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私の人生、本当におもろいのは、たぶんここからやで。

なんだかバタバタしていたのと、関連する記事を書きすぎたのとで、ちゃんとした報告記事を書くのを忘れていた。

何のことかというと、私がライターとして参加している「酒蔵萬流」という日本酒の業界誌をようやく10年間やり遂げられた、ということ。

どうして10年やり遂げたかったのか、その想いはこちらに書いた。
しばらく固定記事にしていたら、読んでくださった人もたくさんいるようで、ありがたい限り。

そして、10年の最後になる記事の取材に行った話もこちらに書いた。

これで終わった気持ちになっていたのだが、肝心の「発行されました!」の記事を書いていなかったことに気がついた。

改めて・・・
無事に発行されました!

発行は1月20日だった・・・

年4回発行の季刊誌で10年なら「40号」のはずだが、コロナ禍で取材ができず、1号休刊したので「39号」になっている。

取材した記事の内容はお見せできないが(有料なので)、こんな感じのページになった。

岩手県の磐乃井酒造さまを取材(4ページ)

WEB記事はこちら▼

※有料会員になると他のすべての記事も読むことができますが、日本酒業界向けの雑誌のため、内容が非常に専門的です。
よって、本当に日本酒に興味がある人にはおすすめできますが、「ちょっとどんなのか読んでみたい~」くらいで会員になると年間3,300円もするので、もったいないかなと思います。

Kaoriより

記事は、編集デスクからは一発OK。修正なし。
蔵元からもほぼなしで、ちゃんと「自分の文章」を掲載してもらえた。
この他に、飲食店取材の記事も1本書かせてもらった。

これで目標だった「10年」を達成!!
精神的なプレッシャーも、途中から病気を抱えての取材も大変だったけど、なんとか逃げずに、あきらめずに、やり遂げられた。
そのことを私は自分で誇りに思う。
「ライターとして、日本酒の専門誌を10年書き続けました。取材した酒蔵は北海道から九州まで全国100社以上です」
胸を張ってそう言える。

「今までいろんなメディアに取材してもらったけど、あなたの記事が一番よかった」
そんなうれしい言葉も、100社余りのうち、数社からいただくこともできた。ライター冥利に尽きる。

もう十分だ。
何の取り柄もない劣等感の塊で、社会不適合者の自分が、ここまでできた。
私、がんばった!
自分で自分を褒めてやる。
もう十分。この矜持を胸に抱いて生きていこうと思う。

だから、昨日の検査結果も冷静に受け止めることができた。
ここからとてもシビアな話になる。

4ヶ月ぶりのCT検査と血液検査の結果、私の再発がんはものすごい速さで進行していた。新たな転移もあった。
腹膜播種、骨盤リンパ節の再発がんなので、お腹に5つくらい腫瘍があるのだが、一番大きなものはなんと7センチを超えていた。他もしっかり成長中で、そりゃ毎日お腹も痛くなるわな、とCT画像を見て納得した。お腹の中で大きな腫瘍がいくつも押し合っているのだから。これくらになると、外から触ってもしっかり存在がわかる。
転移も前からのと合わせて3箇所。それも進行中だが、新しい転移が一番ショックだった。

さすがにこれを見たら、もう治療を先延ばしにはできなかった。いや、どちらにしろ、よほど良い結果でもない限りは、この4月から治療を始めるつもりでいたのだが、思っていたより進行が速いので、一刻も早く始めたほうがいいとのこと。3月初旬からキイトルーダとレンビマの併用療法をやることに決め、その場で同意書にサインした。
私が同意したのを見て、主治医もホッとしたようだった。
「これでも治療しないって言ったら、どうしようかと思った(笑)」と言われて、私も「そうですよね~」と返す。
早速、治療のために必要な追加の検査(採血、心電図、レントゲン)をこの日にやることになった。
広い大学病院の中を検査のためにあちこち動き回りながら、「ああ、この感じ、懐かしいなぁ」と、治療が始まることを肌で感じていた。

読んでくれている人のために、念のため説明を2つ。前にも他の記事で説明したことがあると思うが、もう一度。(面倒な人は飛ばしてね)

①なぜこれまで治療をしなかったのか
私は西洋医学を否定しているわけではないし、実際、2019年夏に再発してからすぐに9クールもTC療法という抗がん剤治療を受けている。効果もあり、4割くらい小さくなったので続けたかったのだが、9回目に抗がん剤の一部(カルボプラチン)のアレルギー反応が出て続けられなくなってしまったのだ(続けると命の危険あり)。

