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「ぼくらの漂流記」Vol.2 ヒーロー《後編》

《前回までのあらすじ》
石川県加賀市で活動する末廣優太(すえひろ・ゆうた)くん。
NPO法人「みんなのコード」「コンピュータクラブハウス加賀」のことから始まったインタビューは、彼の幼少期のアメリカでの思い出や、地元の話、仕事への姿勢など、飛びにとびました。
今回は、現在の仕事に行き着いた過程から、パートナーのあやおさんとの出逢い、そして末廣流の働き方、マインドの保ち方までたっぷり聞きました。

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末廣 優太(すえひろ・ゆうた)
NPO法人「みんなのコード」Hub div. マネージャー。石川県デジタルアーティスト発掘委員会代表。複数のITベンチャーで新規事業を立ち上げた後、石川県に移住。移住後は学習塾や教育委員会、NPOなど多種多様な立場から教育事業に携わっている。2019年には「全ての子ども達が気軽にテクノロジーに触れ、表現することを楽しむ」ことを理念に掲げた施設「コンピュータクラブハウス」を石川県加賀市と共に立ち上げ、館長を務めている。2021年、大阪大学大学院人間科学研究科に進学。「実践と研究」の二足の草鞋を生かし、「テクノロジー×子どもの第三の居場所」の全国展開を見据えた政策提言の準備を進めている。

7. そして石川へ

——で、どうして石川県に行ったの?

末廣
教育を変えよう、と漠然と思っていた。でも教育学部ではないし、どうすっかと思って。
 教育といえば日本の場合は公教育だし、自分でしっかり仕事が出来る場所を選ぼうって思って、人に自分の思いを話していったら、同僚から仕事を教えてもらって。たまたまその仕事が珠洲市だった。
 だから石川県に行きたかったとかではまるでなくて、やりたい事ができれば、北海道でも沖縄でもどこでも良かった。で、石川県珠洲市に行ったというわけです。

——でも、今いるのは加賀市だよね。それは「みんなのコード」の関係で引っ越したの?

末廣
そうだね。珠洲で学校に関わってみて、自分で塾もやって、教育というものをそれなりに見てきた。その中で、公教育っていうのは、日本全国で同じように教育出来るように設計されてるから、教師は生徒に平等に教えないといけないように設定されているし、社会に生徒を適応させるために団体行動を意識させられる場所だと思った。
 それはそれででいいんだけど、そこに合わない子もいる。勉強についていけない子もそうだし、個別での行動が好きだから集団で過ごしづらいとか。それぞれの障害があって学校に入れないとか。
 で、そういう子が、例えば家庭が裕福であり、経済力でなんとか出来るのであれば問題ないんだけど、不登校になる人って、大多数がそうではない。学校に行けないからって、その代わりの教育を受けられる機会ってなかなかない。
 そこに、社会的な溝があるなと思っていて。学校に行けてなくて、かつ家庭環境にも恵まれていない子って、どこで何を学ぶんだって考えて。

——うん。

末廣
不登校向けの学習支援施設ってあるけど、ほとんどの場合は最低限の学習支援でしかなくて。そういう人達が人生を盛り返すって、まあ難しいと思うんです。そういうことを課題だと感じている時に、「みんなのコード」の代表と会って、「石川県加賀市で、市と協力して学びの場を作ろうと思っている」と聞かされた。それでなるほど、と思って。
 加賀市とやるということは、その場所はきっと子ども達が無料で利用出来るし、当時プログラミングって、できれば稼げる、みたいな風潮でもあったから。
 もし学校に違和感のある子どもでも、自分の得意なことで生きていけるって実感できたなら自信を取り戻すかもしれないし、それそのもので食っていけるかもしれない。これはいいな、と思って。まだ実態も何もない、当時は概念でしかなかったコンピュータクラブハウスを立ち上げるためにそこに入って、で、設立、立ち上げを一緒にやったっていうのが、石川県加賀市に引っ越した経緯ですね。

——代表とはどうやって出会ったの?

