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Windows95搭載のパソコンを使っていた人、いませんか?

Windows95というOSが搭載されたパソコンの発売は、その当時、かなり衝撃的な出来事だった。
それまで「パソコン」というものは、オフィスにあるか、一部のマニアックな人(それも部品を買ってきて自分で組み立てるようなタイプ)が趣味で使っているか、どちらかだった。

発売当時、私はといえば、24歳。大学を卒業して、塾講師のアルバイトをしながら小説を書き散らしていた頃だ。
文章を書くのに使っていたのは、富士通のオアシスというワープロ。確かロールの感熱紙に印字していくタイプだったと思う。

アルバイト先の学習塾の塾長がパソコン&ビジネスオタクで、「これからは一家に一台パソコンが当たり前になる。パソコンがあれば文章を書くだけでなくいろんなことができる。インターネットで世界中とつながる日がやってくる」と熱く語ってきたので、私も買うことを決意。
塾長についてきてもらい、大阪の日本橋(当時はヨドバシもなく、電化製品を買うならココだった)へ、Windows95が搭載されたパソコンを買いにいった。

日本橋じゅうのショップをまわり、一番安い店を見つけたが、それでも26万円もした。ワープロで馴染があったので、富士通のものを選んだ。
お金なんかなかったから、塾長に払ってもらい(!)、毎月の給料から2万円ずつ引いてもらうことになった。
(※余談だが、塾長がすんなり大金を出してくれたのにはわけがある。この後、私は塾長の計らいでパソコン教室に通うことになるのだが、実は塾長はサイドビジネスでパソコン教室を開こうと企んでいて、そのビジネスを私に手伝わせようとしていたのだ。)

こうして初めてパソコンが我が家にやってきたのだが、今思えば、とんでもない低スペックだ。一般的に、確かこれくらいだったと記憶する。
CPU:Pentium75MHz
メモリ:16MB
HDD:800MBくらい?
これにフロッピーディスクドライブとCD-ROMドライブが内蔵されていた。

価格が高かったのは、Microsoft Office(WordとExcelとAccessだったかなぁ)がもともと入っていたからかもしれない。一般的な会社では、文書を作成するのには「一太郎」、表計算は「ロータス1-2-3」などを使っていた時代だ。

当時のパソコンは起動させるのにも1分くらい待ったし、とにかくよく不具合が起こった。何度フリーズしたかわからない。どうしようもなくなって、再インストールするなんてこともよくあった。

それでも、初めて持ったパソコンに私は夢中になった。インターネットをするのに契約したプロバイダはニフティ。といっても、まだインターネットにつなげる機器をほとんどの人が持っていなかったので、当時は「パソコン通信」だった。ニフティ会員同士がネット上で、掲示板のような場所で共通の話題について語ったり、個人的にメールをやりとりしたりできる。電話回線なので、めちゃくちゃ遅い。

でも、楽しかった!
生まれた時からパソコンやスマホ(携帯電話)があり、SNSで簡単に人とつながることができるのが当たり前の世代にとったら、この感覚は理解できないと思うが、「見知らぬ人と家にいながら知り合える」というのは、本当にすごいことだったのだ。
それまではペンと紙を使った「文通」くらいしかできなかったのだから。(よく雑誌に『文通しませんか?』のコーナーがあって、住所や名前が載っていた。個人情報ダダ漏れ……すごい時代だな)

私はパソコン通信で何人もの「メル友」を作った。まだパソコンを触る女性は少なかったので、メル友は男性ばかり。中には「会いたい」と言ってくる人もいた。時にはメールでの議論が白熱しすぎて暴言を吐かれ、深く傷ついたこともある。
多少は嫌な思いもしたが、それでもパソコンは私の世界を広げてくれた。

それから3年後、Windows98が発売されると、さらにパソコン環境は良くなった。私は富士通パソコンとさよならし、SONYのVAIOというちょっとおしゃれな(当時の感覚ではだが)パソコンを新たに迎え入れた。
95の時は、私がどんなに勧めても、「あなたはライターだから仕事で使うかもしれないけど、私みたいな一般人は家でパソコンなんて使うことはないよ」と言って拒否していた友人たちも、その頃には「一家に一台」の必要性を感じてパソコンを買い始めていた。身近な友人がみんなパソコンを持ち始めると、いろいろなやりとりをメールでできるようになった。

