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僕の応援チーム・その2

前回に続き、スポーツファンとして長年親しんだチームについて語ろうかと思います。プロフでも書いていますが、自分は野球の #ベイスターズ とサッカーの #マリノス を応援している者です。小学校の頃から #応援 チームと決めていて一度も変更したことはありません。いつも中立の立ち位置でモノを書いていますが今回もいちファンとして語らせていただこうかと思っています。

「横浜F・マリノス~出会いは『対戦成績表』だった~」

93年にJリーグが開幕した時、一番人気はヴェルディだった。しかし巨人が嫌いだった自分は同じ親会社をもつヴェルディを応援するのに抵抗を禁じえず、しばらく応援チーム不在の状態が続いた。

そんなとき、新聞を眺めていたらとあるものが目に入る。2年連続優勝したヴェルディだったが、そのヴェルディがなかなか勝てなかったチーム、それがマリノスだった。今でいうチーム別対戦成績表に子供ゴコロからやってくる好奇心も拍車をかけた。

「ヴェルディが苦手なチーム」

これがマリノスにはじめて抱いた印象、そして出会いだった。30年近くも昔なので細かな経緯は最早曖昧だが、遅くとも95年の初優勝にはトリコロールが好きな人になっていた。

本腰を入れたのは社会人になってから

マリノスよりベイスターズの方が旗色が良かったこともあり、当初はサッカー中継を時々見る程度だった。なので直に見に行ったのは結構遅かった。
忘れもしない2008年5月3日、旧国立競技場で相手はヴェルディ、左からのクロスを田中裕介が空振りしたのが仇となり結果は敗北。マリノスから裏切った(と言っても当時の監督との確執が真相だけど)柱谷哲二のガッツポーズに忸怩たる思いを抱いたのが初観戦の思い出だ。もっとも半年後の11月28日の日産スタジアムでのヴェルディとの再戦では松田直樹のボール奪取からのカウンターが口火となり雪辱を晴らしている。

この年をキッカケに毎年横浜まで足繁く通うようになった。この頃はどうしようもなくベイスターズが弱かったこと(特に石井琢朗のベイスターズ最終年だった)もマリノスにのめり込む加速となったのであった。コロナ禍により2020年以降は観戦を控えているが、2008年から2019年まで52試合直に観戦している。

これまで観た中で印象に残った試合を3つ紹介したい。

①2011年4月23日vs鹿島(○3-0)@旧国立

東日本大震災でサッカーができなくなり、1か月半後の再開は海に面していたことで破損したカシマスタジアムではなく国立競技場を会場として戦った。開始早々に相手のクリアミスを拾った小椋祥平がそのまま先制して以降は津波の如く押し込まれるが、2点目は右からのCKを栗原勇蔵が蹴り込み、3点目は後半ATにカウンターが決まって止めの固め打ちを決めた。雨の中での観戦は大変苦労したが、強き鹿島相手に気持ち良く勝てたのは爽快だった。

②2013年11月29日vs新潟(●0-2)@日産ス

この年マリノスは中村俊輔の大車輪で破竹の進撃(セットプレーの直接得点だけで5点)を続け、迎えた新潟戦は6万2千もの観客を動員して臨む。しかし当時の樋口靖洋監督の不動起用が災いして運動量で相手に上回られゴールを抉じ開けられず、反対にセットプレーから失点。後半ATのカウンターで2点目を失い大一番を落とした。
試合後自分は「1試合残っているけどこれは優勝できないな」と予感したがその通りの結果となった。一応天皇杯は優勝して面目を施したが、世にも恥ずかしいV逸劇となったばかりか中村俊輔は後に御家騒動でマリノスを逐われ、選手としてマリノス選手としてのリーグ優勝は叶わなかった。

