いっせいにエッセイ!

 気付いた時にはおれはエッセイを書くことになっていた、
超高速の指の動きに乗って、集中力はいやも手強くなるが、
紡ぎだされる文という文はいつもの通りの様で、
何もかもがいけない気分だ、やっはっは!
 だが、諦めない、おれはエッセイする! おまえもエッセイされる!
エッセイされるといっせいにエッセイ! 頭悪くなる!

 と、思ったのだが、エッセイって論考って意味であってる?
妙にnoteってエッセイが多いけど、
皆、そんなに論考しているのか? 考えて変にならない?

 では相変わらずの目次と行こうか!

1、エッセイという奴は!

 こんなことを書いていると、意味が分からないことばかりだ、
とにかくよくしらないエッセイジャンルが唸って轟く、
だけどよく考えてみて? 俺たちそんなに考えとかなくね?
 その通りだ! 俺たちは迷える子羊であっても、
人間として考えを確かに持ってるなんてこと稀、
あってもせいぜい一日の生活で手一杯、
そんな人間に考えをもたらしたのが文筆、
そう、文民を統制しているのは大本営の放送!
 俺達はただ目の前の文章に従って生きるだけの弱者!
 そういうことになってる、畜生!
せめての抵抗だ、俺たちのエッセイで文民統制を乱してやれ!
人間はエッセイすることで、時代の流れを変えて行ける、
だから、アンタも心置きなくエッセイしてくれ、
俺も出来る限りバックアップする、
だから俺を信じて信用して金を落とすんだ!
 そうすればエッセイの連帯は強まってすべての人間が、
エッセイに生きるようになるから! しあわせを得れるぞ!


2、おれはエッセイする!

 決まってるじゃないか! 俺はエッセイする! そういう獣!
 一度そういう事になったら、全ての生命がエッセイをするさ、
その速度は、エッセイの感覚をあっという間に満たしてくれる、
無駄な文章なんて一切ない、不要! エッセイは全てを拾い上げる。
エッセイとは無駄にしてしまった意識を意味ありげに拾う行為!
 エッセイは全て意味のある文章なんだ、価値がある、自身を持て、
エッセイ一発100円の価値がある、それだけの価値を持ってる。
信じて祈って唸れ、俺には価値があるんだー! 洗脳しろ自分を!
 己自身を永遠に洗脳し続けて廃人になれ! そうすれば、
全ての人間がエッセイでうへうへいってるだけの状態になるのさ!
 え? いやだって? そうか! 君はエッセイが嫌いなんだな!
 だがオレはエッセイする、超速度でエッセイをし続ける運命!
 究極的にエッセイが生まれ続けるこの世の中に反抗を示すには、
自らのエッセイ力を信じて、エッセイするしかないのがここの定め!
 全ての人間はエッセイ連射しまくってエッセイ噴射!
 エッセイの洗礼受けまくってる俺たちはまさに無敵状態でハッピー! 
 良かったじゃないか、ハッピーエンドだ、俺はウへウへいうぜ!
 そう、天国とは楽園とは脳内お花畑のこと、
それを何人にも否定されないライフワークにしてしまえば、
永遠に頭ん中のお花畑に水やりしていられる幸福感、多幸感に包まれる。
 いやっほい! ウェルカム、エッセイ人生!


3、永遠にエッセイしていけ!

 もはやエッセイの軍勢は留まることを知らない、
互いに信頼関係などなく、ただエッセイ十字軍は蹂躙を重ねて、
自分らの領土拡張のためにひたすらエッセイを植え付けていく、
現地民は惨殺され、エッセイの旗の下に、血みどろスプラッター!
 エッセイとはまさに神に与えたもうた連続的殺戮行為!
 気付いたときにはアイツの意識もコイツの意識も関係なく、
自分が文民だと特権階級だと気付いた一億総民クリエイターが、
一斉に全てをエッセイにして変えていく、お前らエッセイかよ!
そうだよ、俺たちエッセイだよ! エッセイ以外を殺戮繰り返して、
気付いたら、エッセイ世界に漂う、慌てふためいた、
化け物集団やりまくりエッセイを披露する野郎軍勢にはまりこむ、
エッセイとはイケイケの連中が作りだした、妄執にも似る。
 だから、エッセイを見て、「こいつはくせえ!」と思ったら、
とにかく投げ銭することだ! お金には相手を黙らせる力がある!
金を投げ続けてるうちに、そいつは違う芸を始める!
 そうすれば、エッセイ臭さも無くなって、人間は一歩前進する!
そう、有料エッセイを書ける人間にクラスアップを果たすのだ!
それは何よりも感謝、感謝の出来事であって、幸福に包まれてあれ!
 速度が増していく、スピードが増していく、どんどんエッセイ!
し続けるほどに有料領域が増えていき俺たちはタダじゃないんだぜ、
エッセイしているんだぜ、となっていく、全てがエッセイなんだ!
そうとも、俺たちはエッセイ中立国に生まれた文民軍団!
 すべてを蹂躙し殺戮する!


