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余剰、増やしたくない?

【※先に書いておくと、この文章はあくまでも問題の提訴やズームはするクセに解決案を出さないという一方的なものです。】

前回の記事でビジネスを通じてしたいことリスト(雇用の創出/地域コミュニティの活性化/日本経済の活性化)をあげたが何を隠そう僕は人間が好きなのである。(大学の専攻は組織論でした。)
ビジネスを通じて人との繋がりとか、そういうものに寄与して身近な奴ら(当然自分も)がなんとなく不幸を回避できると良いなとか考える人間である。

そんな自分も起業をしてなんだかんだもう4年目になり、ビジネスというものを通じて社会の姿がぼんやり見えてきたような気がしてるので少しずつ文字に起こしていきたい。
その中であげるいくつかの解釈について、読んでくれる人が社会を考えるきっかけとなれば嬉しい。

②まず、ビジネスというものは当たり前であるが利益を追求する行いである。
利益を追求するということはお金を追求するということである。
踏み込んだ物言いをすると、お金を払ってくれる人/組織のニーズを満たそうとする行いがビジネスであり、お金を払ってくれない人/組織のニーズを満たそうとする行いはビジネスでは無いということである。

つまり僕も含め色んな人が考える「働かずにダラダラしてるだけで生きていきてー…」みたいな欲求を満たすビジネスや、めっちゃ泣いてる赤ちゃん本人に対してのビジネスは存在し得ない(もちろん赤ちゃんを保護したい周囲の人/組織に対するビジネスは存在する)
何故ならその対象はお金を払ってくれないから。
そう、ビジネスは「多かれ少なかれお金を持つ人/組織=ビジネスの勝者=競争の勝者」に対して行われる。

③ここで言う「競争の勝者」は組織においては「プラスの結果」のみで判定を受けるが、個人においては近年「プラスの結果」と「マイナス過程」の絶対値の合計で決まるのでは、と思うことが増えた。

「プラスの結果」というのは平たく言えば「望ましい結果」である。
麻雀選手ならタイトル戦めっちゃ勝つ、陸上選手なら早く走れる、受験生なら東大合格、会社で言えば利益をあげる、NPO法人で言えば目的としている社会貢献を達成する、そんな感じ。

「マイナスの過程」というのは平たく言えば「どれだけ不遇であるか」である。
話題の親ガチャ、持病、負荷の掛かる環境、等を指す。これらは近年、「マイナスの過程」として個人の競争の結果に寄与している要素だと考える。


【個人競争における評価のマトリクス】

④例をあげるとプラスの結果として東大に合格した受験生はそれは素晴らしいことだが、更に苦学生だったりなんらかの苦労話があるなどマイナスの過程があると「こんなに大変だったのによく頑張ったね」ってなり(ドラゴン桜とかもそうだよね)加点要素だし
逆にプラスの結果として全然バスケットボールが上手くない小瀬聡士もマイナスの過程としてまぁ持病で体が弱ければ仕方ないよねともなる(なってくれ)。

⑤このように「マイナスの過程」も競争の要素を持つと考えられる。

⑥社会において競争の勝者というのは「社会全体が生み出した価値における余剰分の分配権獲得」を意味している。

⑦「プラスの結果」の競争の勝者の例としてはざっくりお金持ち(定義がよくわからんけど)とか、自己実現の達成者(世界旅行したい!とかね)があたる。
「マイナスの過程」の競争の勝者の例としては高額療養費制度(自分も本当にお世話になっております…ありがたや)や生活保護があげられる。

⑧しかし、社会全体の余剰分には限りがあるため、全人類が小瀬聡士と同じ骨の病気を持っていても全員が高額療養費制度を使用することはできず、生活保護についても受給の要件を満たす者に限って支給が行われている。
このように「マイナスの過程」の競争は「プラスの結果」の競争に比べ白黒がはっきりついている(生活保護や医療費制度はオールオアナッシングであるが、プラスの結果の勝者は本人の満足さえあれば基本的には勝者と言える為)と言える。

⑨上記のようにビジネスが対象とする「競争の勝者」は「社会全体が生み出した価値における余剰分」を取り合うことでビジネスへの対価を支払っていると考えている。

⑩しかし、少子高齢化やグローバル化が進み、日本は「社会全体が生み出せる価値における余剰分」自体が減少傾向にある。
市場主義によって競争が促進され(これはまた今度深堀するかも)、余剰分の取り合いが激化する昨今、社会は余剰分の作り方についてもっとよく思考/議論をする必要があると考えている。

2023/10/14

【※上記の発言は個人的なものであり、所属する会社(ベストマージ株式会社)の見解では…あります、何故なら僕が代表だからです。】

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