末廣
石川県珠洲市で学校のプログラミング教育をやってた時に、勉強のために福井県に行ったんですね。で、そのイベントの登壇者だったのが、今の代表だった。
 そこには総務省やら、市長やら、大学院学長やら、錚々たる人が並んでいて。うちの代表って若いから、その人が歯にもの着せぬ物言いで大物達に噛み付いていく様子を見てたんです。それで、凄いな、この人、って思って。
 僕も教育変えたいって思っていたけど、やっぱり大学休学中の何も知らない若造が行政を変えるのってすごく難しいと思ったし、それで感銘を受けて、イベントが終わって話しかけに行って。その後、仕事の紹介を受けた、というそんな流れですね。

——おお、ようやく、現在までたどり着いた。

末廣
それがまあ2019年なんだけどね(笑)。

——え、じゃあまだ2年くらい前の話なんだ。

末廣
まあでもそれからはただひたすら、コンピュータクラブハウスを理想から形あるものにつくりあげていった、という感じなので。

——なんか、人生のスピードが速すぎて、逆に心配なんだけど(笑)。

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8.自分が行動することで

——旅もしてたよね。バックパッカー姿の写真を前に見せてもらった気がするんだけど。

末廣
まあ旅人からしたら全然なんだろうけど、大学の時は冒険が好きで、無人島キャンプ、しかも3キロ泳いで行く、とかやってて。

——ええー!

末廣
水泳部だったから、全然泳げたんだけど。そこでナイフ1本で過ごして。
あとは、横浜からヒッチハイクで鳥取砂丘まで行ったり。
 それと、これ距離感わかりづらいと思うんだけど、金沢八景駅から品川駅まで、京急線沿いを、ただ48キロ歩くとか(笑)。前日の夜に友達から電話かかってきて、二つ返事でそれをやるっていう。
 だから、旅っぽい旅はあんまりしてないけど、人がしてないようなことを、割とサクッとやってしまって。そういうのが好きだったかな。

——何でそんなに行動力があるんですか?

末廣
まあ、生い立ちで言えば、両親が幼い頃に離婚していて。それまでは多分、結構裕福だったんだよね、それなりに。習い事も7、8個してたし。
 そこから、母親についていって、母子家庭だったから余裕がなくて、中学からはほぼ習い事してない。一気に、与えられるものがなくなった。それが、苦しいと思ったことはないけど、それ以降、自分で何かを勝ち取る、ってことをしなきゃいけなくなって。
 例えば、僕高校一年生まで英語嫌いだって言ったじゃないですか。でも、高校一年生を契機に好きになったんですよ。

——へえー。

末廣
きっかけがあって。英語の成績は、幼少期をアメリカで過ごしたおかげもあって良かったんだけど、留学とかしたいとは思ってなかった。ただ、当時の英語の先生が留学プログラムへの参加を強く勧めてくれて。

——ほうほう。

末廣
僕は茨城に住んでいて、中学2年生の時に東日本大震災があったんですよ。で、一応被災地なんです。それで、高校1年生の冬くらいに、外務省の企画として、高校生がアメリカに復興支援の感謝を伝えに行く、というのがあった。
 正直やる気はなかったんだけど、ありがたいことに選考に通って、3週間弱くらいアメリカに行ったんです。アメリカ全土を、飛行機で練り歩くんですね。もちろん飛行機代もかからない、ホテルもかからない、しかも、英語を使って現地の人と喋る、というのも新鮮で。
 英語が出来ると、こんなに人と話せて楽しいし、しかもホテルこんなに泊まれてすげえな、と思って。そこから、自分の能力で、何か機会を勝ち取る事に目覚めたかな。
 それ以降は、自分からオーストラリア留学に手をあげたり、派遣団の団長やるから連れてってくださいって志願したり、他にも色々選考に応募したりして。
 自分が行動することが、自分の周囲の環境を変えて、自分にとってもすごく楽しい経験だってことが、その経験でわかりました。

9. ポジティブさ

——もうひとつ聞きたいことがあって。話を聞いてると、ずっと一貫したポジティブさを感じてるんだけど、その超ポジティブなのは意識的なもの?

