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助けを求める

 助けが来ると信じていて、諦めないから、
ひきこもりを続けていても、大丈夫だと思ってた、
けど助けはこない、求めなければやってこない、
となると何百度も求めるしかない、
一つの場所に求めることを継続するより、
より多くの声を集めて、自分の場を求めて、
発信していくことしか今の状態では出来ない、
僕の声が届くのなら、諦めたくない、
人間は想像以上に言葉を紡いで生きている生き物だから、
その言葉が響く響かないにしても、
助けを求めているという事実は理解してもらわなければならない、
あなたが頑張らなければ助けてあげないという人が大多数なら、

 そういう人達で埋め尽くされた社会を変える必要が出てくる。
誰もが場を手に入れなければ救われる事が無いのは確実で、
全ての人に生きる場を提供することが何より大切なのである。

 人がもっと馴染めるように生きなきゃ手直しも出来ない、
全部の人がちょっとずつ生きていくことを覚えなきゃ、
社会に出ても暮らすことが半端になってしまう、

 場が必要なんだ、けれど場を構築できずにいる、
皆、自分の世界に引きこもってつながりを作れずにいる、
その結果として代償として社会から居場所がなくなっている。

 自分の世界だけではこの世界を生きられないのはたしかで、
周りの人も閉じられた小さな環境を維持するのに手一杯で、
広がっていく気持ちに欠けている、そうなると、
支援者が支援の声もか細いものとなり、
スタートしても場をつなげることが出来ずに終わっていく、
あらゆる人がつながりを大事に出来たのなら、もっと変われたのに、
結局、つながりを絶ってしまって元通りになっていく、
全員が意識して場を構築できたなら、
家庭のようなあたたかい場所を育むことができたなら、
あぶれてしまった人にもう一度、きちんと居つける場所を提供し、
そこから社会を始め直すことが出来る。

 みんな、生き急ぎ過ぎで、すぐに人に結論を押し付ける、
あなたは支援できませんと言うために生まれてきたわけじゃないのなら、
場の拡張に務めてみることが何よりなのである。

 絵を描く人がひとりしかいないから、
絵に関する支援は出来ませんと答えを出して、
それで終わってしまえば、人の特性を無視して、
絵を描きたい人を包括することも出来ずに、
社会全体から絵描きを追い出してしまうのは確かである。

 もっとすごくなりたいのが人なのであるから、
絵の世界やその人の持ち味を理解してあげる必要があり、
 人が閉じていく方向に諦めさせるのはやめてあげて欲しい、
人それぞれに思う所があるから今まで生きてきたのであり、
それを努力が足りないと断じるのはやめてあげて欲しい、
あなたの努力が足りてないなどと一言もいってはいない、
はっきり言えるのは支援に限界を設けてるのは、
あなたの寛容さが忙しさによって止まっているからだ。

 忙しい人に仕事や努力を求めるほど、人間は野暮じゃない、
忙しいと分かってる人に時間的余裕を配慮して、
必要最小限の絵の支援をしてほしいと言ってるだけである。

 ポストカード一枚売る、
それだけでも充分、社会資源は拡張できるし、
それを売りに出来れば、他の人も、
仕事や生業にできるかもしれない、
 皆、
そういうところからスタートするのであって、
欲しかったのはスタートをきるための補助である。

 努力は求めていない、工夫も求めていない、忍耐も求めていない、
ほんの少しの心の余裕があれば、楽になれると、
繰り返し主張したいだけである。






おしまい

いただけるなら、どこまでもおともしますとも!