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銅鏡の獣引き連れ戰です

数年前から、記紀なるものがいまの「コッカ」たるものの礎を固めてゆくために記されるにあたり、封印されたり、ともすると歪められたりしたものことがある、ということに惹き込まれてゆきました。引き込まれてゆきました、という云いようのほうがしっくりするのかもしれません。

いまわたしは播磨地方に住まっているのですが、加西市で開催されていた光田和伸先生の「播磨風土記」の講座を二度ほど拝聴する機会がありました。残念ながら依然から続いていた光田先生の講座は、わたしが拝聴した二度目の回が加西市での最終講義となり、学びの機会はそこから途絶えています。「梅原猛の不肖の弟子」を称される光田先生ですが、梅原猛の名前を冠して、弟子、とおっしゃる光田先生が不肖であるはずもなく、で、その知識量と、的確な考察に基づく深遠な講義の内容は、浅学至極のわたしでさえただただ驚愕するばかりでした。

最終講義の終わったときに、講義室の席を立って歩き始めますと、スーツを着てビジネス鞄を提げた年配の男性がわたしに声をかけてこられました。

「声をかけずにはおれませんでした。」とおっしゃるその方は、お話してみますと高校の歴史の先生でした。大歳神社の氏子ですとおっしゃるその方のお話しを更に伺っていると、隣県のおなじ大学の出身であることがわかりました。
(つづく)

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