末廣
ポジティブか。あんまり自分でポジティブだと思ってないな。でも、どうにかなるでしょって気持ちは強い。

——それをポジティブっていうんだよ(笑)。嫌なことでくよくよしなさそうじゃない。

末廣
割と気にすることは気にするけど、やっぱ自分で決めたことだから。全部。

——うん。

末廣
例えばさ、習い事とか部活って、自分で決めた場合と、人に決められた、つまり親がやってみろっていうからっていう場合があるでしょ。で、親がやってみろって言った場合って、多分言い訳として「お父さんが卓球部入れって言ったんじゃん」とか、「お父さんが言ったから買ったんだよ」とか、いくらでも言い訳のしようがあって、だからくよくよ出来ると思うんだよね。
 僕は、でも、高校生くらいからは割と一貫して自分で選んで、それを人に非難されようが何だろうがやってみる、っていう経験をずっとしてたから、誰のせいにしても仕方がないというか。
 自分で決めたものには、自分に責任がある、だからくよくよしない。自己責任を突き詰めたらやっぱり自分が凹んじゃうから。
 自分が選んでそうなった結果なら仕方ないし、そこは向き合って、ただ行動で塗り替えていくしかない。っていうか悩んでる暇もくよくよしてる暇もないから、次へ行く、っていう。そんな感じかな。

——いやあ、格好良いなあ。

末廣
いやいやいや(笑)。でも、ポジティブさについてはあんま考えたことなかったね。

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10. 加賀での暮らしとあやおさんとの出会い

——加賀って、どういう土地で、そこでどんな暮らしをしてるんですか?

末廣
加賀市は観光地で、温泉街をアピールしているような場所。実際、市にも3つの温泉街があって、家からはそこまで近くないけど、生活の中に温泉があるのは感じるかな。
 僕が住んでるのは、目の前に田んぼが広がって、お茶の製造が有名な地域なんです。ただ僕らはお茶とか田んぼとは無縁の生活をしていて、うちはうちで、あやおは農業をしてたり、僕もITと教育で、土地の色とは別で活動してるな、とは思いますね。
 でも、空き家バンクで家買ったりとか、それをDIYしたりしてるので、結構典型的な地方移住者みたいなことはしてますね。

——めっちゃ横道に逸れますけど、パートナーのあやおさんとはどうやって出会ったんですか?(※注:牛島はあやおさん経由で末廣と知り合った)

末廣
僕が珠洲にいて、あやおが能登島にいるときに出会ったんですよ。
 出会った経緯は、僕がまだ珠洲に引っ越して間もない一昨年の夏頃に、東京で友達だった人の実家が富山で、そいつが帰省するから会おう、ということになって、富山と珠洲のちょうど中間くらいに(能登島のある)七尾市があったので、そこでご飯したんです。そしたら、その予定が意外と早く終わっちゃって。
 で、夕方前にフリーになって、なんか景色良いところないかなって探したら能登島を見つけて。そこに行ってみようと車を走らせた。
で、景色のいいところに行って、写真撮ってインスタのストーリーにあげたんですよ。そしたら、現在地情報がつけられるんだけど、3つ目くらいに「創る家」っていうのが出てきて。
 その場で調べたらあやおのインタビュー記事も出てきて。「面白い子どもをつくるためには、大人がもっと面白くなくちゃいけない。だから私は面白い大人をつくるんだ」みたいなことを書いてて。
 更に調べたら、その時いた場所から歩いて2分だった。アポ無しだけど行ってみよう、と思って。でも、着いたら家にいなくて。
 丁度帰ろうとしたときに、あやおが買い物から帰ってきた。

——あらまあ。

末廣
で、こんちには、みたいな出会いですね(笑)。

——運命だなあ。

末廣
でもあやおがちゃんとインスタやってて、登録してたっていうのもあるし。

——なんか繋がるなあ。面白いな。

11. 教育の力

——話を戻しますね。コンピュータクラブハウスへの子ども達の反応ってどうですか?

