退職日記① プロローグ
「何かが動き出すときって、自分の力を超えた何かに動かされてるのよ」
先日、初めてお会いした料理家さんは人生の転機についてそう話してくれた。話を聞きながらこの数年がフラッシュバックし、まさにその通りだと何度も頷いて聞いていた。
四年半前。僕はまるで導かれるように会社の内示を受け、今住んでいる鳥取市にやってきた。それがすべての始まりだった。これはそれから人生について考えた30代男が会社を退職するまでの、話…。
先輩からのメール
一通のメールが届いた。
高校野球の試合を取材中で、一塁側のカメラ席でサンニッパ(300mm f2.8)というバズーカみたいなレンズをつけ、重いカメラを構え、スコアブックをつけていた時だ。(誰?こんな忙しいときに)。
「カズちゃん、鳥取に来るんだってなー。大変だけど、またよろしくね」
それは仲良しの元運動部記者の先輩から、先走り過ぎた内示の暴露だった。僕はその内容を即座に理解できず、一瞬、目が点になった。こんがらがった回線がつながったのは打者2人の打席が過ぎたころだった。
「な、な、なんだとー」
心の中で叫んだか、いや、おそらく声は漏れていた。それ以降の試合内容は頭に入らなかった。それは先輩がちょっと早まって伝えてしまった異動の内示。当時、僕は鳥取県の西部にある米子市に住んでいたが、100キロ離れた鳥取市へ転勤することになったのだ。
これには、僕にも、家族にも衝撃が走った。異動はあるかもしれないという時期だったが、問題はタイミングだった。
我が家は今後の人生を考え、そろそろ足元を固めようと思い、家を建てるため土地の購入を数日後に控え、工務店にはデザインを考えてもらっていたのだ。ところがどっこい、それがひっくり返る事態が起きたわけだ。
いろんな感情が蠢く中、「自分の人生、自分で決められんのかよ…」と何度つぶやいただろうか。ぶつけようのない怒りややりきれなさとともに、しかし、このときから運命の針は着実に動き始めていた。
※これから何回できるか不明ですが、大卒14年勤めた新聞社を退職するまでの思いや苦悩や苦悩を書きなぐるシリーズです。
(続く)
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