ついのすみか(追記あり)

自分に相方さんができてもうすぐ5ヶ月が経つ。所用があるとき以外はほぼ何らかのカタチで逢っている。

レインボープライドのパレードもいっしょに手を繋いで歩き、逢って1ヶ月も経っていないのに家族を紹介されてともに出かけることや、相方さんの家に泊まることもあった。自分自身、こういうことになるとは予想だにしなかった。

「兄ちゃん、いっしょに暮らそうよ」

今に始まったことではないが、相方さんからそう言われたりLINEに送られてたりする。今年は10月までに自分の住むアパートの更新がある。まだ更新の手続きはしていないのだが、「ともに暮らす」となると踏ん切りが付かない自分がいるのも事実だ。確かに「今の兄ちゃんの経済的なことを考えたら、しばらく(同居は)難しいかもね」と言われているのだけど。

現在、相方さんは一軒家の家主で母と祖母と犬と暮らしている。もちろんカムアウト済。その権限なのか、前述通りたびたび来ている自分のことや自分といっしょに住みたいということは予め伝えているらしいのだけど、今の自分の住まいの荷物を考えると相当数処分しなくちゃいけない可能性もあるし、安直に決めていいものか考えると首を容易に縦に振ってはいけない気もしている。

どんなことを話し合っていけばいいのかなぁと思いながら、3日付の朝日新聞のこの記事をじっくり読んでいた。
同性婚、立ちはだかる壁 当事者の思い

自分に同性婚とまでは行かなくても(行く気もないだろうけど)、いざ同性パートナー(自分の場合は「&相手方の家族」ですね)と過ごすということになったら自分はどういうことが気がかりでどういうことが不安なのかふと考えてしまった。自分は渋谷や世田谷での同性パートナーに関するニュースではおおっとなったのはあるのだけど、あまりにもざっくりした覚え方だったのでどこをどうするのか正直分からなかった。こればかりは相手やその家族もあることなので、オツムの弱い自分には難しい話なのだ。

自分の不安を挙げるとすれば、記事にもあるような病院に入院するようなことが起きたときもあるが、まずは『自分や相手の家族の不幸のとき』である。こればかりは避けられないし、自分は自分の家族に対してはきちんと向き合って応対はするのだろうけど、相手方に対しても同様にしなければいけない可能性もある。それに会社の忌引の扱いや、同性パートナーという括りではどんな対処になるのかを知らない。

あとは『自分がどこまで妥協をすればいいのか』である。話し合っておきたいのは、家にはお金を入れるのは当然のことだがどこまでだろうか、郵便物やオンラインで買い物をしたとき不用意に開けられないか(プライバシー)、行動範囲が大きいぶん、ひとりであることで自分がこれまで出来ていたことをともに暮らすということでどこまで制限し我慢するのか(趣味や人付き合い)、どこまで必要になってくるのかなぁと思うと、同居には向かない人間を露呈してしまうようでならない。

「兄ちゃんをひとりにしたくない、離れたくない」

相方さんとは6つ離れているので自分は「兄ちゃん」と呼ばれているのだが、彼がそう言うのは自分をひとりにしたくないからこそなんだと思う。

自分は昨年の春、墓参りで実家のある福島に帰ったときに母に「財産放棄の一筆をしたためてほしい」とお願いされ、悩むことなく書いた。それは自分が過去にポシャってしまった経験もあるし、今現在東京にいる、家を継がないなど、それに自分が亡くなったときにお金が残っていてもというのもあったんだろうと思う。まぁ本家のお墓には入れてもらえるというし、それでもいいのかなぁって。

あわせて今年帰ったときに、こんなことも母と話してたっけ(ツイ引用)。

自分から話したのは同性パートナー制度のことに絡めたことで、自分がいたときのことも含めて、こういった地方にいるLGBTって生活しにくいねって振ったら「そうだろうね」って。うろ覚えだが「でもいろんな生きかたがあるのよね」と言っただろうか。今でこそ自分はこういう話もできるようになったけど、長男でなおかつ田舎に居れば居るほど『結婚』とか『子供の顔が見たい』とか言われるから当事者としては生きづらいし地獄だ。ましてや自分がそうだと気づいたときは思春期かつ反抗期でいじめも長く続いたから今でもトラウマがある。

そして振り返る(ツイ引用)。

生きづらさは都市も田舎も大差はないが、その生活環境や社会情勢の影響もあるのだと思う。政治に携わる人が右に後退するのではなく、今そこに暮らす人や起きている問題に真っ直ぐ向き合ってかつ柔軟に取り組んでいかないと、いつまでも良くはならないんだよね。原発のことも、沖縄の基地のことも、ヘイトスピーチのことも、雇用のことも、LGBTをはじめとするマイノリティのことも、社会福祉のことなども、言論封殺されそうな今の日本という国にいる世の中で、進めるべきものは何で、それは違うと抗うべきものは何か考えないと。

しかし翌月、パートナーができたと話して(ツイ引用)。

母から昨日の昼に電話があって、事前にSMSでパートナーが出来たことを伝えていたのだけど(まさか女性?とも言われたけどそこは姉が分かっていた)、それは都市部だからできることであって、田舎じゃできないよねって言われて、ああ、これが都市部と地方のLGBTIQの現状の差なのかと痛感する。田舎の性的少数者は都市部に出ないと生きられないと思われているんだろうか?それに『ふるさとを捨てた』という言われ方もされたけれど、それは違うよ?実際生活している人たちはすぐそばにいることに気付きも想像もできないのかな?

ここは差があるんだなと感じた一面。

もちろん相方さんは自分の親とも話したいと言っていて、いずれそのときが来たら福島に行って話をするのだろうけど、彼は自分や自分の家族とも信頼関係を築いて仲良くしていきたいのか、若干強気な姿であるのを見ている。逆に自分がかえって縮こまって萎縮してしまうんじゃないかって思って、やや不安ではあるのだけど。


翌日、相方さんと少し話し合いをするけれど、今回、部屋の更新はすると思う。同居についてはいっしょにうまくやっていけるかの自信が未だないし、今すぐに対処ができないのもあるけれど、自分も自分のことにある程度の目処が付き、相手方の家族とじっくり話し合ってまとまることができたら、移動するかもしれない。

そう、未来も、自分の『終の住処』も、まだ分からない。

(9/6追記)
相方さんと逢って少し話をした。結論としては、今回は家の更新をする。自分個人としては付き合って未だ5ヶ月という期間で性急に同居という答えを結論付けるのは違う気もする、という気持ちからだ。自分個人も持ち物の取捨選択をしなければならない。だから1年という期間を設けた。この期間、お互いにじっくり話をする。相方さんもシルバーウィークに自分の親と話がしたいと言ってきたので、それもまた考えねばなるまい。前述のように『都市部だからできることであって、田舎じゃできないよね』と言う親は自分が『相方さん連れてくる』と言ったらどう言うんだろう…

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