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「平成たぬき合戦ぽんぽこ」で、語り手(古今亭志ん朝)=正吉だという誤解されている話

え、語り手=たぬきの正吉?

先日、子供のときに観た「平成たぬき合戦ぽんぽこ」を大人になってからじっくり鑑賞した。とても面白かったが、何気なくWikipediaを見てみすと、なんかものすごい誤った情報が掲載されていて驚いてしまった。

終盤で、語り手の正体が正吉(本作の主人公のたぬき)だったと判明する。

Wikipedia「平成たぬき合戦ぽんぽこ」

Wikipediaだけでない、ピクシブ百科事典にも同じ間違いがそのまま記載されていた。
いや、別に判明もしてないし、明かされてもいなかったよね…?

序盤から活弁士のような語り口で、狸達の戦いとニュータウン開発史を解説。終盤でその正体が過去を回想する正吉の心の声である事が明かされる。
その際は口調は丁寧な「ですます調」に変わり、開発の良い変化や仲間達の動向を語った。

ピクシブ百科事典「平成たぬき合戦ぽんぽこ」

そもそも、なぜ誤解されているのか?

「平成たぬき合戦のぽんぽこ」にはジブリ作品には珍しく語り手が存在します。
その語り手は古今亭志ん朝なのですが、ラスト手前で、主人公たぬきの正吉(声:野々村真)が自分たちのその後を語るシーンがあります。
この部分、最初は野々村真の声なのですが、途中から古今亭志ん朝の声に変わります。

が、たぶんこれに深い意味はなく、単に正吉の独白を野々村真に読ませるより、古今亭志ん朝が読んだ方が流暢、しっくりくるってだけで、作品としての完成度を高められるからそうしたのではないかと思います。
演技が上手い下手とかそういう話ではなく、実際にあの独白がずっと野々村真の声だったら、ラストの印象はまったく変わったものになっていただろうなと思います。

<図式するとこんな感じです>
語り手=古今亭志ん朝
たぬきの正吉(声:野々村真)

しかし、ラスト手前ではこういう感じなります。
たぬきの正吉が回想をするセリフ(声:古今亭志ん朝)

どうも正吉が古今亭志ん朝の声になった途端、
正吉=語り手は同一人物だったんだ!」
と勘違いする人がいるらしい……。
ああ、なるほど。そう捉える人もいるかもな~と思いました。

あくまで正吉は正吉、語り手は語り手

「語り手の正体は正吉だった」と捉えるのもある意味、間違いではないと思います。ただ、おそらく原作者の意図したところは、
正吉は正吉であり、語り手は語り手。

つまり、途中で正吉の声が古今亭志ん朝に変わったからといって、正吉と語り手は同一人物だという根拠にはならないし、単に正吉のセリフを古今亭志ん朝が読んだだけとも受け取れます。少なくとも、正吉は語り手であると断定するのはおかしいですね。

「ええ、語り手って正吉じゃなかったの!?」

と思ったアナタ、試しに、平成たぬき合戦ぽんぽこを観たことのある友人に、「語り手と正吉は同一人物だよね?」って聴いてみましょう。
なんとなく、「そうだよ派」と、「そんなわけないよ派」でハッキリ別れる気がします。

語り手と正吉が同一のキャラクターではない理由

いちばんの理由は、キャラクターが一致していないから

語り手の正体は、歳をとったたぬきの正吉と解釈する人もいるようですが、あの正吉(野々村真)が、古今亭志ん朝みたいなキャラなったと言われてもなんか違和感がありますし、原作者がそんな矛盾した設定をするかというと、うーん……。

正吉は人間たちの戦いに破れたあと、たぬきからサラリーマンになりました。劇中に正吉がサラリーマンから落語家(のようなキャラクター)に転身したことを示唆させるシーンや原作設定はもちろんありません。

仮に、語り手=正吉にする場合、そこにはなんらかの意図があるはずなんですが、そういったものが見られないですし、もし本当にそういう作品のキーとなる設定があるなら岡田斗司夫がそれに関して何か言ってるはずなんだが……。

もし、語り手=たぬきの正吉にしてしまうと、そこに別の意味が生まれたり、もともとの正吉のキャラクター性が崩れていったり。その設定にしてしまうと、なんか変だよねというのを残します。

自分の見てないものをありありと語るのは難しい

他にもおかしくなってしまう点があります。
正吉を語りとした場合、「正吉が登場していない(見ていない)シーン」をあたかも自分が見たかのように語るのは難しいと思います。

例えば、「たぬきの権太が自分の生まれ育った森を”のっぺら丘”にされ、激しい怒りを感じ、急いで本部へ戻ってくるシーン」が語りによって話されますが、その時の状況や感情は権太しか知りないことであり、もし、正吉を語りとする場合は、そのことを権太が事細かく正吉に伝えたということになります。権太は戦いの最中亡くなってしまうので、自分の経験を誰かに語ったとは考えにくいですね。

「平成たぬき合戦ぽんぽこ」に登場する語りは、過去に起きた話を語るのではなく、今そこで起こっていることを正確に伝えるようなリアルタイム性があります。
たぬきの正吉の視点ではなく、たぬきと人間の両方を見ている「天の声」として物語全体を俯瞰して語っているのです。

正吉の声が語り手と同じだからといって、安易に同一人物だと捉えてしまうと、原作にはもともとない解釈を与え、思わぬミスリードをしてしまうことになります。
ちなみに、私は小学生のときぽんぽこ見たときも、正吉の声が語り手に変わったからといって「語り手は正吉だったんだ!」とは思わなかったですね……。「深読みのし過ぎに注意」の好例かもしれません。

作者の意図していないことが、意図したこととして捉えられること

作者の意図は時代によって変わってくるものなのかもしれない

「平成たぬき合戦」の語り手の正体は、歳をとったたぬきの正吉という解釈は原作者の意図したものではないんじゃないかなーというのが私の考えですが、そういう風に捉えることもできるので、受け取る側がそう捉える事自体は別にいいのではないかと思います。

私もなんか経験があります。
「これはこういう意図があってそういう風につくったのですね!」
「いや、別に・・・(そういう見方もあるのか)」
自分の意図と全く別の方向に捉えられてしまうと、そもそもその作品で伝えたいことがまったく別のことになってしまうのです。

読み手側に、「これくらいなら分かってもらえるだろう」というのも、普遍的なものではなく、時代によって変わってくるのかもしれません。

「出典」が正確な情報を発信しているとは限らないので注意

ちなみに今回の「語り手の正体はたぬきの正吉」ですが、誰がそんなことを言い出したのかと思ったところ、平成たぬき合戦ぽんぽこを視聴した第三者が独自の考察をWEB上に掲載し、その中に「語り手はたぬきの正吉ということがうかがえる」という内容を掲載していたようです。
それがWikipediaに掲載され、それを公式の設定だと誤解した人たちが、他の情報まとめサイトにも次々に広まっていったみたいですね。

今回の件は、情報の真偽が問題なのではなく、正確な情報かどうか定かではない第三者の考察が、いつの間にか正しい設定として採用されてしまったところに問題があるのではないかなと思います。
それではまた!

28歳の時「ゴメン、本当の性別女じゃなくて男だった」を食らった性別不合の当事者です。日常的に男女の性別使い分けを強いられそのまま根付いてしまった奇妙な人生。サポートや紹介していただけるメディアさんも募集しています。