見出し画像

漫画の器

 なんかしらないけど、そういう検索ワードで、
検索したことがあったので、今回のタイトルは漫画の器。

 とにかく自分の欲しいものは色々あるのは確かである。
漫画の器というのは、自分が考えた、
漫画を描く人の原画スペースみたいなものである。
原画を置いておけるスペースがあったなら、
人はもっと沢山の作品を残すことが出来るはずとなる。

 しかし、あらゆる人が、原画を残しておくスペースが無いので、
可哀そうなことに原画を眠らせたままか、処分することになる。

 僕は自分が描いたものを保管したり管理したりする余裕は無い、
そしてこの先、ずっと絵を描いていくうちで、
いつかは一人暮らしになって、絵描きとして質素に生活をするということ、
それになるのだろうけれど、悪いけれど、
生前に大成しなかった画家を引き合いに出されても困るのだ。

 あらゆる画家は生きてるあいだに評価されるとは限らないと、
誰もが、アーティストを評価せずにほったらかしにするのが基本で、
そう考えると人間の考え方の基本に絵を描くことはまず食えないこと、
そして貧乏であることなどが浮かび上がってしまう、
それはとてもじゃないが、人間に対して酷な態度なのは確かなのだ。

 人間は自分の力で居場所を探さなきゃならない、
どれだけの努力を繰り返しても、毎日の生活を送る中で、
徐々に人とつながって、生活圏を保持しなきゃやってられない、
障害者ならなおそうである、障害者が描く漫画を想像してもらえれば、
障害者でも漫画が描けるって思っていただけたら、
誰だって漫画を始められるというところに立てたら、
どうあっても成功体験の連続の中に在れたなら、
人は、孤独に打ち震えなくて済むはずである。

 時に自分を喜ばせなさいと人に言われたことがあるが、
僕が一番喜べるのは落書きを一杯描きためた時である。
 それが連続した動きの応酬になっていれば、なお素晴らしいことなのだ、
けれど、人はそれだけじゃ満足してくれない、
どうしても人は絵に格を質を何もかもを求める、
その内に芸術というものを評価軸においてものごとを考え、
最終的に芸術家になれない人を嘲る笑う、
誰でも芸術家になれない理由があるのに。

 一番の理由はスペースの確保に他ならない、
より大きなスペースを得なければ、画家にも芸術家にもなれないし、
広いワークスペースが常にその人に開けられていなければ、
画家を志す心を保つこともかなわない、
そういった若い人達にアトリエを、開かれた場所を与えることから、
まず芸術活動の振興がはじまると考えている。


 どうかまだ見ぬ作家たちに活路を!





おしまい

いただけるなら、どこまでもおともしますとも!