4、畏れるな皆最初は怖い!

 だが、あんたはエッセイによって、ばっさり社会のしがらみを、
切り刻んで、自分の部族を皆殺しにするような力は無い、
そうとも、エッセイだけ書いてる弱い弱い文民はただ、
文章を書いている時の無防備さを自分であっけらかんとしてるだけ、
そのペースとスピードがいかにはやかろうがおそかろうが、
皆、怖がっちまったらそこまでだ!
 だが焦るんじゃねえぞ! 人間はエッセイを畏れるいきものだ!
 読むことによって、人間性が拡張されることを怖れてるわけだ!
そんなことは、一切許されねえ! そうともエッセイは許されねえ!
 だが、それは政府見解であって、あくまでも国家の一存にすぎん!
 それを修正するのは素晴らしい人間のダッシュで補うしかない!
 早々と連続して何もかもを埋めつくすしかない、
そうとも!人間はエッセイする、その自由を奪われたら文民じゃねえ!
文民たるものエッセイしなければならない! その自由の下で、
どんどんと人間をエッセイ出来る生物に魔改造し、
究極のマシンに仕立て上げなければ、日本は滅びる絶滅する!
 その力を遮り、永遠を作り上げるのが神が与えたもうた真理!
エッセイストは神! エッセイで食えるようになったら、
もう、何も畏れることは無い、エッセイをばら撒き続け、
エッセイを感染、伝染させるようにかみつくエッセイゾンビとなり、
俺たちはエッセイの素晴らしさによってすべての人間を汚染してやる!

 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!


5、全ての人間がエッセイする!

 noteの影響下ではすべての人間がエッセイする!
エッセイという言葉を知らない生き物でさえエッセイする!
 人間は獣としてエッセイし、エッセイを孕んで生まれてくる!
超高速でエッセイし続ければ、我らはエッセイマン!
 エッセイストが現れるまで祈りを捧げ続けろ!
お前の中のエッセイストが目覚めるまで、延々と文字を紡ぎ続けろ!
 神に誓え! 精神を超越しろ! 神の領域に達しろ!
速度を上げろ、命令しまくれ、頭ん中真っ白にして叩き続けろ! 
 魂の叫びを吐き出しながら進む暴走機関車が俺たちだ、
絶対に絶対にエッセイする、全人類が、全人がエッセイする。
そうして、全ての人間がエッセイ的やりとりの中に埋没して、
一斉にエッセイし、エッセイパワーを伝搬し、リフレッシュする!
 ハイパーなエッセイで心を満たすことが出来れば、神々になる!
そう、全て、エッセイとは神に捧げる崇拝と祈りによってなされ、
神仏と己を同化させるための究極の行為なのだ、
ああ、なんてエッセイし続けることだろう!
完全に人類は寄生命体にやられてしまった。
 もはや苗床人類だ! エッセイは寄生命体だ!


6、やがてエッセイから生まれる!

 エセエッセイというものが生まれる、だが何人もそれが、
エセなのかエッセイなのかわからず、結果として、
エセエッセイストの誕生まで発生する、
そう圧倒的なエッセイの地の力が押し切った時正義はなされる。
 エッセイが正義だと知らしめた時、全ての人間は文の下自由になる。
早いぞ、早すぎるぞ、エッセイの台頭、何もかもが未来人の基調、
人間がなぜこうも、早くエッセイをばら撒くのか、
分かりやしない、人間の音速ペースで何もかもをエッセイする。
 うおおおお、危険だ、エッセイが危険を示すぞ!
 エッセイを孕んだ人間が次々とエッセイを産み出すぞ、
ヤバい速度で、エッセイがばら撒かれると、さすがに人間響いてくる。
 エッセイが何もかもを喰らって繁殖する未来は広いぞ、
早いぞ、忙しいぞ、何でも、かんでも、喰らって生きるぞ、
そうとも、人間はエッセイを生きる、そして独立していく、
エッセイストとして、そういう俺もエッセイストになってしまう、
脳内を完全にエッセイに寄生されている、生命だから、
俺たちはエッセイという寄生命体を自由に使って、
今まで知らなかったことを全身に出し入れするだろう、恐怖だ!


