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お昼は前食べた親子丼の残り

 気軽にさっと食べれるから残り物にも福があるんだよなあ。

 いま、作業所でやってる内職は、プラスチック袋に、
アクリルホルダーを入れていくようなやつなんですが、
わりかし、地道な作業だった。 午前中にお終い。

 で、次は、絵の予定です、今取り組んでる絵は、
スタッフさんによると、出展する予定の絵らしいので、
一応、時間を掛けて、構成を考えるために、
一枚、先に試しにちょっと描いてみることにしました。

 ようは全体の見取り図のような絵を仕上げるってことで、
それが出来たら、一応、本作業に取り掛かって、
一枚の絵を仕上げるってことなんですが、
テーマが、舞、喜怒哀楽、パーティーということで、
ちょっと描く量が多い、あと指摘されたこともあって、
実を言うとストレスが溜まってる。

 正直、絵を描くときのサポートが一切ない作業所ですので、
画材から紙まで全部こっちで用意しないといけない、
当然、画材屋に頻繁に行くにんげんじゃないので、
オフィス用品店で買った、厚口の紙をキャンバスにして、
色鉛筆で絵を描くということになった。

 なんでもそうだけど、大賞とかなんとかある企画展のような、
ものには、大賞を取ることより参加することに意義があると、
思っているし、実を言って、出来が悪くても参加するのが、
一番素晴らしいことだと考えてる。 が、そこは、
多分わかってもらえてない、障害者に何を求めるのかは自由だが、
はっきりいって、うまい絵だけ求めるのはそもそも、
そこに行き着くまでの過程を否定することになる。

 そう、完成品や成果物だけ求めるのは間違っているのだ、
お客さんなら、誰しもそうするのかもしれないが、
お客さんでも完成品や成果物を要求する前に、
注文を入れ、折り合いつけて、出来る範囲で互いに信頼し合い、
双方、信用した上で、仕事に取り掛かるのが普通。

 何が普通かを俺が決めていいのかは分からないが、
とにかく、絵を描くことで生きると決めてる人間だから、
一応、妥協して頼まれたことは描くようにしているけれど。

 成果物だけみて、その中から一番いいのを選び取る、
というのは基本間違ってる、駄目な絵も認めることが大事だ、
過程が無い絵を求めたら、今に機械が描く絵だけを、
皆が評する世界に塗り替わっていくだろう、その方が早いから。

 ネットの発達と成熟に伴い、AIの進歩によって、
アカデミックな絵描きから絵を描くという行為を奪い取った時、
残るのは、人間の感性で描いた絵日記だけです。

 おおよそ、人間の絵日記には需要があるだろう。
なにせ、いつまでも人間の感性が存命であることが一番だから、
この先も長いけれど、とにかく生存を果たして、
絵を描くことをもっと認めてもらわないといけない、
そのために色鉛筆で描くんだ、描きやすい画材で、
自由にのびのび描くんだ、今日は楽しく絵を描きたい。





おしまい

いただけるなら、どこまでもおともしますとも!