染まるのは程々にしてくれよ

10/27に新代田crossingで行われた成宮アイコさん・青山祐己さん・内藤重人さんの共同企画によるイベント『ハロー言葉 vol.1 「言えなかったけど、」』にオープンマイクで参加してきまして。10人居る中での9番目という立ち位置、しかもほとんどのみなさんが立ってリーディングするという中で座って読ませてもらいました。
「言えなかったけど、」から始まる詩を…、とのことで読んだ詩をアップしますね。3分以内という決まりのオープンマイクでこの詩を読んだところ、見事に3分ジャストで終わるという奇蹟が起きたようで読んだ本人もびっくりでした。
https://twitter.com/aico_narumiya/status/1056203341045198849
というのもけっこう詰め込んで当日ギリギリになってまで書いたものだったので(追い込まれないと動きにくいタイプ)、3分は超えてしまうんじゃないかと思っていたんですよね…
テーマは「ゲイとして生きているはずなんだけどなんだか合わせざるを得ないことばかりですっごい窮屈なんだよな」ってところからいつものようにプロテストになってしまったというアレです…


言えなかったけど、
僕はいわゆるゲイなんだけど、
最近はやたら窮屈さを感じるんだ
ゲイであること、というよりも、
ゲイであることで
あらゆる肩身の狭さを感じるんだ

僕は飲みに行くことが少ない
ジムに行っていたこともあったけど今は休会中だ
SNSでときおり流れてくる
マッチョモデルが穿くようなアンダーウェアはたまに買う
クマのキャラクターモノも好きだし
髪の毛は短髪にするけれどヒゲは生やさない

まぁ、ある程度の流れには順応する

そう、この合わせざるを得ないところが
自分がゲイであるということの窮屈さを感じるのだ

僕は見向きされたいがために
人に媚びても仕方ないと思うほうだし
仮に身体を鍛えて良い身体になったとしても
振り向かれなければ何もないも同然
ただアンドロイドのように増えていく既製品になりたくない
人と同じとか人と似ているとかありふれたものになりたくない
だがありふれたものでなければ
人は振り向いてくれないことも現実にあるんだ
そんなジレンマと闘っている

だけど、だ
ゲイとして生きる自分を痛感せざるを得ないときがある
それは
ゲイという自分の属性を揶揄されたときだ

田舎に居た頃のいじめからやっと逃げられて、
東京である程度はゲイとして生きられてきたけど、
今度はこんな目で苦しめられるのかと
同じ属性に居ながら同調するような奴らが居て
謝ったら負けとばかりに開き直る国会議員とその周辺があり
声を上げようものならその上げ方ひとつにも揚げ足を取り
重箱の隅でも突かなければ居られない
冷笑家の多くなったことよ

誰かが拓いてくれた道を歩き
その道を絶やさないように道を整え
苦しいときや許せないことが起きたときには
悲しませることが無いようにと
ともに声を上げていくことさえも
「私は幸せだ」「差別を感じたことがない」
そうやって声をかき消していく

対話対話と言いながら対話に応じない
往生際の悪い元国会議員も居る
いつのまにかリベラル憎しになってしまった
雑誌の元編集長も居たっけな

こんなの日本だけだろ?

今の日本は長いものに巻かれていなければ
自分というものを誇示できない世の中なんだぜ

染まるのは程々にしてくれよ

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