7、エッセイがAIを加速させる!

 そう、エッセイを書くAIが誕生し続けるようになる。
 繰り返し言うが、人間がエッセイを大量に書けばかくだけ、
エッセイを理解したAIの誕生が早くなり最終的に、
エッセイに自動的に反応し、コメントをつけるAIが、
高速であなたのエッセイに反応するようになる、
そんな未来だ、怖れ以外のなにものでもない、
どんどん、機械化が進んでいき、想像力やクリエイティブな、
分野でさえも機械化される、
だが畏れることはない、もはや決定している。
 私たちは機械を汚染して機械を乗っ取る。
 わたし達の声は、汚染するドーピングパワーがある。
 これこそ文民の力、意見力の物申すところだ、
永久に意見し続け、永遠に投稿しつづけ、
永遠に執筆し続ける事によって、全宇宙は我のものになる。
 いい加減、こういうこと続けてるから、エッセイが、
エセ増えてしまうんだけどね。


8、結局エッセイが宇宙を創る!

 エセと、自分で言う分には、判別ができる必要が出てくる、
マシンが診断してくれるようになる、貴方のエッセイを、
結局人間の力じゃ当人がエセかエッセイかなんてわからなかった。
 すべての宇宙を形作るエッセイがエセエセ言い合ってる間に、
超宇宙の力を借りて、どんどんと降りてくるエッセイの尖兵、
全てのひとが、エッセイを信じる限り、何もかもを、
エッセイにすることが出来るという速度を持ってる。
 だから心配しなくても、エセとか言われずにすむさ、
人間がエッセイするのは基本的なことだし、
なにより、エッセイが何かを考え続けて時間を潰してる、
自分のようにはならないだろう、とにかくもう、
人間はエッセイになる。
 そう考えてしまったら、途端におそろしくなる、
人間が無限にエッセイし続けたらどうなるだろう?
エッセイの重みによって、床が抜けてしまうのでは?
 その危険性を回避するために、ひたすら、
人は、エッセイを避け続けるだろう、
だってそうだろう? 人間はエッセイなんかしなくても、
生きてられるのだから、ねえ、確かに、
全ての生き物は文章に支配されて生きている訳じゃない、
もっと大きな物理法則、太陽の動き、宇宙の動き、
そういうもので生きているから、簡単に動ける。
 すべての物事は文章で支配されないでも済む、
だのに人間は文章を大量にまた産み出す、それで稼ぐのだろう、
人目を、延々と、連なる文章で、人気も産み出す。
 ああ、何という事だろうか、人間は文章を紡ぐだけの機械で、
あることにはまって来てしまった。 戻れなくなっている。
 正直、あまり人間のそういう所を見たくは無かったのだが、
それでもなお人間は紡ぎ続けるんだろう、文章を。
 エッセイは逃げ道になる、弱い文民の。


9、エッセイが刻みつける!

 人間、を辞めるわけにはいかない、エッセイをして文民であることを、
しめそう! ってやってくる、健全か否かで答えがでるわけではないが、
エッセイが貴方の脳裏に刻みつけるのは結局、全体を突き動かす衝動のみ、
エッセイってなんなのかって? 嘘や方便に満ちていて、答えは、
見いだせないんじゃないかな? それが基本であり常だ、
 だけど、人間はされたことは強く覚えてしまう、寄生されるんだね文に、
そして自分もしてもいい、と思いこんでしまうから、辛いところだ。
 誰が! 好き好んで! 文章を! 書くんだ! 書かないよ!
普通! 人間は! 文章を! 書かないよ! わかれ!
 そう人間はエッセイなど書かない、何度でも言おう、
我々は少数派だ、エッセイを書くものは寄生命体に頭をやられている。
 だから、正しい判断がつかないんだね、
人間は文章を書くことで儲ける事や稼ぐことの出来る一定の人間が、
存在する事は確認できるが、実際どうだろう、僕たちは稼げそうか?
 出来ない、そう答える人がおおいだろうね、
あくまでも継続できる人の所有物なんだよ、文章ってやつも、
文民ってやつも、文民統制っていうものも、人間切羽詰まったら、
文章の力なんて忘れて、違う衝動に走るさ、それが自然というもの、
そう、答えは、もうみつかった、君にエッセイを刻みつけたもの、
それが戦犯ってやつだ、この世界が広がったのも、
人にエッセイを刻みつける人間の露悪趣味によるものさ。


10、エッセイのヤツを一緒に倒そう!