③2019年12月7日vsF東京(○3-0)@日産ス

前述通りマリノスはイングランド・シティフットボールグループのレクチャーの下で改革を行ったが、この改革に異を唱えたのがマリノスの顔ともいうべき中村俊輔だった。不動の地位を脅かされると判断した中村はマスコミを動かして改革頓挫を狙い御家騒動の様相を呈すも失敗、2016年返り討ちの格好で中村はマリノスを逐われることとなる。
それでもチーム改革は進んで課題だった得点力アップに成功、2019年には優勝に大手を掛け、この年2位のFC東京との直接対決に臨んだ。雨の中始まった決戦はパスミスを拾われて何度もゴールに迫られるが凌ぎ、タイの英雄ティーラトンのシュートが相手に当たったのが幸いしゴール、前半終了前には右から切り込んだエリキが押し込みスコアを2-0とする。
後半中頃相手の決定機を阻止したためキーパー・パクイルギュが一発レッドとなる奇禍に見舞われるも緊急登板した中林洋次が沈静させ、反対に素早いリスタートから左サイドを疾走しそのまま決めたのは悩める期待の星・遠藤渓太だった。終わってみれば3-0で優勝を決め、「鞠再興」を祈り続けたのがようやく実り只管泣き咽んだ。
とはいえ考えてみれば雨天の重馬場、キーパーの一発退場並びに緊急登板は2003年の最終節(相手は磐田。緊急登板したキーパーは下川健一)と全く同じ展開だったことをすっかり忘れてたなと苦笑したものだ。

2019.12.7 vsFC東京 3-0○

マリノス応援の副産物

あくまでも独断と偏見だがサッカーが野球より決定的に勝っていると考えているものの一つに

「ユニフォームがオシャレ」

というのがある。フランス国旗と全く同じカラーリングであるマリノスは寒色:暖色:無彩が1:1:1と絶妙に分かれており、これ以上の世界観を知らない。この影響からか色にはかなり気を遣うようになった。恥ずかしながら「ダサい」よりも「オシャレ」と言われることの方が多いのは幸甚と思うし、この得手はマリノスのおかげだ。逆に独断と偏見ながら野球の灰色のビジターユニが大嫌いなのだ。

長年応援する中でいろいろなユニフォームを拝見させてもらったが、僭越ながらここで気に入りのベスト3を挙げさせていただく。

第3位:2007年1st

準優勝:2012年1st

優勝:2002年1st

3つ共通する特徴として「青が濃い」ことがある。あくまでも持論だがマリノスはパンツが白なのでシャツの青が濃いほど見栄え良いと考えている。青が薄いと弱く見えるのだ。30年見てきてベストを挙げるならこの3つを推したい。

ここがヘンだよ。横浜F・マリノス

前回申し上げた通りだが、長年応援しているチームでも疑問反論は憚らない辛口スタンスの為、同じチームを応援する同志といがみ合うことが生憎ながら多い。それでもベイスターズに比べるとある程度勝てているチームだけに不満は少ない。

背広を着た悪魔・下條佳明

ベイスターズでは森祇晶を厳しく評価させてもらったが、マリノスでは下條を挙げさせていただく。
長野県松本の人で今は亡き峰岸徹をどこか彷彿させる覚えやすい顔の彼は選手(ポジションはDF)、コーチ、代行監督、そして背広を着た。あたかも様々なポジションをこなす便利屋系選手の如く形を変えながら籍を置き続けること三十七年に及び、シモさんと呼ばれ人生の半分以上をマリノス球団で過ごしてきたれっきとした生き証人と言える。
だが2010年に松田直樹らのクビ切りを端を発し御家騒動に発展した際、下條は
「(マリノスの伝統とは)日産時代以来のパスサッカーである」
と胸を反らして答えた回答がダダ滑りしてしまったことを皮切りに、質疑応答で答えを言いよどむ場面を連発した。
2014年は自分の選手登録ミスが遠因で天皇杯で敗北(相手は北九州)。しかし足を引っ張りながら下條は責任を取らなかった。ファンの顰蹙を尻目に結局下條は16年3月に定年を迎えるまで権力の座を保持し続けている。

「やりたがりなボスとなら合う」という好意的意見も散見するものの、マリノスの優勝を15年も待たせた最大の戦犯は下條だと当方は強く主張したい。実際、下條はこのあと名古屋でGMの座に就くも、名古屋では勘定ミス(※原因としては元イングランド代表であるジョーを獲得した際に、下條はユーロとレアルを読み違えて選手こそ獲得したがいち選手に4倍もの経費を注ぎ込んだためとされている。)を起こして球団のカネを浪費した科により1年で解任の憂き目をみた。「古参」の肩書はマリノスでしか通用しなかったといってよい。
22年より下條は故郷の松本でサッカー人としての総仕上げに取り組んでいる。J3からの巻き返しを期す松本だが、今のところ下條は松本に結果を齎してはいない。どんな結末を迎えるのだろうか?

