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新生活という暖かな地獄を

※この文章は、昨年(2023年)に書いたものです。スマホのメモアプリに入っていたので、載っけました。


8時50分すぎ。
最寄り駅に電車が到着し、いつもの扉から乗車する。

この時間帯の車内は座ることが出来ないくらいには混んでいるが、たまにひとつかふたつ空いている席を見つけたらラッキーと呼べるくらいには空いている。

どうせ高校生だから私より遠くまでは行かないだろう=私が降りるより先に降りる=空席になる

というほとんど勘と言ってもよい程の推理をして座っている高校生の前に立ち、吊革を掴んでいる。

目の前の高校生がどこの高校に行くのかを制服だけで判断できるほど学歴に詳しくは無い。

車内には私を含め数えるくらいしか吊革を掴んでいる人がいない中、それとなく座っている人を見渡してみる。
4月3日、月曜日の朝9時のことだ。

斜め後ろの席に、前髪を根元から耳元に沿って最短距離になるように分けているスーツを着た女性が3人ほど並んで座っている。量産型とはこのことを指しているのだろうか。江戸時代に描かれた浮世絵の女性のように見分けることが難しい。

4月3日。月曜日。朝9時。月曜日。

今日という日がいわゆる新生活一日目であるということに気づいた。
目の前の高校生の制服にシワのようなものはひとつもない。
かといって目が泳いでいるわけでも電車の扉上にある路線図を眺めているわけでもないことから彼女が1年生ではないということをまたしても勘のような推理を働かせてみる。
吊革を掴んでいる私の目の前で、まるで世界に自分しかいないかのように肝を座らせ、スマートフォンをいじっている。

新生活かぁ、と感慨深く車内を眺めてみても私を含めた多くの人は目が死んでいる。
これは朝だからなのか、それともまたこの生活が始まってしまったからなのか。それとも新しい環境に緊張しているのか。
とりあえず、朝のせいにしておきたい。

少し離れたところにいる、髪色を派手に染めて整髪材のテカリが日に当たる時に僅かに見える彼はきっと大学一年生なのだろう。死んだ目の中にワックスの油分をロウソクの蝋代わりにかろうじて消えていないだけの炎を灯し、スマホを開いたり閉じたりしている。

今年の3月半ばからマスクの着用は個人の判断によるものとなったが、車内では私と同じ年代に見える何人かだけがマスクを外している。かくいう私はしっかりマスクをつけている。
「え、めんどくさくね?」という単純かつ正論でしかない10文字足らずの理屈を並べてマスクを外すことができる人が本物の陽キャなんだなぁ、、、と剃り残しているかもしれない髭を隠す目的だけでマスクをつける私を見えない敵は追い詰める。

東京方面に近づくにつれて車内は込み合う。目の前の高校生は次の駅で降りるのか、次の駅に着くというアナウンスが聞こえ始めると、まだホームが見えてもいないのにそそくさと席を立つ。
案の定私より先に降りた。私はその空席に座り、この文章を書き始めた。
電車の乗り換えがあるこの駅では人の移動が多い。車内から降りる人と電車に乗る人の差が正の数になるため結果的に車内に人が多くなる。

しばらくして乗り換えのため私は駅を降り、向かいのホームに立つ。
同じ電車から同じ電車に乗ろうとしている青年もおそらく大学1年生だろう。
乗り換えの電車があっているのか不安そうにスマホと電光掲示板を交互に見ている。

今年の春で大学3年生になった。なってしまった。

中高生ならやれ勝負の年だの受験だの大人が騒ぎ始めるが、大学生にそんな催促をしてくる大人はいない。どころか、自分自身が20歳の壁を越え大人になってしまっている。
もうスマホを見ながら恐る恐る電車に乗ることは無いし、たかが1時間もない健康診断のために誰かを待って一緒に登校するなんてこともしない。だってもう3年生なんだもん。
それよりも早く学生証を更新して定期券を買わないと。
履修の確認をしておかないと。

いつものように落ち着いた状態で登校する私。
この話にオチは無い。

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