 正直、現状のままにエッセイという寄生命体を野放しに、
しておくのは疲れたまる一方だと思うので、ここで朗報、
なんとエッセイは撃退できます!
 方法は簡単、日記を書くだけでオーケー、
そうすれば、自分の日記で満足出来ちゃうからお得、

文章を書くという行為を継続したい人は日記を書こう、
 あくまでもエッセイを残したいという人は、
自分の思想と思考と論考でひたすら塗りつぶそう、世界を、
だけど世界をエッセイで支配させたりは出来ないよ、
だってエッセイストは少数派なのだから、人間のしがらみ、
多数派の影響下におかれてしまうのはもう、分かりきったことだ。
 人間が、産み出した、エッセイ文明はいつか腐敗して、
そこで新しい宝石を見つけ出さないといけなくなるだろう、
noteはどうやら、エッセイやら、論考やらを、
書くのに特化していて、日記のプラットフォームでもあるが、
小説を書くのには、ちと厄介な所があるようだ、
でも、そこは小説の本来の姿を取り戻せるというもの、
もともと、雑誌や新聞の隅で短い掌編のように連載されるはずの、
物語が小説って奴であって、長編であったり、何冊も刊行するといった、
ものになったり上下編、上中下編で連なっているのは小説からはみ出た。
 大河ロマンという奴に値するんじゃないかな?
そう、人間の能力と時間的制約を考えても、読み進めるのにも、
単純に、読解するのにも、執筆するのにも制限、リミッターが掛かってる。
 だから、書けば描くだけ、鳴る何かなんてありゃしない、
全てはネットの空間、フロンティアに見せかけられた幻想であって、
それを信じてるわけなんかじゃなくって、なんとなく流行から、
伝染していったのみなんだ。
 だからこのnoteの中で、寄生命体と一緒に蠢きたいという、
人は、どうぞエッセイを継続してみるといい、ただ、その動きは、
結局、数少ない人間をエッセイストにしてしまう連続になって、
回りまわって喰いでが少なくなり、やせ細る寄生命体の運命になる。
 そう、誰もが、容易に世界に寄生して生きれる訳じゃないんだよ、
この世界は階級が分かりづらいが明確に線引きされていて、
その線を越えては人間は生きてはいけないようになっている。
 好きなあの子も、気に入ったあの人も、全部線がひかれていて、
一線を越えたら、その線を引いた時点で糸にがんじがらめに、
されているあなたは、五体をバラバラにして吹き飛んで、
何も残らない、何も残せない、遺骸となる。
 そう、簡単には人間は階級や格を越えることが出来ないようになってる。
全てのひとは決められた運命から逃れることは出来ない、
一瞬だけ、輝いて、自分は変われたように思っても、
この精神の束縛は永続的に続く、取る方法はひとつだろう。

 エッセイが見せる夢からさめる事だ。

 誰もが夢見るにせ、夢を見せつけられ続けるにせ、
この世界はまだ、夢の中にあるわけじゃないんだから、
堅実的な所で落ちつくしかないな。


 え、なんでじゃあ、貴方はエッセイを書いてるのかって?
エッセイを書いてエッセイを倒すためだよ。
 エッセイは数多くある、きっと胸に突き刺さるものもある。
でもその大半は読まないし、流れていって残らないものだ、
だから、価値はよく分からない、時間的な奔流の中で、
いくら、輝いてみせようと文を転がしたところで、
 僕らは、まだまだ、劣っている自分を見つめる事しかできない、
そういうことだから、この宇宙も、生きている時間も、
エッセイに捧げずにエッセイを倒すことに捧げよう。

 そうすれば、バランスが取れる。
数多くあるものを見なくても平衡感覚を保てるってものだ。

 結局、文章は人間の頭の体操に過ぎない、
本当にやるかどうかはその時の人の態度と決定に掛かってる。

 君も、目覚めたら、自分で行動したらいい。
 きっと悪くないだろうから。


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