末廣
そうだね。やっぱり実際オープンしてみると、不登校傾向の子がほとんどなんですよ。平日は放課後、休日は全日開けてるけど、よくよく話を聞くと、学校にほとんど行ってないとか、部活行ってないとか、今の学校に合ってない子がよく来ていて。そういう子ども達が集まって、結構その子達同士で仲良くなって、居心地よさそうにしている。
 学校の成績が悪い子も勿論いる。けど、そんなの関係なく、3Dプリンターですごく面白いものを作ったり、動画編集を上手にやったりするんです。
やっぱり学校って、書く文化だし、言葉が話せてなんぼの世界だけど、別に表現って、口や文字でなくても出来るわけじゃないですか。そういう風に表現の場を提供できたことで、子ども達の活躍の場が広がっているな、と感じます。
 学校ではテストの成績がいい子が主役になるけれど、ここだと、例えば3Dプリンターが上手だったら、それを主張しなくても他の子ども達がそれを見て「教えてよ」って聞いてくれる。当人にすれば、それが主役になれるきっかけになる。次からは「3Dプリンター担当大臣」なんて呼ばれたりして、少しずつ自信を取り戻していく。そんな様子は見ていて良いな、と思う。
 あと、もう一個いうと、「天才」って本当に確率論でしかないな、って思っていて。たまたま自分の持つ素質と機会が合わさっただけというか。
 素質はきっと、どの子でも大差ないんだけど、やっぱり都会と田舎を比べると、物事に触れられる量に格差があるんですよ。プログラミングが本来得意な子が、それに一生触れられないなんてことがある。でも、たまたま、うちの施設でプログラミングに出会った子達は、専門家とも結びついて、どんどん実力を伸ばしていっている。つまり、今までなかった機会がコンピュータクラブハウスのもとに提供されて、個人の才能の引き上げにつながっている。そういうふうにできているのは、すごくいいな、と思います。

——町の変化もありますか?

末廣
あるね。保護者と話していても、うちの子学校合わない、って、全然珍しくない話で。でも、そういう保護者にとっても、そんなの関係なく受け入れてくれる場所があって、そこで生き生きしてくれるのは嬉しいこと。だから、いつもありがとう、って声をかけてもらえる。
 それと、今、コンピュータクラブハウスに通うことが、中学校の部活として制度で認められているんだよね。

——えー、それはすごい。

末廣
部活の人数が減って嫌がる先生もいるけど、学校では後押しできないことを校外でやってくれるのはありがたい、って言ってくれる先生もいて。
 あとは、警察署とコラボして、ポスターを作りましょう、とか、行政のDXっぽいところと繋がったりだとか。色々だよね。

——教育の力って、やっぱりすごいよね。

末廣
根幹にあるからね、社会の。

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12. 「若い」は関係ない

——活動の中で、優太自身が難しいことは何かある?

末廣
僕は忖度ができないので、そういうところで損をすることはよくあります。
 教育って、いろんな派閥があって、それに政治の色も出てしまうから。そういうのをうまいこと流して出来る器用な人もいるんだけど、僕はやっぱりダメだなと思ったら言っちゃうし、そういうことを放置してモヤモヤしたままだと仕事できない。
 そういう風に忖度して、きれいに仕事するのはあんまり得意じゃない。

——ちょっと失礼な質問かもしれないんだけど、若いからって理由で足元見られるみたいな経験はない?