もともと私のガンは治療法の選択肢が少なく、さらに「再発」なので病院側も「延命治療」しか考えていないから、治療にあまり積極的ではない。選択肢はAP療法という別の抗がん剤くらいしかなかった。
これはTC療法よりかなり副作用が強い。心毒性や腎毒性もあり、受けるのは勇気がいる。それに、もし頑張って受けて治るのならいいが、副作用は100%出るのに、効果は40%くらい(それもどういうデータなのか不明)と言われたら、「受けます!」という気持ちにはならなかった。
特にその頃は痛みもほとんどなかったし、「ガンが体にある」というだけで、普通の健康状態と何ら変わることがなかったのだから、よけいに拒否したくなった。

たまに「なんで抗がん剤受けないの?」と軽く聞いてくる人がいたが、受けたことがない人にはこの気持ちはわからないのだと思う。
ドアを開けたらその向こうで拷問が待っているのがわかっているのに「なんでドアを開けないの?」と聞かれているような気分だった。
開けたくないよ!あんな苦しいのに、あんな怖いのに。それで治る可能性はほぼないのに。今、元気なのに。
私は仕事も続けたかったし、QOL(生活の質)を下げたくない、という思いが強く、他に選択肢もなかったので、そこから治療を休止することになった。このままいけるところまでいこうと決めた。
それが2020年5月のことで、2022年2月頃までは本当に元気で昔と何ら変わりなく過ごせていた。

②今回選択したキイトルーダとレンビマの併用療法とは?
選択肢が増えたのは2022年のこと。この療法が保険適用になったのだ。どういう薬かというのは面倒なので詳しく書かないが(気になる人はググってください)、抗がん剤とは違い、免疫系の薬だ。
キイトルーダは3週間に1回の点滴(うちの病院は1泊入院で行う)、レンビマは飲み薬で毎日服用する。キイトルーダのほうがいろいろ恐ろしい副作用があるのだが、実際体に出てみんなが苦しんでいるのはレンビマの副作用のほうみたいで、副作用の強さによっては、レンビマの量を減らしたり数日間休薬したりして調整する。
「起こる可能性のある副作用」は両方合わせると100種類くらいあるかもしれない。でも、どれも確率は0.1%未満とかそんな感じで、実際に起こりやすい副作用は数種類程度。高血圧、関節痛、腹痛、発熱、下痢、皮膚の炎症、倦怠感などが主なものだ。
抗がん剤でもそうだが、副作用には個人差があるので、何がどれくらいの強さで出るのかは、やってみないとわからない。

とにかく保険適用になったのが最近なので、通っている大学病院でもデータがほぼなかった。バックアップ体制も整っておらず、効果が出ないまま副作用が辛くてやめる人もいたと聞いた。だから主治医も「絶対受けたほうがいい」とは言わなかった。
でも、2年経ってうちの病院だけでも数十人のデータが集まり、副作用に対するバックアップ体制や薬の量の調節などの対応法が確立された。それで、この間から主治医が「受けてみたら?」と勧めてきていたのだ。
効く人には「劇的に効く」といううれしい噂もある。それでこの治療法を選択した。(まあ、他に選択の余地はないのだが)

本当は前回の10月の検査の時に治療を始めていたら、ここまで進行しなかったし、転移も防げていたかもしれない。
でも、こんなの「もし、~たら」の話だ。
あの時、私はどうしても今シーズンも酒蔵へ取材に行きたかった。「10年」を達成させたかった。だから、今も何も後悔していない。
逆に今回すんなりと治療を受け入れられたのは、もう「10年」を達成できていたからだ。それくらい思い残すことがなかった。

だからだろうか、こんな悲惨な検査結果を突き付けられたというのに、私はほとんど動揺していなかった。泣きもしなければ、嘆きもしなかった。夫の方が顔面蒼白になっていて、「かわいそうに」と他人事のように思ったくらいだ。
その時に気になっていたのは、副作用やなんかより、3月にすでに入っていた取材のことだった。
診察室を出てまず言ったのが「E本さんに連絡せな~」だった。
3月に京都と北海道の取材が入っていたからだ。幸い3月後半だったので、まだ他のライターに変更できる。慌ててLINEした。
迷惑をかけてしまったが、仕方ない。本当は治療を4月からにしたかったのだが、もう1ヶ月は待てない状態だった。

でも、追加の検査が終わって帰る車の中で、私は言った。
「なんか、スッキリしたわ~」
夫は意味がわからないというような顔をしている。そりゃそうだ。
フツー、この検査結果を見て「スッキリ」ってなんやねん、ってなるわな。
でも、本当にスッキリした清々しいような気持ちだったのだ。
「ホッとした」という表現も合うかもしれない。

私はたぶん去年の10月からこの治療を受けたかったのだと思う。もちろん効果があるかどうかはわからないし、かなりしんどいと言われている副作用も怖い。また拷問が待っているドアを自分の手で開けないといけないのだから、そんな恐怖ってない。

