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モルモン書:ニーファイ第二章

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『モルモン書ーイエス・キリストについてのもう一つの証』のニーファイ第二書の説明と個人の証。
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37_「…父も多くのことを兄たちに…語った」(2ニーファイ1:1)

2ニーファイ1-4章には、父親リーハイの最期の勧告が記録されています。愛に満ちた親であり家族の指導者であったリーハイは、自分の死期が迫ったことを意識し、自分の息子たち、イシマエルの息子たち、そしてゾーラムに対して祝福を与えました。神様の救いの計画の中心であるイエス様に従い,その戒めを守る人々は祝福を受け、この地で栄えると約束しました。リーハイは、また、自分の後継者として弟のニーファイに従うように熱心に勧めました。 この最期の祝福は、もちろん、息子や孫たちへの祝福ではありま

38_「主の命令を守るかぎりこの地の面で栄え…祝福を受け…とこしえに安全に暮らせるのである。」(2ニーファイ1:7-9)

リーハイは、息子たちへのメッセージを語ると同時に、時代を超えて、わたしたちにも大切なメッセージを伝えてくれています。この部分のメッセージは、すべての人々に共通の真理です。「選択の自由」とそれに伴う「結果」についてです。 『高価な真珠』に次のような聖句があります。 「あなたは自分で選ぶことができる。それはあなたに任されているからである。」(モーセ3:17) 「選択の自由」とは、神様から人に与えられた、自分自身で選び、行動する能力と特権のことです。誰もこの権利を侵害すること

39_「あなたがたは目を覚ましておいてもらいたい。深い眠りから…目覚めて、あなたがたを縛っている恐ろしい鎖を振り払いなさい。…目を覚ましなさい。そして地から立ち上がり、おののく父の言葉を聞きなさい。」(2ニーファイ1:13-14)

リーハイが生涯の終わりに息子たちに残した言葉に非常に興味深い言葉があります。リーハイは次のようなフレーズをそれぞれ何度も使っています。 「目を覚ましなさい」(2ニーファイ1:13, 14, 23) 「地から立ち上がりなさい」(2ニーファイ1:14、21、23) 「縛っている…鎖を振り払いなさい」(2ニーファイ1:13, 23) 以下のフレーズは、後に、息子のヤコブも引用していますが、リーハイは、真鍮の版の中のイザヤの有名な以下のフレーズから影響を受けたものかもしれませ

40_「…主はわたしたちの苦難を聖別して、わたしたちの益としてくださる。」(2ニーファイ2:2)

2章のはじめは、リーハイが息子のヤコブに語りかけて,主がわたしたちの経験する苦難をこの上ない益にしてくださることについて証しています。 読者の皆さんの中で、たぶん、ほとんどの方々がこれまでに、大きな試練や問題、チャレンジに直面されたことがおありだと思います。そのような時、皆さんはどのように対処されますか? 以下は、ダリン・H・オークス管長の説教です。お母様の経験について話されています。「わたしの母はこの聖句(2ニーファイ2:2)を愛し,その原則に従って生活しました。」

41_「人が存在するのは喜びを得るためである。」(2ニーファイ2:25 )

わたしたちの人生の目的は何でしょうか。リーハイは  息子のヤコブに人生の目的は「喜びを得ること」だと述べています。しかし、毎日の生活の中で「何故、わたしだけがこんな苦労をしなければならないんだろう?」「どうして毎日、こんな悲しいことや辛いことの連続なんだろう?」と考えたことはありませんか。確かに、わたしたちの人生は決して平坦なものではありません。多くの人々が、毎日何らかの苦難や悲しみ、困難な出来事に遭遇しています。多くの人々は、上記のような疑問を心の中に持っています。このよう

【ミニ情報:カイアズマ(交差配列法)】

今日は、モルモン書の中で現れるヘブライ文学の表現様式についてのミニ情報です。 古代イスラエルの影響を受ける古代アメリカの預言者たちは、その記録を残すにあたって、ただ単に記録を記していただけではなく、ある部分は、ヘブライ詩などに見られる詩的表現や文学的な表現を用いて記したと思われます。ジョセフ・スミスが述べていますように、モルモン書は「…まさに金版…からの逐語訳である…」(History of the Church 1:71)ため、その英語による翻訳文には、古代アメリカの預

42_「『…あなたの腰から出た者の中から一人の聖見者を立て、わたしの言葉を…書き記す…ユダの腰から出た者も書き記す。そして…書き記すものは一つに合わされて、偽りの教義を打ち破り、争いを鎮め…平和を確立し、また末日に先祖についての知識を彼らに与え、そしてまた、わたしの聖約についても知らせる。』主はそう言われる。」(2ニーファイ3:12-13)

第3章は、リーハイの末の息子であるヨセフに語られたもので、エジプトに売られたヨセフの予言に関連して「4人のヨセフ」について述べられています。また、世に出てくる2冊の書物について述べられています。この2冊の書物とは、エジプトのヨセフの子孫によって書かれる書物『モルモン書』とユダの子孫によって書かれる書物『聖書』を指しています。 これは、旧約聖書の記録の中で、エゼキエルが予言しているのですが、エゼキエルは「ユダの木」と「エフライムの木」と呼んでいます。(エゼキエル書37:15