功労者/ワン・クラブ・ザ・マンが少なすぎる

中村の場合は既得権益を守ろうとした結果という一応の動機は窺えるが、やり方が過激すぎてどうにもクリーンと言えず今となっては然程の同情は感じない。ただマリノスは総じて功労者に冷たいチームであることは否めず、マリノスを出た選手が違うチームのユニを着て敵味方として相見える場面が多すぎるとは思う。中でも衝撃的だったのは2010年の松田直樹戦力外だった。チーム若返りの目指し大鉈を振るったが、中でも16年仕えたマツを切る決断は当時の社長決死の努力で鎮静化したものの、座り込み事件にまで発展している。

ただし2019年頃からマリノスに関係ない試合も多分に見るようになってから、シティフットボールグループが来て以降人事が大幅に流動的になってからは「仕方ないのかな」と思えるようにはなったと思う。特定の選手への特別扱いは勝ち続けるためには結局足手纏いであり、もう一つの応援チームであるベイスターズも落合博満が抜けた後の中日も不動起用に後には暗黒時代が待っていた。

チームは進化し続けなくてはいけない。自分の思い切りの悪さは否定しないし、吹っ切れたとはまだ言えない。なれどそれ以上に負けるところはみたくない。結論を言うとまだ迷いはある。

最後に

前回のベイスターズと同じ横浜を本拠とするマリノスだが、ファンになった経緯もチームの性格もまるで異なると思う。チームが負けると巻き添えで辛い目に遭うため悲しい思い出も少なくない。それでも我が人生でかなりの割合を占めるチームである。勇気をもらい、胸を焦がし、勝利を祈り、耐えざるを堪え、忍び難きを忍び、嬉し涙を流した。これからもベイスターズもマリノスも大切にしていくつもりだ。地元を同じくするチームだが、相容れないのか巡り合わせの悪さからかまだダブル優勝というのを見たことはない。

個人的に「優勝できなくてもいいから降格はしないチーム」であり続けてくれると嬉しい。根がネガティブで心配性で小心者過ぎるといえばそこまでだが、サッカーは降格制度が存在するため大変シビアな世界だからである。

そしてファンはなにができるのか。いちスポーツファンとして成すべきは

「マナー良く応援する」

ことだとおもっている。無論試合会場に赴いて直に声援または拍手を送ること、出資をすることで金銭面で支えることも大切だが長年プロスポーツを眺めていて

「ファンの民度とチーム成績は比例する」

と思えてならない。今回は名を伏せるが思い当たるチームは野球サッカー合わせて3つある。
一つは熱狂ファンは多いが大一番に非常に弱いチーム、一つはチームは強いが誰もサポーターの非行を取り締まれずマナーの悪さが当たり前のチーム、もう一つはマナーの悪さがチーム成績にそのまま表れているチームだ。この3チームに共通するのは「球団選手よりもコアサポの方が偉い」実態で一致しており、いちファンの小さな願いとはいえ応援するマリノスとベイスターズに同じ轍は踏んで欲しくない。

「あなたに取ってマリノスとは?」という問いの答えを兼ねて答えるなら

「オシャレに勝ちよるチーム」

と答えたい。クラブとしての経歴も、ベイスターズよりは結果を期待できるところも、ヴェルディよりは勝ち残れているところも、なにより都市として日本で2番争いできる街を本拠に於いているところも「どこか優秀」で「どこか恵まれている」2点を、オシャレと表現させてもらった。

23年のベイスターズとマリノスの未来が明るいものであることを祈念しながら筆を置く。

読了感謝。

2019.12.7 15年ぶりリーグ優勝直後

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