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【治療日記17】Kaoriの2センチ

前回の【治療日記】で緊急入院した、という話を概要だけ書いて、それからのことを更新していなかったので、今日はあの日のことをもう少し詳しく、そして、その後のことを書こうと思う。

まず、先週の水曜日。私は本当にふらふらだった。39℃の熱、手足のふるえ、食欲不振、倦怠感、便秘から水便へ。口の中はカラカラに渇き、まぶたは半分落ちていた。
夫に支えられながら診察室へ入ると、私の姿を見て先生が慌て始めた。血液検査の結果も気になるところがあったし、検尿は、ただの1滴もとることができなかった。
すぐにCTを撮り、車いすが用意され、入院棟へ運ばれた。夫は入院に必要なものを取りに帰ってくれた。
この時点でも私はまだそんなに自分が大変なことになっているという自覚がなかった。副作用が強く出ているけど、何も入院までしなくていいのではないか、せめて一度帰って準備して明日来るのでもいいのではないかと先生に抗議したくらいだった。
「命にかかわるから!入院して。ここにいてくれたら何とでもなるから」
そこまで言われ、ようやく自分がかなりギリギリのところに立っていることに気づいた。

車いすで大部屋に入れられたのが水曜日の16時頃。それから金曜の18時頃まで丸二日間、一度も途切れることなく点滴が続いた。栄養や何か、4種類の点滴を繰り返し、繰り返し、ずっと。
それから体に3箇所、何か貼られた。心電図を見ているらしい。あとは指に酸素を測るやつをつけられた。体からいろんな線が出ている状態。とにかく煩わしいし、動きにくい。

最初に看護師さんに「お熱測りましょうね」と言われて測り、体温計を渡した時、看護師さんがものすごく大きな声で「39℃!!」と言って、その声にびっくりした。看護師さんも「すみません、大きな声出して」と謝るほどだった。どうも私は人から見ると、それほど辛そうに見えないようなのだ。本当はしんどいのだが、人に対してすぐ何でもないような顔をしてしまう。

でも、本当に熱にはそれほどダメージを受けていなかった。一番困ったのがトイレだ。点滴を続けているのでどうしてもトイレが近くなる。だが、「この患者さんは足がふらついて歩けないので要注意」のふれこみがあったらしく、絶対に一人では行かせてくれない。ナースコールで呼んで、車いすに乗せてもらって、点滴棒と一緒にガラガラと看護師さんに連れていってもらわなければならないのだ。体からいっぱい出ている線もまとめて小さな袋に入れて首から下げているので、とにかく不自由。帰りも同様。
またここで性格が出る。何度も看護師さんに来てもらうことが申し訳なくて、熱よりしんどいのより、そのことで常に頭はいっぱい。毎回ギリギリまで我慢するのだが、それでも何度もナースコールをしてしまい、そのたびに申し訳なくなってしまうのだ。

だから、金曜日になって「もしかして、もう歩けます?」と看護師さんに聞かれた時には、「はい、はい、歩けます!!」と強く返した。それで車いすはなくなったのだが、結局「付き添い」は必要と判断され、ナースコールを使うのは変わらなかった。

食欲は少しずつ出てきた。入院当日は何も口にしなかったが、翌日からは3分の1くらいは食べられるようになった。というか、無理してでも食べるようにがんばった。点滴のおかげか、少しずつ元気になってきたことも自分でわかった。
昼も夜もなく、ただベッドの上で寝ているだけだったが、短いWEBの原稿を1本だけ書いた。入院する予定などなかったから、どうしても提出しないといけなかったのだ。指に酸素を測るやつがついているし、目もあまり開かないから、短い原稿を書くのにものすごい時間がかかってしまった。

コロナ禍以降、お見舞いが禁止になり、「家族のみ2人まで」最初に申請しておけば、「15分だけ」面会ができる。15分なんてあまり意味がないと思ったが、木曜も金曜も夫が来てくれた。やはりしんどい時はこの15分も意味があるな、と思った。夫の顔を見て少し話すだけでも心がやすらいだ。