でも、マジで、ほんまに、ほんまに、この2年間、痛みに耐えてきたのだ。来る日も来る日も、365日24時間、思考を占めるのは痛い痛いばっかり。お腹抱えて、ぐったりして、はぁはぁ言いながら階段上って家事をして、お腹を押さえながらパソコンに向かって、30分ごとに体を休めて。人に会う時や取材の時は、家を出る直前までソファで唸っていても、痛み止めを多めに飲んで、絶対痛みを悟られないようにずーっとニコニコ笑って。「今日は調子良さそうでよかった~!」なんて言われてホッとして。人と別れた瞬間に倒れ込むようにお腹押さえてトイレに駆け込んで、家にたどり着いたら呻いて泣いて。夜中も何度も起きて湯たんぽを作って、手で持てないほどの熱湯の湯たんぽだからお腹も背中も低温やけどでアザだらけ。それでも「痛み」よりマシで、熱い湯たんぽを押しあてていた。(既定の温度を超えすぎていて、2つの湯たんぽに穴が空いた)

しんどかった。痛かった。もう何度も何度も死にたかった。
死んだ方がマシだと何度も思って、苦しかった。
辛かった。辛かった。辛かった。
痛いの嫌だった。痛みから解放されたかった。
早くラクになりたかった。
死んでラクになるならそのほうがいいとさえ何度も思った。

でも、私はまわりの人が大好きで。
家族も友達も仕事仲間もnoteで出会った人たちも。
大好きな人たちと接している間だけは、楽しくしたかったし、本当に楽しくて幸せだったのだ。だから、元気な姿だけ見せたかったし、「がんばって」「応援してる」と言われたら、前を向くしかなかった。
ずっとあの楽しい時間と空間を守りたかったんだ。

仕事も同じ。
取材も書くことも好きでたまらない。だから、やめたくなかった。
体が動かなくて本当に辛い時もあったけど、いいものを作りたかった。
だって、私、それしかできない人間だから。
私から「書くこと」を取ったら、もう何も残らない。私が私自身を救えなくなってしまう。

でも、もう仕事もやり切った。これから「書くこと」は「本」でやっていくと決めたし。
なんかホッとした。スッキリした。
もうガンの進行も来るところまで来てしまったから、あとはできる治療を精一杯やるしかない。余命は宣告されなかったので、そんなすぐには死なないはずだ。
これからこの痛みとはまた違う副作用で苦しむことになるのだけど、それもかまわない。ドアを開ける勇気はもう持っている。

主治医に「最初の2ヶ月をとにかくがんばろう」と言われた。その2ヶ月で自分に合った薬の量やペースを調整し、副作用との付き合い方を見ていくのだ。週1ペースで病院に通い、今の婦人腫瘍科だけでなく、内科や皮膚科などいろんな「科」をまわることになる。
その調整がうまくいけば、副作用と付き合いながら、日常生活もこなせるようになるという。

それに、何の根拠もないけど、この治療、効く気がするのだ。
昨日、夫に宣言した。
「最低限の副作用に抑えつつ、半年間でガンを治してみせるわ!」
おお~!と驚く夫。
まあ、本当は治らなくても、進行が止まるだけで十分効果が出ていることになるのだが、目標は高く持った方がいい。
「何も心配することはない」と夫の肩をポンポンと叩き、私は笑顔を見せた。「気合なら負けへんから」。
なんか知らんけど、こうなった時(追い込まれた時)の私って、本当に強いのだ。負け知らず。病気のことだけでなく、奇跡は何度も起きている。

そうそう、実は、来週もう1件だけ取材が入っている。
秋田の酒蔵へ行ってくる。
治療は3月からなので、ギリギリセーフだ。
これが本当に「最後の取材」になるかもしれないけど、これがとてもとても思い入れのある憧れの酒蔵なので、最後の酒蔵がここで本当によかったと思っている。

いや、正確には「今シーズン最後」の酒蔵だ。
治療をがんばって、治療に専念して、何か結果を出して、必ず来シーズンも取材ができるようにする。
E本さんに「必ず必ず戻ってきてください」とLINEで言われたから。

待ってくれている人がいるというのはなんと心強いことか!
さあ、私のがんサバイバー生活も、ついに「シーズン4」に入る。
シーズン1は「ガンになったよ」の巻
シーズン2は「ガンが再発したよ」の巻
シーズン3は「ガンの痛みに耐えるよ」の巻
そして、シーズン4は「ガンから復活するよ」の巻だ。

みなさん、どうぞお楽しみに!
私の人生、本当におもろいのは、たぶんここからやで。
キャッチコピーは「noteのまちが泣いた!この奇跡を見逃すな!」でどうでしょう?(笑)

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