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欲求を前に出して生きていたい

 何かと落ち込むことが多い、イラスト小説描いていても、
なんとなーく、まだキャッチできないことが多い感じで、人間疲労。
彩色まではなんとなくできるし、色々色鉛筆で遊んでみてるし、
悪かないんだけど、成果が上がるまでが時間が掛かるので、
なかなか、地道なんだよね、絵を描くのってさ。

 天使一体一体、思い入れを持って描いたが、
名前は後付けのものなので、それぞれの天使のことはよく覚えてない、
だけど、それぞれの領域や処理していることなんかは、
何となーくだけ分かって、天使って忙しいなと実感する。
 かくいう自分の周りにも天使が飛び交っていて、
そっちには行くな、あっちに行こうよと、道順教えてくれる。

 ひたすら純朴であることをベースとして与えられている感じで、
僕という人格は天使の手助けをされて歩く盲目のような感覚で。
目隠しされたまま、連れて行かれたところで満足しなきゃいけない、
それが、結構怖いんだよな、でも、このままでちょっとずつ、
頑張らなきゃいけない、難しいことだけど、少しずつやるっきゃないの。

 色鉛筆は結構な色数あるやつを買ったから、
色を選んでいて飽きないのと、沢山色数がある分だけ、
一本当たりの減りも少ないって良いところが必ずあるんだ。

 それでも色鉛筆の減りに着目して、これを抑えながら絵を描くことを、
自分なりに編み出してみたいと考えてる。 ちょっとでいいんだ。
 ちょっとずつ描く、ノートの片隅にキャラクターを描いて遊んでたのを、
なんとなく思い出してまた描けばいいんだ。
 本当にいきなり大きなキャンバスを与えて、
大きな人物になったような気持ちになるけど、そうじゃない、
大事なのはコンパクトに生きてきたことの肯定だ。

 だれもが、芸術大学に通わなければ、習わなければ絵が描けないわけ、
ではないのだ、皆、絵が描ける、どこでもいつでもだれとでも、
それを学びたくって、色鉛筆で絵を描いているわけである。

 なら、やることは決まっているじゃないか、
ノートの片隅に居るキャラクターに色を付けてやる、
それだけの事をするのを楽しむ、ノートの片隅で起きること、
実現出来ることは想像以上に多いのかもしれない、
まずは一枚の白紙から始める事ではなく、
ノートの余白に絵を描くことを覚えるところから皆学んできた。

 それを自然なお絵描きだとすると、
僕らが欲している絵というのも、実にコンパクトな、
世界で完結するイラストだったりアイコンだったり、
するのかもしれない、そう考えると、
今後もちょっとずつ、小さな絵を描いていくことを、
肯定できる気がするから、試してみたいところ。

 顔が描けるってので案外無双出来るもんなんだぜ、きっと。



おしまい

いただけるなら、どこまでもおともしますとも!