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40_「…主はわたしたちの苦難を聖別して、わたしたちの益としてくださる。」(2ニーファイ2:2)

2章のはじめは、リーハイが息子のヤコブに語りかけて,主がわたしたちの経験する苦難をこの上ない益にしてくださることについて証しています。 

読者の皆さんの中で、たぶん、ほとんどの方々がこれまでに、大きな試練や問題、チャレンジに直面されたことがおありだと思います。そのような時、皆さんはどのように対処されますか? 

以下は、ダリン・H・オークス管長の説教です。お母様の経験について話されています。「わたしの母はこの聖句(2ニーファイ2:2)を愛し,その原則に従って生活しました。」と述べておられます。ぜひご一読されることをお薦めいたします。

https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2003/04/give-thanks-in-all-things?lang=jpn

 また、神様にわたしたちの「苦難を益に」していただくためには、次の聖句と原則を覚えておくことも必要です。

「そして、わたしたちはこれによって彼らを試し、何であろうと、主なる彼の神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。」

(『高価な真珠』アブラハム3:25)

苦難やチャレンジ、失敗などのネガティブな経験に直面すること自体、この地上の生活を送っていく限り、常についてまわります。それは、神様がこの地上での人生をそのようにおつくりになっておられるからです。苦難やチャレンジに直面したとき、失敗や間違いを犯したとき、神様はわたしたちがそれにどのように取り組み対処するかを見られるとおっしゃっているからです。

わたしは母親からよくこのように言われました。「物事がうまくいかない時、神様や周囲の人たちに文句を言って物事を投げ出すんじゃなくて、どうしたらそれを乗り越えることができるかを考えていろんな工夫をしたらいいんだよ。もし、そんなふうにできたら、確実にあなたはイエス様に近づいているんだからね。」

また、アルフレッド・アドラーという心理学者は、人は誰もが同じ世界に生きているのではなく、自分が「意味づけ」した世界に生きていると考えました。同じ経験をしても、意味づけ次第で世界はまったく違ったものに見えたり、行動も違ってきたりするからです。アドラーは次のように「意味づけ」の大切さについて語っています。

「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック─いわゆるトラウマ─に苦しむのではなく、経験の中から目的に適うものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって、自らを決定するのである。…意味は状況によって決定されるのではない。われわれが状況に与える意味によって、自らを決定するのである。」

(アルフレッド・アドラー『人生の意味の心理学』第一章 p.21)

今直面している「苦難」をわたしの人生の「益」にするために何ができるかを考えたいと思います。


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