「糸」

バークリーに行きたい。

そう思った僕はとりあえず実家に戻り、資金が貯まるまで働くことにした。

といってもきつい仕事をしてまた喫茶店の時と同じことになるのは嫌だったので、大学時代にバイトしていたホテルの夜間フロントのバイトをまた始めることにした。

このバイトは僕にとってはありがたかった。
夜間なのでほとんどが電話番。
客室で仮眠の時間もある。
その後はほとんど電話もかかってこない。
僕はギターを持ち込んで仮眠の時間とその後の時間をギターの練習に費やした。

近所に住んでいた作曲家の人に譜面読みも習いに行った。
70歳くらいの人で目付きに迫力のある厳しい人だったけどレッスン料を「出世払いでいい」と言ってくれた。

英語も習いに行った。

バークリーに行くために必要なことは全部やろうと思った。


僕には5つ下の妹がいる。
子どもの頃、泣き虫だった妹も音大に通う女子大生になっていた。

妹が実家に帰った僕にこっそり話してきた。
「お母さん、不倫してるみたい。昼間ずっと電話の前にいてかかってくるのを待ってるの。」
母は若い頃歌手をやっていた。
わりと目鼻立ちもはっきりしている。
若い頃の写真を見ると美人なのがよくわかる。
父が単身赴任中に何かが起きたのかもしれない。
仕事は夜間なので昼間様子を見ていると、妹の言うとおり電話の前にずっといてかかってくるとすぐに出てひそひそ話している。
きっと聞かれてはまずい相手なのだろう。

僕はそういう「愛に生きてる」みたいな人間が好きではなかった。
年頃になるとすぐ恋人を作る。
何かと言うとすぐに彼氏や彼女の話をする。
(お前らには他にやりたいことがないのか?)
(俺にはギターがある。お前等とは違うんだ。絶対そうはならないぞ!)
と、抗うように必死に練習をする毎日だった。


一年半が経ち、バークリーの願書を出す時が来た。
願書には音楽と英語の推薦状がいる。
習ってる先生それぞれに書いてもらい、願書と一緒にどきどきしながら送った。

1か月が経ち、バークリーから返事が来た。

...

もちろん英語なので、英語の先生に読んでもらった。「入学は認められません。」
理由はよくわからない。
とにかく、僕のバークリー行きはこの時点で白紙になった。

でも音楽を諦めるのはもうしたくない。
僕は都内の音楽学校へ行くことを決めた。


音楽学校での生活はとても充実していた。

毎日が刺激的なことばかり。

1年半が経った頃、学校で事務所の人に呼ばれた。
「このままの成績なら卒業後、講師として関わってもらおうと思っています。」
その時点で僕は28。この業界では、25過ぎた人間は「売りもの」にならない。
僕の夢はスタジオ系のミュージシャンになること、だった。
もうバンドやって売れるなんてことは考えてなかった。
講師ならミュージシャンの片手間にやっていける。
僕は講師として音楽の仕事に就いた。


音楽活動をするにはやはり東京だろう、と生徒の頃に知り合った聡美と卒業後一緒に暮らし始めた。
親には内緒だったが。

また実家を出たものの、講師の仕事もすぐにはそれだけでやっていけるほど収入にはならない。

他のところでも教えたりするうち結婚もした。
子どもも生まれ、僕の人生は「順調」に思えた。
周りからみると。


僕は子どもの頃から「孤独」だった。
友達がいなかったわけではない。
優しい親もいる。
それなりに彼女もいた。
でも「孤独」だった。

その「孤独」はどこから来るのか?

自分の夢だった仕事に就き、結婚をして子どもも生まれた。
それでも僕は「孤独」だった。

何かが足りない。

その頃、収入が減り、毎月の支払に必死になり始めた。しかし、妻となった聡美は働くことをしなかった。
男としての意地もあった。
金がないから働いてくれ、とは言えなかった。
毎日の生活のためだけに働く。
バイト的な仕事もした。
家族のために。
本当に「家族のため」と思えるなら耐えられるだろう。
しかし、僕はそう思えなかった。
家でも僕は「孤独」だったのだ。

(うちにいるのが辛い。)

生活に疲れてしまった僕は駅前の心療内科に通うようになっていた。
薬の量も日増しに増えていった。
そんな時、聡美の一言が僕にある決意をさせた。
「どうしてそんなところに行くの?誰が見てるかわからないじゃない。」

(家族のために自分を捨てて生きるのも一つの人生。)
(でもそれならなぜ僕は音楽を選択したのか?)
(このままでは息子に親父としての背中を見せられない。)

僕は離婚を決めた。


その頃、仕事で知り合った人と恋に落ちた。
年上の智恵子は病んだ僕の心を癒してくれた。
「うちに帰りたくない。」
そういって会う度に抱きついては泣いた。


離婚をし、再び実家に戻った僕は、智恵子と正々堂々と会うようになり、次第にこの人と生きていきたい、そう思うようになったいた。

それから1年後、僕は病院にいかなくてもやっていけるようになった。

その頃、大学でやっていた音楽サークルの人達とまたSNSで連絡を取り合うようになった。
懐かしい記憶が蘇った。

良祐とはずっとメールやSNSでつながっていた。
離婚をして実家に帰ったらしい。
と言っても
(あいつのことだから、すぐに彼女作るんだろうな)
と思っていたら案の定再婚
して息子もいるらしい。
良祐とはよくメールで昔話をして盛り上がった。
大学の時に飲んで騒いで警察を呼ばれたこと、朝までファミレスで過ごした夜のこと。

SNS上で話はどんどん盛り上がり、都内のライブハウスを借りてサークルの同窓会をやることになった。

同窓会当日、仕事で都合がつかないと良祐が来なかったのは残念だったが。

会場となったライブハウスへ行くと、半分は知らない人だったが、その中に見覚えのある顔があった。


良祐のアパートで一度会った葉子だった。


つづく

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