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雑記「King Gnuってシティポップじゃないんですか?」〜ジャンルってなんなんだろうな、という話〜

後輩「最近King Gnu好きなやつ多いじゃないですか。全然ロック好きなやついないんですよね」

吉田「でもKing Gnuってロックっちゃロックじゃない?レッチリとかオアシスっぽいとこあるし」

後輩「えっ、King Gnuってシティポップじゃないんですか?」

吉田「えっ?」

と、いう会話を最近した。

どうやらその後輩は「King Gnuはシティポップバンドだよ!」と友人から教わったらしい。ゴリゴリでマッチョなアメリカンロックが好きな後輩は、「シティポップ」という言葉を聞いてKing Gnuを聴いていなかったそうな。

よくよく話をもっと聞くと、後輩の友人は何でもかんでもオシャレな音楽を「シティポップ」と形容するらしい。R&Bもエレクトロも、ファンクもディスコも「シティポップ」。その概念を応用するとカマシ・ワシントンもシティポップになりかねない。いやはや。

その時ふと思ったのが「シティポップ」ってなに?ということ。

Wikipediaの説明ではこうだ。

シティ・ポップ (City pop) は、日本のポピュラー音楽のジャンルのひとつ。
正式な音楽用語ではないが、主に1970年代後半から1980年代に流行した、都会的なイメージを前面に出したポップスを指す。60年代、70年代を通過したアダルト層へのアピールを意識したイージー・リスニング的、ミドル・オブ・ザ・ロード的(中道的)でソフトなロック、ポップスなどの総称である。なお、「シティポップ」というジャンル分け用の音楽用語は後年創られており、70年、80年のリアルタイムではAORなどと呼ばれていた。

わかったようでわからないような説明だが、wikiを見ていると、どうやらユーミンも佐野元春もシティポップらしい。わけわからんな。

ただこのジャンル分けに則ると、2010年代において「シティポップ」と形容されているアーティストたちは「シティポップ」ではないことになる。

SuchmosやYogee New Wavesが「60年代、70年代を通過したアダルト層へのアピールを意識」しているわけはないからね。


「シティポップ」という言葉がメディアで使われ始めたのは、Suchmosやヨギーが出てきた始めた2015年あたりからだろうか。

そしてSuchmosが「STAY TUNE」でブレイクしてからは、やたらと「シティポップ」という言葉を耳にするようになった。

それと同時に、カッティングを多用して、バックビードが強調されて、ファルセットで歌うバンドが増え、持て囃された。
https://www.youtube.com/watch?v=PLgYflfgq0M

言うならば2016年あたりから「シティポップバブル」が起こっていたのだ。

そして今「シティポップ」と形容されていたバンドは、一部を除いてあまり注目されていない気がする。


それと似た様な光景が3年ぐらい前にあった。俗に言う(?)「四つ打ちロックバブル」である。

KANA-BOON「ないものねだり」が出た2013年夏頃から2014年にかけて、夏フェスで踊れるような楽曲を作るロックバンドが注目された。

フレデリック「オドループ」、KEYTALK「MONSTER DANCE」あたりがリリースされたのも2014年だ。(書いてて懐かしくなった)
https://www.youtube.com/watch?v=PCp2iXA1uLE

そこからやたらと四つ打ちのビートと和メロなギターリフを引くバンドが増えたし、みんなこぞってフェスのステージに押しかけた。


だが今や誰も「四つ打ちロック」とは言わないし、有象無象いた四つ打ちロックバンドたちは見向きもされなくなっている。(前述のバンドは未だにフェスのメインステージを張っているが)

有象無象いたバンドたちは「四つ打ちロック」というジャンルに分けられたことで、ブームが終わったと同時に聴かれなくなってしまったのだ。

こうして「四つ打ちロック」というジャンルは消費され、たった4年前くらいの楽曲が今では懐かしいとすら感じるわけである。


それと同じことがシティポップでも起こっている。

1ヶ月ほど前にAwesome City Clubのフロントマン、atagiが「取材とかでシティポップって言われることに対して違和感を感じる」、「シティポップブームに乗っかっているR&Bもどきのバンドが多い」(意訳)という旨のツイートを連投していた。

彼らもまたディスコやファンクをルーツとしているバンドであり、「オシャレな」音楽性から「シティポップ」として注目されたバンドだ。

atagiが感じていたのは「シティポップ」というジャンルに括られたゆえに注目されたはいいが、ブームと共に消費されるのではないか?ということへの違和感なのだろう。


と、ここまでいっちょまえに書いてみたが、

ジャンルの趨勢にによってアーティストたちが消費される、という構造は明らかに存在する。

「四つ打ち」だの「シティポップ」というラベルはメディアやリスナーによって勝手に貼られていく。

そして勝手にジャンルに飽きて、見向きもされなくなる、というのはなかなか残酷な構造だ。


ジャンルは便利だ。

ジャンルに分けられることによって、日の目を見なかったアーティストが注目される、ということは今でもある。(Lo-fi HipHopは今朝トレンド入りしてたし)
https://www.beipana.com/entry/what-is-lofi-hip-hop

なによりアーティストを人に紹介するときに、ジャンル分けされていると説明がしやすい。


ただ、ジャンルを知っただけでアーティスト自体を知った気になってしまうという危うさは確かに存在している。

その最たる例が、「King Gnuってシティポップじゃないんですか?」という会話なのかもしれない。


そもそも、今ブレイクしているアーティストたちはジャンルという概念では説明できないような気がする。

米津玄師もそうだし、星野源もあいみょんもそうだ。

今注目され始めているKing Gnuやずっと真夜中でいいのに。、そして個人的に注目している小袋成彬や中村佳穂も、ジャンル分けが野暮なほど多様な音楽からの影響を感じる。

もはや、ジャンルという概念自体がもう古いのかもしれない。

もういっその事、新しくてカッコイイ音楽は全部70年代に倣って「ニューミュージック」とかでいいんじゃないか、とすら思う。荒井由実とか今でも新しいし。


ちなみにKing Gnuには、彼ら自身が標榜しているジャンルがある、らしい。

──ミクスチャーロックと呼ばれがちですが、ストリート感はないですし、King Gnuは不思議な立ち位置のバンドですよね。

常田 いわゆるミクスチャーロックでは全然ないですね。だけどカルチャーやサウンドは混ざりに混ざってるっていう意味では……なんだっけ?

新井 “トーキョー・ニュー・ミクスチャー・スタイル”。

常田 それですね(笑)。

https://natalie.mu/music/pp/kinggnu/page/3

……King Gnuがブレイクしたら「トーキョー・ニュー・ミクスチャー・スタイル」ブームとか来るんだろうか。来ないか。

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