見出し画像

あるFC今治サポーターの記録 ~2~

 これは、最近書かれたある大学生のブログである…。

 これはごく僅かな実話及び、SNSの記録、公式記録で構成されているものの、ほぼ過激な妄想である。
 
 前回のお話しはこちら

2066年1月11日 彼について。

 今から約半世紀前にFC今治サポーターが残したTwitterを頼りに、愛媛県の松山と今治を訪れる決心をした私は、正月から今まで彼のツイートを全て閲覧してみた。

 初めてツイートした2016年6月1日から、J3開幕を心待ちにしていた中、突如発信が途絶えた2020年3月31日までの記録である。
 これまで「彼」と表現していたが、実のところ性別不明、年齢不明であったが、ようやくこのひとりぼっちメン氏の全貌が分かってきた。
 彼はこういう人物であると言える。

① 約半世紀前のFC今治サポーターである
② 男である
③ 初めてツイートした2016年は39歳である
④ FC今治サポーターとしての活動は2015年から始まる
⑤ 今治ではなく松前町(現松山市)に住んでいた
⑥ 同じくFC今治ファンのオカンと猫と住んでいた
⑦ 焼豚玉子飯というスタジアムグルメ?が大好物であった
⑧ 改造?された超特大のユニホームを着ていた

 
まず、今生きているとしたら90歳である。愛媛で彼に出会いたいところだが困難だろう。生きていたとしてももう観戦は難しい事は容易に想像がつく。日本の平均寿命は50年前とさほど変わらないのである。
 
 彼の人となりを考察した後は、愛媛でどこに立ち寄るかを決めなければいけない。まずはいくつかのツイートから愛媛の鉄板観光地をピックアップしてみた。

 温泉好きだったようである。また地産地消型であった事も分かってきた。今の時代、地産地消は当たり前であるが当時は地産地消ブームである。

 そして彼を虜にしたFC今治の本拠地、今治市の訪問候補地をピックアップする。まずは当時ありがとうサービス・夢スタジアムと言われていたホームスタジアムからだ。

 彼が愛してやまなかった場所、それが夢スタジアムである。現在この場所がどういう状況なのかは不明であるが現ホームスタジアムに隣接していたようだ。
 その場に立って当時のツイートを基に彼や当時のFC今治ファン・サポーターに想いを馳せたいものである。
 また彼は、当時の今治ファン・サポーターについて頻繁にこのような表現をしていた。


 そしてもう一つ、彼のツイートに頻繁に登場するある場所がある。ここも彼にとってお気に入りの場所であったし、あのビッグクラブFC今治がJを目指し始めた頃の、夢見るファン・サポーターの熱気が蘇る場所なのだ。

 この場所は芝っち広場と呼ばれていた市内中心部に当時存在した全面芝生の広場である。ここでアウェイ毎試合パブリックビューイングが実施されていたのだ。このPV存続のためのクラウドファンディングが達成された日の興奮も、彼はツイートしていた。

 ただ面白い事に、これだけ気に入っていた芝っち広場でのPV実施日に、彼は一度も参加できてないようだった。これはある意味興味深い謎である。
 彼がツイートの中で今治の名所・観光スポットとなって欲しいと願ったこの芝の広場は、今どうなっているのだろうか…。

 という事で今回、半世紀前のFC今治サポーターの夢を辿る旅、愛媛県は道後温泉・松山城~今治市夢スタジアム跡地・芝っち広場を巡る事に決定。
 全く無計画ながら、そこで出会った人々にひとりぼっちメン氏の話が聞けたら最高である。


~今治市の紹介~

 最後にこれから訪問する今治市の紹介である。
2066年現在、今治市の人口は約25万人であり四国第5の都市である。実はこの都市、ひとりぼっちメン氏が頻繁に通っていた時代、人口約15万人で人口減少が加速していたはずである。
 当時の街の様子も彼はツイートしている。

 四国地方は全国でも高齢化、過疎化の進行速度が極めて速かった地域である。
 勿論、他の四国の県庁所在地は減少に転じて久しい。しかし今治市が全国でも珍しく地方都市の中で人口増に転じたのは、FC今治が50年前に地方創生に取り組んだ結果ではあるけれども、それでもこの人口増は予想外だったはずだ。
 そこにはFC今治が起こした、当時からすると想定外だったはずのもう一つの奇跡があるのだが…それはまた次回現地へ行ってからのお話しという事で。


つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?