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フォルトゥナの瞳(映画を見ると泣いてしまう件)


こんばんは、さくです。

つい先日、「フォルトゥナの瞳」という映画
を見ました。


深夜に、一人で観ていて、号泣しました。

21歳にして、涙腺が崩壊しまくりなんですが。
なんか、悲しい映画とか、感動する映画とかを
見ると泣いてしまいます。

映画って、鑑賞し始めたら、途中でやめられない
ので、深夜までかかって観て、
号泣することが多々あります。

若干ネタバレがあるので、
嫌な方は、
次の☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
まで飛ばしてください。



なんかね、途中でわかってしまうんですよ。
ああ、葵、みえてるなあ、
きっと、彼女はみえているなあって。

だんだん観ている側がわかっていく演出なのだ
と思いますが、
私は、あまりそういうことに気がつかない鈍感さ
を持ち合わせていますので、
気づけたのはちょっとよかったと思います。

フォルトゥナの瞳を持つが故に
“知らなくていいこと”を知ってしまう。

どうにか助けることはできないか、
もがき苦しむことになる。

助けたら自分が死ぬ。

映画の中で、
木山は、世間から気狂いだと思われても、
日常に彩りを持たせてくれた葵を、
命と引き換えに守ることができてよかった、
そう考えていたことがわかります。

でも、“一緒に生きたかった”
それが、本当に考えていたことでした。


私は、木山と葵には幸せになってほしくって、
飛行機事故の惨状以上に辛い思いをしてほしくなくて。


でも、叶わないのがすごく悲しくなってしまいました。


彩を持った日々を送れば、
白黒だった世界に色がつけば、
それは、木山にとってとてもいいことだったでしょう。

でも、色がついた途端に、
命の期限が迫って、
どうしてって思いました。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

私が思っているよりも、
世界は残酷なのかもしれません。


百田尚樹さんの本が原作の映画を
鑑賞するのは2回目です。

以前は、「永遠のゼロ」を観ましたが、
これも、悲しくて、悲しくて、
涙を流しながら鑑賞しました。


百田尚樹さんって、
関西のおっちゃんって感じの方で
(私の勝手なイメージです。すみません。)

あんなにも涙が止まらないような
お話を書かれているのが
ギャップがあって、ちょっと不思議なんです。
(大変失礼なことを申し上げてる気分です。
そんなつもりはありません。すみません。)

百田尚樹さんの他の小説も読んでみたいと思いました。

皆さんは、映画を見て泣くことがありますか。

ではまた。

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