末廣
んーとね、なくは無い。けど、それは東京にいるときの方が感じてた。その経験があるからか、今はそういう声を完全にシャットアウトして、気にして無いんだよね。「若いから」とかって言われたとしても、2回目を言わせなければいいし。
 最初は気にしてたけど、今は自分の結果を残して、そういうものを乗り越えていけば相手の見方が変わるっていうのがわかったので、障害にはなってないかな。
 それに、教育委員会で働いてたし、塾もやって、NPOで居場所作りもやってて、大学院に進んで、とかちゃんとこれまで自分を作り上げてこれたなと思ってるので。過去には気にしてた時もあったかもしれないけど、今はもう感じないし、今後感じたらそれは自分で改善出来るから。

——ありがとう。なんか、俺がただ学ぶ場になっているなあ。

末廣
いやいや、大きいこと言って頑張るタイプなので(笑)。実力はまだ伴ってません。

——行動に移してるからすごいんですよ。

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13. これからのこと

——今やってる二つの活動は、今後どんな活動になっていけばいいと思いますか?

末廣
まず、「みんなのコード」の活動でいうと、今やっているコンピュータクラブハウスのようなテクノロジーでの表現を楽しめる居場所を全国に広げたい。まずは2030年までに100拠点を目指す。それを実現するために、組織づくりであったり、既に他の地域で始まっているコンピュータクラブハウスと同様の施設の立ち上げから、足元をしっかり固めていく。それが今の目標です。
 で、「石川県デジタルアーティスト発掘委員会」は、ぶっちゃけまだまだ模索中なんだよね。でも、これまで2回のワークショップを通して、市内のいろんな高校からいろんなバックグラウンドを持った子ども達が一堂に会して、チームを組んで映像をつくってみるという取り組み自体が、今はすごく尊いなと思っていて。
 これから、一人の力で何かを成し遂げる、ってほぼ無いんですよ。みんなで知恵を出し合って、他者と協働しながらやっていく。その時には、例えば高校生でいうと進学校とそうじゃない学校、というだけでもすごい分断がある。芸術系の学校とかもそうでしょ?そういう人達って、交わることはほぼ無いんですよ。
 そういう子達が、背景関係なく集まって人の考えに寄り添って、一つの成果物を創り上げる、っていう、その本質が重要だなと思ったので、その機会をまずは増やしていって、高校生らに少しでも異文化交流をさせてあげたいな、と思っています。
 異文化交流って、外国人との交流みたいなのがメインであるとは思うんだけど、アートを通して身近な高校生同士で何か創り上げていくっていう機会も、もっとこれから生み出していきたいな、と考えてます。

——優太自身は今後どうしていきたいと思っているの?

末廣
それは、どのくらいの時間軸で?

——とりあえず、直近は?

末廣
直近でいうと、「みんなのコード」の野望を叶えるためには土台作りをしっかりやらないといけないな、と思っていて。一応マネージャーという肩書きもある中で、今後事業を推進させるためには、結局自分が手を動かさないといけない。一方で「プレイングマネージャー」にならないために、自身が足元を見ないでも、チームが真っ直ぐに進めるようにしないといけない。そのためにも、今一緒に働いている人達やそのチームを強くしないといけないな、と思っています。
 チームを強くするということは管理ということでもあるんだけど、どっちかというと生活の中で、すごく心理的安全性の高いチームが作りたいな、と思っていて。
 僕は、会社とか仕事って、個人の人生を豊かにする手段の一つだと思っているので、そこにしっかりと寄り添いながら、この人は何がしたくてこの会社にいて、何を得て去りたいのか、ということを意識しながらチームを作っていくというのがまず一歩目としてあると思っています。
 全国に広げるとか、子ども達のために機会を提供するとかは、そのもっと先の話だと思っていて。なのでまずは一旦チームをちゃんと見てやっていきたいと思っています。

——進学については?

末廣
それは、さっきの「若いから」って話とつながるかもしれないんだけど、全国に活動を広げようと思うと、もっと国の根幹の人達と話したりだとか、そこに説得力を持って提案をする必要があって。大学を中退して、実践はすごく重ねてきたけれど、結局なんでそれは優れてるんですか、とかの説明がまだまだおぼつかないなと思っていて。
 教育のことをわからないなりに突っ走ってきたけれど、僕の活動ってただポンって生まれてきたわけじゃなくて、教育の長い歴史の延長線上にあるものだから、そこがわかってないといけない。自分がやっている活動、これから広げていくものに対して、しっかり説得力を持たせ、かつ社会的にも影響力を持っていく為に、大学院進学をしようと思いました。

——相当忙しいと思うけど、今のところ両立できてるの?

