもっと応援しあえる環境を作っていけたらいいなと思っています。
 外からの人だけじゃなくて、地元の人も含めて、町との関わり方とか、自分の将来とか、そういうところを考えられるきっかけを作る、みたいなことも考えていますね。

——ちなみに、今の日本の教育ってどう思いますか?

古賀
え、めっちゃ広いですね(笑)。何か、変わってはきてると思うので、それはいい流れだと思うし、僕は僕でちゃんとやるべき事を考えながら、そういう時代の背景とかも分かった上でやっていけたらいいなって思ってますね。

——今日は浦幌愛に溢れたお話をありがとうございました。

古賀
愛、というより、地元でのキレが大きかったんじゃないかな。
チャレンジが許されてない環境だったから。僕の地元での経験が大きかったので、そこに対してもっとやればいいな、というところですね。

——なんか僕は、ゆとりとか悟り世代、って枠で自分の同世代を見てたんですけど、そういう厳しい教育をしている地域もあったんだな、というのはちょっと意外でした。

古賀
まあ土日が休みだった、みたいなところは、形としてはゆとり教育だったとは思うんですけど、学校の文化はそんな変わらんかったってことなんでしょうね。

——結局制度が変わっても、人が変わんないとみたいな事なんですかね。

古賀
まあ、当時の自分には、閉鎖的なように映ってたんですよね。

——浦幌いいですね。色んな面白い人が集まって、色んな化学反応が起きていて。同世代は多いんですか?

古賀
そうですね、ゲストハウスの人も27歳だし、冬の祭りも企画したのは20代とかなので、まあ人口として分母は都市と比べたら少ないですけど、比較的つながりは増えてきたかなって思ってます。

——小さいからこそ、そこに行けば一挙にコミュニティが広がりそう。

古賀
そうですね。誰誰と繋がったら誰誰は誰誰の友達で、とか。
 僕の友達は、4月に移住して住民票を移して30分後に町長と会ってました。顔が見える関係が本当に沢山あるんだなっていうのは思います。

——町をつくってるという実感もありそう。

古賀
影響というか、相対的に大きくなると思うので。だからこそそこでの責任も大きくて。
 町で事業として高校生に関わってるのって、多分4,500人の町で、僕と協力隊のもう一人ぐらいだろうと思うので、もちろん、僕たちだけの力で高校生たちの環境が決まるとは全く思ってないですし、積み重ねの中でやってるのでそれは傲慢だとは思うんですけど。ただ、仕事の範囲としては大きいところを任せて貰っているので、頑張んなきゃなとは日々感じますね。

——なんか、小さいって、すごく豊かだな、と思いました。

古賀
小さいから無い、では決してないと思うんですよね。無いから作るっていうこともあるし、消費的な楽しみというよりは、自分たちで作っていくんだっていう気概だったり、意識はあると思いますし、実際、こういう豊かな自然や土壌、人情にも直接触れられる。命と向き合って仕事をしている人たちの価値観ってすごく素敵だなと思いますし、それは、こういう土地に住んでなきゃ感じられなかったことだなと日々感じますね。

——ありがとうございました。浦幌には落ち着いたら行きますので。今日決めました。

古賀
是非来てほしいなあ。

一問一答 回答者:古賀 詠風(こが・えいふう)
①自分を色に例えると?
ー昔は青で今は緑です。
②好きな言葉は?
ー「不易流行」。
③好きなクリエイターは?
ー「それでもあかるいはらちゃん」というTwitterアカウントを調べてみてください。もう一人、北海道の「スロウ」という雑誌のデザインに関わられているsachiさんかな。この二人は、作品も、人としても好きですね。
④(過去、未来、フィクション問わず)誰と飲んでみたい?
ー父方のばあちゃん。
⑤オールタイムベストの映画は?
ー『世界でいちばん長い写真』(脚本・監督:草野翔吾/主演:高杉真宙・武田梨奈)は面白かったですね。
⑥好きな場所は?
ーまだオープンしてないゲストハウス。あとは、田舎のスーパー、居酒屋とか個人経営の定食屋みたいなところも好きです。
⑦絶対にカバンの中に入っているものは?
ー町の花を使ったハンドクリーム。町に来た人とかに見せられるように常に携帯してます。
⑧今の仕事以外に就いてみたい職業は?
ー違う人生だったらパン屋とか定食屋をやってみたいなと思います。
⑨人間以外になれるなら何になりたい?
ー犬。好きなんで。
⑩シメは何を食べたい派?
ー今、(後ろで)キムチ鍋が控えてるので、うどん?いや、多分雑炊になりそうな気がするな。

〈編集後記〉
豊かな食と自然のある環境。そこでのびのびと発想する子どもたちは、どんな未来を創造していくのだろう。子どもたちに指導したりするのではなく、あくまで子どもたちのやりたいことを町の大人たちで全力でサポートする、という浦幌町の姿勢は、従来の教育という言葉とは一線を画している。長野からははるかに遠い、浦幌を、ネバーランドのようだと僕は思った。
 また、古賀さんの語るまちづくりのレジェンドたちの話は、色々なまちとの関わり方を示唆していて、また全国を旅してみたくなった。
 今回は、お忙しい中、いきなりはじめましてをしてのインタビューだったけれど、もう少し次はゆったりと、浦幌の風を感じながらお話を聞きたい。

〈次回予告〉
準備中、、、。

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