そしていよいよ金曜の午後、看護師さんに「明日退院できそうですよ」と告げられる。やった!
点滴も金曜の夜には終了し、この夜、初めて一人でトイレに行くこともできた。まだふらついていたが、とりあえず歩くことはできた。

土曜の午前中に退院。夫が迎えに来てくれた。
それからは「日にち薬」という感じで、日、月、火曜と時間が経つにつれて、私はどんどん回復していった。
一番嬉しかったのは手のふるえがおさまったことだ。パソコンはまだ時間をかければ書けたが、スマホは本当に無理だった。1行書くのにも数分かかる感じで、人に連絡をとるのも難しかった。
食欲はほぼ戻った。普通に一人前を食べられるようになった。食欲がわいたので、自分で料理をしようという気持ちになった。この1カ月半ほどずっと夫が料理をしてくれていたので、台所に立ったのが久しぶりだった。
毎日1品だけど、食べたいものを作った。やっぱり自分の料理が一番口に合う。完食するたびに夫が手を叩いて大喜びしていた。それに、私が作った料理を久しぶりに食べられるのもうれしかったようだ。夫には本当に感謝しかない。

そして今日、水曜日。あれから1週間後の診察だった。先に採血と検尿をしたが、今度はちゃんとオシッコも出た。
主治医も私の顔を見て「どうですか~?」と聞きながらもホッとしたようだった。採血、検尿、共に問題なし。休薬しているので副作用もないことを話した。
「次はあそこまで行く前に電話してね」と優しく注意された。「ほんまにヤバかったよ」と。また、自分が無理をさせすぎたと反省しているとまで言ってくれた。結果が出ているので薬を増やしたくなる気持ちは私も同じだし、先生のせいではないのだけど。
そして、今後のことを相談した。
結果的に、キイトルーダを来週の5月1日(水)に1泊入院で点滴。同時にレンビマを10mgに減らしてスタート、ということになった。あと1週間は休薬して、完全に体を元に戻す。

最後に入院前に撮ったCT画像をまだ見ていなかったことに気づき、「見せてください」とお願いした。入院中、私の病室へ寄って「CT、すごかったよ。めっちゃ効いてる」という話はしてくれたのだが、実際の画像は見ていなかったのだ。
「あ~、まだ見せてなかったっけ?すごいよ」と、嬉しそうな先生。
前回のものと並べて画像を出してくれた。本当にすごかった。お腹にあるいくつかの腫瘍がことごとく小さくなっていたのだ。目で見てわかるほどに。
「こんなに効く人、見たことない」と先生。「死ぬ気で頑張ったかいがありました」と言うと、ワハハハとみんなで笑ったが、「いや、今やから笑えるんやで」と軽く注意された。そう言いながらも先生は嬉しそうだった。
画像で測るとだいたいどれも直径2センチくらい小さくなっている。肺に転移していたものは、もともと米粒以下の小さなものだったのだが、もう形がわからなくなるほど薄く消えかけていた。
「こんなこと、ほんまにないよ」と何度も言われ、この薬のおかげであることはもちろんだけど、やっぱり自分は何者かに守られているという気持ちが強まった。たくさんの人の祈りが、ちゃんと伝わっている!!

これだけ小さくなったおかげで、あんなに痛かったお腹もほとんど痛くなくなった。今日、久しぶりに「まともな生活ができてるなぁ」と感じた。
ご飯を食べて、寝て、起きている間は何かしら活動する。たったそれだけの当たり前のことが自分にはもう随分長い間、「遠いこと」だったから。

この【治療日記】も更新するのはたぶん次回のキイトルーダからだろう。
それまではまた普通のエッセイを書いていく。
書きたいことがたくさんあるんだ。

前回の【治療日記】にコメントをくださったみなさん、ありがとうございました。また、心配してくださった方、祈ってくださった方々にも心からお礼を申し上げます。みなさんのおかげでまた「奇跡の人」に近づきました。
本当にありがとうございました。あともう少しの間、見守っていただければ幸いです。



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