また、私はいち早く「デジカメ」を購入し、「ホームページビルダー」というソフトを入手して、自分のホームページを立ち上げた。
タイトルは『食材と器で料理は決まる』
私はこのホームページ作成に夢中になり、「これを自分の人生の集大成にするんだ」と意気込んで、レシピや器のほか、紅茶のこと(当時は紅茶マニアだった)、読書感想文、旅のエッセイ、京都の神社仏閣の紹介、Bluesアルバム紹介など、とにかく好きなことについて書きまくった。

また、「掲示板」や「日記」をレンタルし(まだブログなどないので、可愛い掲示板や日記を月額300円くらいで貸してくれるサイトがいろいろあって、そこから借りていた)、私のホームページを訪問してくれた人たちとそこでやりとりをしていた。日記は数年間にわたって毎日書いていた。

見知らぬ人たちが自分の書いた文章を読み、自分の好きなものに共感してくれ、感想をコメントで残してくれる。「かおりさんのファンです」「日記をさかのぼって全部読みました」「今日の日記の文章が心に響いて、プリントして何度も電車で読み返しました」などと言ってくれる人たちも現れ、嬉しくて仕方がなかった。

あの頃は、このnoteやブログみたいに簡単に自分の文章を発信できるツールがなかったから、「自分のホームページを持っている人」というのは、かなり強い思いで「何かを伝えたい人」だったと思う。
だから、その当時の個人ホームページはすごく面白かった。マニアックで、いろんな想いがあふれていた。今のようにいろんなところから情報を引っ張ってきた「まとめ記事」なんかじゃなく、その人が実生活の中で体験したり知識を得たりした「真の情報」が書かれていた。
それを読みに行って交流するのは楽しかった。クックパッドなんてないから、レシピを紹介し合うのも貴重だった。

ホームページのトップページにはカウンターを付けているので、毎日何人訪問してくれたかわかる。「1000番」「3333番」などキリの良い番号を踏むことを「キリ番ゲット」と言い、掲示板で申請してくれたら、その人に何かプレゼントするということもあった。メールで住所を聞いて、手作りのコースターなどを送っていた。
逆に、「かおりさんに使ってほしい」「かおりさんに食べてほしい」と、熱烈なファン(?)から食べ物や雑貨が送られてくることもあった。今でもいただいた革のブックカバーを大切に使っている。
オフ会も一度開いたし、ホームページで知り合って、今でも年賀状をやりとりする女性が2人いる。
見知らぬ人との交流はリスクもあるかもしれないが、おかげさまで怖い経験は一度もなく、ただただ良い時代だったなと、ほのぼのとした気持ちで振り返ることが多い。

今年、noteを始めて、コメントでいろいろな方と言葉を交わすようになった。顔も本名もわからない人が多いが、互いの記事を読んで感想を伝え合ったり、情報を交換し合ったりしていると、ものすごく身近に感じる。何よりそういうやりとりが楽しいし、学びになることも多い。
コメントを書いたり読んだりしていると、ふとホームページ時代のことを思い出す。あの頃の優しくて楽しかった交流と重なる。

よくいろんな人が書いているが、本当に「noteの街は優しい」と思う。
私は仕事以外で自分の書きたいことをこうやって自由に書けるし、読んでもらえるし、スキやコメントまでいただけるし、ありがたくて仕方がない。
これまでは他人の書くものに興味がなく、ブログなどもほとんど読んだことがなかったのだが、noteではいろんな人の記事を読ませてもらっている。びっくりするほど文章が上手い人もいるし、情報を得たり考えさせられたり、私の感性も少し豊かになってきたように思う。(皆さんのおすすめ本を買いすぎて、積読が増えて困ってはいるが……)

夫が私に「かおりはnote始めてよかったなぁ」とたびたび言う。書く場所を与えられて、まさに水を得た魚のようだと私も思う。
今、気持ちはWindows95の頃のようだ。パソコン通信を始めた時のように新鮮で、刺激的で、豊かな気分。
昔と違うのは、パソコンがサクサク動くこと。便利なツールがたくさんあること。スマホと連動できること。
気がつけば、この間、私のnoteも100記事を超えたらしい。
これからもマイペースに、楽しく書いていけたらいいな。優しいnoteの街の住人として。

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