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Valenciaの記憶1

#yukippek #本を読む

イギリスNottingham からスペインのValenciaに生活の拠点を移した。イギリスからあっけなく。

ヨーロッパでの動きやすやのために引っ越したと言うかその時のノリと波のようなもの。実際には友人も増え良い紹介もあったと言えば良いか。

住む家もあっという間に決まった。Valenciaから30キロほどの人口300人ほどのTorresTorresと言う村。

とても暑く真っ青な空と海は言うまでもなく、しかし時と共に別の感情が明るく眩しいスペインの陽の影にあった小さな感情と言うか想いが現在では大きく反省となって時に苦しみになっている。隠していた感情と言うのかな。

随分と勝手に好きに生きて来てしまったことか、

一言も文句を言わなかった子供達、家族、それに良い気になってさ、自分一人で頑張ったような顔して、生活してたあの頃の自分、何が後悔って全部だよ、と思う。

それを言ってはその頃の人生は全部否定って事なのか?と我が身に問いただすとYESなのだ。

18歳で1人で帰国した息子、日本での高校卒業の資格もなく後に高校認定試験を受けることになる、あれから様々なことを暗中模索しながら専門学校に行き直し国家試験を受けて現在は専門職で病院で働いている。親の都合で随分と遠回りさせた。彼はそのことを愚痴ったりはない、経験値として捉えているからだ、

長女は18歳でイギリスに残された。シェアハウスに住みギリギリのお小遣いとバイトで食い繋いでいた。時々足りなくて先輩からお金を借りていた。随分後になってその先輩から私が怒られた、無責任だ、もっと娘のことを考えてはいかがですか?って。

その通りだった。娘は困っても私には決して言わなかった、言えない関係でもないのに、、でも言えなかったのだろう。私の仕事は1人では回らないくらい忙しくなっていた。

19歳、学校を卒業した。随分良い成績だった、その後帰国してbiologyの専門を選び大学に入った、え?だったが本人がそうしたかったらしい、肝細胞とか私にとっては難しい分野の研究所に勤めやがて娘は結婚した。そしてしばらくしてずっとやりたかった事の入り口に最近立てたと話していた。3Dの仕事がやりたかったんだよね。とうとうゲーム制作会社に勤められたんだ。随分喜んでいた。それが最高に嬉しかった。彼女もまた遠回りをした。させた、、かな。

今この事をあの時はごめんね、勝手で、、なんて言ってもはぁ?と言うに違いない、言わないけど。

あの時の私では無いしあの時の娘はとっくに成長している。手足があって元気でいる、それだけで良いと思う今、やっぱり無責任だな私は。

アイスコーヒーにレモンピールを一欠片入れたグラスと氷が溶ける感じが思い出される。

今日はValenciaとは関係ない話だったけど

つづく





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