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SNS完全に理解した


おすすめを聞くめんどくさい人、おすすめを断るめんどくさい人

SNS、特にサジェスト(おすすめ)形式のプラットフォームで発信者の立場を取った際に感じることを言語化できたので書いていく。

我々はコンテキストを排したコミュニケーションや情報発信を強要されている。これは毎度初めましての自己紹介をするようなもので、コンテンツは特定層への有用性を示すことを切り口に、少しずつしかし高頻度で確実なコンテキストの醸成を図っていく必要がある。

これを怠ると「自己紹介で強い自我や思想をあらわすヤバいやつだ」と認識されて、プラットフォームが間引きせずとも、消費者自ら視界の外に押し退ける。これを読んでいる方にも心当たりがあると思う。

人間はチェーン店の定番メニューのように、一定以上のアウトプットを求められた時や場所で常に発揮できる訳では無い。アウトプットの頻度や品質が保たれているものが信頼を勝ち取っていくのは確かだが、それが発信者と消費者の健全な関係を促すものであるかは、もはや全肯定できるほど確かなものではない。

「自分はこのSNSを〇〇のために使います」と宣言して解決するほど容易いものでもない。プラットフォームはそのプラットフォームの多数派(もしくは多数派となるであろう方)のためにある。自分だけが意思表明したところで町中の黒いカラスが一斉に白くなるわけでもない。

とはいえ一面の黒を保たなければ機能しないものでもない。黒いカラスの中に一羽だけ白いカラスがいても許容されるのはもちろん、彼なりの楽しみに身を投じてもいい。ただ、白い体は目立つ。白い目で見られるのも時間の問題で、白い身についた汚れの多さにうんざりすることも増える。

年を取れば白髪も増える。シミも目立つ。それが時代にそぐわぬ感性の外見への表出であるなら受け入れるのか、抗うのか。発信者や消費者といった視点も大事だが、一人の人間としての判断をゆるゆると迷っていけたらと思う。


明日は我が身ももはや今日

明日は我が身と思っていたことが確実に近よってきている。

例えばUber配達員の話がある。Uber配達員は単価減少、加えて配達員の飽和によって以前ほどは稼げないとのことだ。その傾向は首都部ほど顕著で、専業の仕事としても、学生のスキマ時間のアルバイトとしても魅力が減ってきている。

余談であるが、私が群馬県高崎市に住んでいた際には北関東ではじめてのサービス開始に心躍り、試しに配達員をやろうと思った。そうこうしているうちに年単位で前のニュースになり、話題性も、経済的なうまみも失ってしまった。

話を戻す。
こういったことはあらゆることに起きている。ネットでの小遣い稼ぎの代名詞であったブログやアフィリエイトもその一つだ。これもUberと同様に、主にYouTube広告からの直販で数字が稼げるようになったので、以前ほどの単価はなく、また成約率も低い。以前に言われていたブログやアフィリエイトで一発逆転なんてことはもはやない。

この流れはSNSにおけるインフルエンサーについても同様になっていくだろう(YouTubeなど、すでになっているところはある。UUUMの買収など)。

現在のブログのうまい使い方としては、人の価値を訴求するツールとして扱う方法がある。ブログ単体での価値を広めて収益化するというよりは、発信者という「人」を中心にポートフォリオのように実績を繋げてトータルで活動に関する利点を最大化していく。

この運用もあらゆることに使える。
SNSはコンテキストを排した、いわばそれ単体で成り立つ一品料理が並ぶチェーン店だ。対してブログやポートフォリオサイト、現実のイベントや商業的、個人的なつながりなどは地方の個人経営店が立ち並ぶ商店街のようなものである。
こうしたコンテキストがうまく残っていけるプラットフォームでコンテキストを作って信用を確保できれば「人」としての自分が評価される基盤ができる。

「人」としての自分が評価される基盤があれば、SNSで、コンテキストを排したコミュニケーションで、疲弊をしたり道化を演じる必要性はなくなる。SNS疲れから開放される。


おもち

何にせよ自発的でないと文句ばかりになるよう人間はできているので、自分で選んでいる実感とその結果へのお気持ちベースでない評価があればいい。あとお金。


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おわり

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