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「醜い化け物」

私は、彼女を愛していた。
彼女が私のことをどう思っているのかは、正直な所、私の知るところではない。
だが、私は、彼女が欲しくて欲しくてたまらなかった。
彼女は、病床に臥せっていた。彼女の体の自由は、効かず、私は、彼女の肉体を恣に貪ることができた。
しかし、それは、私の欲するところではない。私は、愛が欲しかった。彼女に愛されたかった。彼女に認められたかった。彼女を理解し、一つになりたかった。だが、それも儘ならない。私には、彼女の話す言語が理解できなかったし、どちらにせよ、彼女の途切れ途切れのか細い息を言語として聞き取ることは、大凡不可能だと思われた。
私は、彼女を人間の医者に診せるべきだったのだろう。だが、私には、人間の言葉が分からなかった。
その代わり、私には、大きな大きな牙があった。そして、大きな大きな胃袋があった。それも、彼女を丸呑みするに丁度良いくらいの。
私は、彼女を腹に収めることにした。村から奪った薬も、もう底を尽き始めていた。私とて、人間の村を襲うのは、心が痛んだ。だが、仕方なかった。彼女を救うためだ。彼女を救うためならば、この牙が折れ、毛皮を引き剥がされ、骸を晒されようとも構わなかった。だが、私がそのような目に遭ったとて、彼女が救われる訳ではないのだ。
これ以上、彼女が痩せ細り、美しい肢体が損なわれ、萎んでいくのを見つめることは、できなかった。私は、せめて楽に死なせてやろうと、一思いに頸を噛みちぎった。口の中で、私の牙が肉を切り裂き、骨を砕き、舌の上でゴロゴロと肉片を転がすと甘い血液が溢れ、私の体は、高揚感で包まれた。私は、夢中になって肉を食い漁った。全身に彼女が駆け巡っていく、彼女の血液が私の血液に溶け込んでいくのが脈を打つ度に感じられた。私は、夢見心地で幸せだった。
気付けば、彼女の姿は、無く。室内では、シーツに付着した血液を舐める私だけが、いた。窓に映るその姿は、おぞましく化け物そのものだった。私は、所詮獣で人間達の言う化け物に過ぎなかったのだ。
私は、そのことがどうしようもなく悲しかった。どうして、私は、人間ではなく、醜い牙を持つ化け物であるのか。どうして、私は、彼女に見合う美しく気心の優しい人間の青年ではないのか。どうして、私からは、熊や狼と同じ臭いがするのか。なぜ、私の体からは、彼女のような花や蜜のような甘い匂いがしないのか。私は、その全てが呪わしく、両の手の鋭い爪で自らの厚い毛皮を裂いていた。どす黒く穢れた血が地面に流れた。私の血は、大地を腐らせ草花が二度と咲かない呪いをかけた。私は、私の全てが憎たらしく、悍ましかった。一刻も早く、この肉を脱ぎ捨ててしまいたかった。だが、それは、叶わない願いだった。
一度でいいから、彼女に抱きしめられたかった。一度でいいから、彼女の口から、愛の言葉を聞きたかった。一度でいいから、この牙にキスをしてもらいたかった。一度でいいから、この毛皮を撫でて欲しかった。それは、私が世界にかけるどのような呪いをも打ち消す祝福となりえただろう。だが、それも叶わない願いだった。私は、彼女を喰ったのだ。肉として喰ったのだ。私は、自らを禽獣と認め、彼女を喰ったのだ。化け物の欲に私は、負けたのだ。
私は、自らの肉を切り裂き、頸を自ら切り落とした。だが、私の呪いは、その程度では、私が死ぬことを許さない。私は、又一つ新たな呪いを自分自身にかけてしまったのだ。私が望む物は、愛は、手に入らない。その業火は、永遠に私の心を焼き続けるだろう。
私は、神を憎んだ。だが、憎んだ所で私は、化け物に過ぎないのだ。大地を呪い命を奪うことは、できても、何かを産み出すことも赦しを与えることも出来なかった。もし、神が、この世界にいるならば、なぜ、私にこのような仕打ちを受けさせるのか。なぜ、私に彼女を与えたのか。そのことを考えると深い悲しみと怒りが心にこみ上げ、憎悪の雲が私の心にかかった。だが、神の存在を認めた私は、祈った。いや、祈るしかなかった。百年の時を生きる私は、皮肉にも怒りが憎しみが何も産み出さないことを深く理解していた。だからこそ、愛を求めた。だが、この呪われた体は、それを許さなかった。
私は、祈った。どんな牧師よりも神父よりも信徒よりも敬虔だっただろう。最も、それは、私自身のための祈りだったが、それは、全ての叶わぬ愛を抱く者達のためでもあった筈だ。私は、今度、生まれかわったら、その時は、人間の心優しい男として生まれ、彼女を幸せにできるような運命を与えて欲しいと。

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