【ミニ情報:4人のヨセフ(Joseph)】

3章の大部分は、リーハイが息子ヨセフに語った「聖見者」と預言者ジョセフ・スミスと、その末日における使命に関するエジプトのヨセフの預言に焦点が当てられています。 (注:英語の ”Joseph” は、日本語で「ヨセフ」または「ジョセフ」の2通りの翻訳があります。) ラッセル・M・ネルソン大管長は預言者ジョセフ・スミスについて次のように証しされています。 ダリン・H・オークス管長も次のように証しされています。 ヘンリー・B・アイリング管長も次のように証しされています。

43_「父リーハイは、自分の心に感じるままに、また自分の内にある主の御霊に従って、自分の家のすべての者に語った後、年老いて、死んで葬られた。」(2ニーファイ4:12)

よい親であろうと努めているものにとって、子どもたちや孫たちの幸せほどいつも心の中を占めていることはありません。 リーハイは、神様の指示によってエルサレムを脱出して荒れ野を旅して新世界へと導かれました。リーハイも親としていつも、子どもたちや孫たちが神の祝福を豊かに受けて欲しいと願っていました。そのためにいろいろな方法で、教え、説得し、訓戒と導きを与えました。特に、「あなたがたは間もなく父の体を冷たい無言の墓に横たえなければならない。…あとわずかで、わたしは世のすべての人のた

44_ニーファイの詩篇:2ニーファイ4:15-35

リーハイの死後、レーマンとレムエルが、ニーファイの語った「主の勧告のことで」ニーファイに腹を立てたこと(2ニーファイ4:13-14)続いて、ニーファイが兄たちの態度や行動に悩まされ、自分自身の弱さや罪にも心を痛めて、自分の心の思いを詩のように表現豊かな言葉で記録したことが書かれています。これは「ニーファイの詩編」とも呼ばれています。その中で、ニーファイは、そのような弱さや罪を克服する方法について述べています。ニーファイは、聖文を愛し、主から受けた祝福と強さに感謝していることも

45_「さて、主はわたしニーファイに、彼らのもとを去って荒れ野へ逃げるように、またわたしとともに行きたい者も皆、そうするように警告された。」(ニーファイ第2書 第5章5節)

レーマンやレムエルたちは、ニーファイを霊的な指導者として拒んだだけではなく、命まで奪おうとしました。そのような状況の中で、主はニーファイに荒れ野へ逃げるように指示されました。ゾーラムやサム、ヤコブ、ヨセフ、その他、ニーファイと一緒に行きたいと思う者は、神の警告と啓示によって新しい定住の地に導かれ、そこをニーファイの地と名付けました。(5:1-8参照)この時期から、ニーファイの民(人)とレーマンの民(人)の歴史が始まります。 ニーファイに従った人たちは自分たちのことをニーフ

【ミニ情報:「祭司」と「教師」】

ニーファイは、自ら民のために力を尽くしただけではなく、弟の「ヤコブとヨセフを任じ、…民の…祭司と教師に」(5:26)召し、彼らにも民のために働くように機会を与えました。 「祭司」「教師」という職務の名前から、モーセの時代のアロン神権を思いつかれた方も多いことでしょう。モーセの時代のアロン神権(レビ8-9章、民数3:38)とレビ神権(民数3:25, 31-32, 36; 8:15-19)は、もともとアロンとアロンの息子たち、レビ族の息子たちの任職でした。この神権を持つことが

46_「…そして,わたしたちは幸福の習わしに従がって暮らした」(2ニーファイ5:27)

日本語のモルモン書(1995年版)には「幸福に暮らした」とありましたが、英語の原文を見ていますと次のように書かれています。” We lived after the manner of happiness.” 辞書には、manner=ある行為や事柄に関するやり方や態度、とあります。2021年版の翻訳では、「幸福の習わしに従がって暮らした」と翻訳されています。 イエス様は、人々が幸福になる為の教えと原則を教えられました。また、イエス様ご自身が教えられた福音の生きた模範として人

47_「わたしヤコブは、これらの言葉について少し話したい。…主は、そのエルサレムにいた人々がすでに殺され、また囚われの身となって連れ去られたことを、わたしに示された。しかしながら、主は、彼らが再び帰って来ることをわたしに示してくださった…」(2ニーファイ6:8-9)

ヤコブは、ここで、エルサレムにいるユダヤ人は主に背を向けたために、ある者は殺され、またある者は囚われの身になって連れ去られたことを主によって示された、と記録しています。これは、リーハイやエレミヤ,またほかの預言者たちが預言していたことですが、実際に、紀元前 587年頃に起こったバビロニア王国のエルサレムの征服、そして、多くのユダヤ人が連れ去られたバビロン捕囚として成就しています。しかし、ヤコブが主によって示された通り、その後、バビロニア王国に連れ去られたユダヤ人の子孫たちは,