末廣
理想が100%だとしたら、10%くらいしか出来てないんじゃないかな。でも、結局今出来てることが今の自己ベストでしかないので。
 こっからもうちょっと上げていけるように頑張りたいな、とは思っていますが、今のところ睡眠時間を削ることくらいしか解決策は見出せてないかな(笑)。既に削ってるからどうしよう、って感じなんだけどね。

——今どれくらい寝れてるの?

末廣
平日の平均睡眠は、3、4時間かな。

——ええー‼︎

末廣
この2日は8、9時間は寝れたんだけど、その副作用かめっちゃ頭痛くて。頭痛薬飲んだら治るんだけど(笑)。

——ええー‼︎

末廣
うん、だから寝過ぎも体に適してないのかな。ただ、3、4時間は流石に短いから、6時間は寝たいよね、って感じ。

——凄いな。今日はアスリートにインタビューしてるみたいだったよ。

末廣
いやいやいや(笑)。僕なんかまだまだ甘ちゃんですよ。

——とんでもない。でも、企画がもし続いたら、第二弾、第三弾も考えているので、またぜひ協力してほしいな。

末廣
彼はああ言っていたが、その後睡眠不足で倒れていた、みたいなね(笑)。

——あはは(笑)。本当に体調気をつけてね、、、。じゃあ、ありがとうございました。

末廣
こちらこそ。

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一問一答 回答者:末廣 優太
①自分を色に例えると?
ー赤。よく行動力あるとか、熱いね、とか言われるから、他者評価だとそうなのかなって。
②好きな言葉は?
ー"Knowledge is power"。「知は力なり」ですね。
③好きなクリエイターは?
ー特にないです。尊敬する人もいないっていうのが本当に致命的で。
④(過去、未来、フィクション問わず)誰と飲んでみたい?
ー孔子。何十年何百年経っても人々に語り継がれる教えを弟子に喋ってる人でしょ。それ、やばいなと思って。
⑤オールタイムベストの映画は?
ーそういうのがないんですよ。変なんですよね。思い浮かばないです。
⑥好きな場所は?
ー見知らぬ小道。ちっちゃい、薄暗い小道が好きですね。ただ名もない、通り過ぎたら忘れちゃうような場所はすごく落ち着く感じがあります。
⑦絶対にカバンの中に入っているものは?
ー飴、というか糖分という方が適切かもしれない。考えるときに口に入れるものかな。
⑧今の仕事以外に就いてみたい職業は?
ー先生か宇宙飛行士。
⑨人間以外になれるなら何になりたい?
ーまあ猫ですね。
⑩シメは何を食べたい派?
ー濃いものでしめるかな。例えばラーメン屋行ったら、最後はスープ飲んで、その口で帰る。その時のメインディッシュを最後に食べて帰る。

<編集後記>
 末廣くんは同世代なので、価値観の共通項は多いけれど、それでも彼と話していると、僕にとって身が引き締まるようなことが多くて、本当に同世代なのかわからなくなる。
 テクノロジーの話になるかと思いきや、アートの話でも盛り上がり、彼の思い描く未来により共感し、応援したい気持ちが強く芽生えた。
 これから先、一緒に何かしたい。少し先の話もできて嬉しかった。でもその前に、僕も僕のフィールドで、もっとできることがある。そう気づかせてくれたインタビューだった。

《次回予告:古賀詠風さん(北海道十勝郡)
Vol.1に登場してくれた久保田貴大くんに紹介してもらったのは、北海道十勝郡浦幌町にて地域おこし協力隊として活動している古賀詠風さん。インタビューのキーワードは「子ども」。子どもたちへの浦幌町をあげた取り組みから見える地域の可能性、そして、日本各地のまちづくりにおけるレジェンド達の話も出てきます。次回もお楽しみに!

古賀詠風さんの活動についてはこちら

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