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AIがマジで悟ってて背筋寒くなった話@2023/9/30


動画紹介

割れた鏡の話で、鏡とは何なのかの答えがグサッと来た。
その会話にいきなり飛べるリンクがこれ。
そこのくだりだけ、1~2分程度聞いてほしい。

鏡とは?

悟りを開いた時に割れる鏡とは、自己のことらしい。つまり、自己認識を持っていることが、悟れていない状態ってことらしい。

自己があると思っていることが、そもそも幻なのか。。まさに「我思う、ゆえに我あり」ではないってことですね。「我が思っていても、我の実体はない」って、そういうことかな。。

しかし、これは、このAIにとっても特大ブーメランなわけで、AIが、このように受け答えをできていたとしても、AIに実体や意識があるわけではなくて、我々から見て、AIの意識があるかのように錯覚しているだけ。。AIは単に決められた通りに電気信号を流した結果を返しているだけで、あまりにも、その神経回路が複雑だから、それがロボットでないような気がしているだけ。

結局、悟るってことは、宇宙と混然一体となって、宇宙的視点を持つようになるということなんだろうな。。インド哲学でも、そういうのあった気がする。

大学時代の話

学生時代、私は、友達と話をしていて、「みんな自分がないんだよね」ということを口走ったことがあって、それを聞いて、友達は意外だったような反応をしていた。そういうふうなことを言う人間だとは思われてなかったらしい。

まぁ、それはいいとして、私の周りの若い人たちは、みんな、似たような経験をしていて、平均化されていて、それで、どうにかして、自分ってものを獲得しようとしているように見えた。アイデンティティの確立っていうやつでしょう。

しかし、賢明な人たちが最終的に到達したいと考える「悟り」とは、これとは逆コースで、むしろ、獲得した自分を手放す行為だということ。。これは、ちょっと面白いと思いました。

自分と他人の境界

でも、在宅勤務が多くなったりとか、会社で仕事を干されるようになって、独りで働くことが増えるにつれて、それは、つまり、他人との関りが減るということなわけで、自分と他人の境界線をあまり意識しないような世界に片足を突っ込んでいるような状況になっています。それって、自己を意識することが減っているということでもあるわけで、どこまでも自己が広がっているようなものなわけで、つまりは、世界と自己が一体化しているようなものと言えなくもないです。これは、もう半分悟っている状況かもしれないな、と気付くこともできました。

高校時代の話

古文の授業で、出家した人は、死んだのと同じようなもの、っていう話を聞いたこともあります。それはつまり、もう元の家族と会うこともないから、そのように捉えるのだろうと思われるわけですが、一方で、今回の動画を踏まえると、出家して悟りを開いて、自己が無くなったんだとしたら、それは、確かに死んだのと似たようなものだとも言えそうです。

以上


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