見出し画像

無防備な穏やかな週末。トンカツ屋で真実の瞬間。自分を常に持たねば(ベターアイデア? v3-47)

近くのトンカツ屋さんに夕飯を食べにいった。ボクが今晩は1番目のお客さん。メニューを眺め、2500円の特選のヒレカツに即決。ロースが苦手だから、いつもトンカツはヒレ。ヒレの定食は2種類あって、高い方にしてしまった。

「一番高いやつが、美味しいかどうかで、その店は決まるよな」。ボクのグルメなお友達のお言葉です。毎日、外食。高級レストランではなく、居酒屋や定食屋さん。体重は三桁㎏です。日本全国、とっても安く・美味しいところをご存知。この感染症騒ぎになってから自炊の腕が増し、将来は脱サラして自分の何らかの飲食店を開く野望が。。。そんな友人。

どうでも良いのだけど、そんな彼の言葉が勝手に脳みそに浮かんでしまって、何も考えずに、んん、考えたのか? 瞬間的に高い方にしてしまった。普通においしかった。。。

でも、次回は安い方で良いかな、と思った。安い方とは普通のヒレカツ定食で1700円。。。

ちなみに、同じく家の近くにある別の老舗のとんかつ屋さんだと、2000円と1700円。おそらく今日食べたお店の1700円とこの老舗の1700円は同じg数になりそうだ。新しい方が、近くの既存競合店の値段も把握し、値決めしている、はずだから。ならば、ボクの場合、お腹が普通なら今日のお店でも老舗でも。お腹が空いているなら2000円を目指して老舗のお店。これが理性的な消費者行動としてはロジカルのはずだ。

でも、近所に、お持ち帰りのトンカツ専門のお弁当屋さんもある。ヒレカツは1000円だ。お味噌汁は付かない。つまり、お味噌汁とお水とそのお店で食べるその他の効用に700円を認めるか。味の違いは、うーん、ボクの感性の無い舌では微妙だ。大きな差は感じられない。正直、お弁当で良いような。健康に良くない保存料が含まれている可能性はありえるが、その弁当屋さんもお店の厨房で作っているからそんなことは無いだろう。タイミング良ければ作りたて、熱々の時もある。

コンビニにもトンカツ弁当はある。700円ぐらいか。ヒレは無さそうだが、ロースで700円ほど。先の専門のお弁当屋さんよりどうなんだろう。味は確実に落ちる気がする。それに保存料たくさんか。300円の差で他を買って満足度があがればよい、とも言える。

ならば、どうしてお弁当でなく、食べに行ったのか。そんなボクを自分が自分で合理的で無い、のでは、と思ってしまった。

話変わってコーヒー。近くのちょっとおしゃれなカフェで450円ほど。小さいサイズのコーヒー。タリーズで350円ほど。コンビニで淹れたてのコーヒーを買うと110円。わかりやすい差だ。量産の程度(調達費の規模の経済)とオペレーションコストの違い(機械化かドリップか。バイト代)などが影響かな。味が違うのはわかる、がコンビニのコーヒーがまずいとは思えないボクの舌。

でも、気分は違う。のんびり・穏やかな・仕事を忘れた晴れた週末に、ちょっと贅沢で、優雅な気持ちにさせてくれる450円。マスクした笑顔の店員さんにも出会える。かわいい目だなぁ、って幸せに。「真実の瞬間」ってやつ。

なお、のんびり・穏やかな・晴れた週末に、ちょっと贅沢で、優雅な気持ちにさせてくれるトンカツ屋には、まだ出会ったことがない。トンカツ屋にはそんな感情は起きない。中の雰囲気におしゃれも落ち着く感じも無い。無骨な職人的な年配の方が接客だ。食ったらささっと出るだけ。

ただ、お弁当だと寂しい気がするというマイナス感情はありえる。せっかくの週末にお腹がすいてお弁当か。。。平日ならいいけど。。。お店で食べることにプラス感情は沸いてはこないが、マイナス感情は無い。これが差かもしれない。

こんなことは、まったくもってボクにしか当てはまらない個人的なこと。他のひと、家族などのその時の集団によって、当然、感情は異なる。家族団らんのためにとんかつ屋に。あれ、でも、お弁当でもできるような。普段とちがう変化が欲しいからとんかつ屋へ。お弁当だってしょっちゅう買っていない気もするし、変化なら珍しい料理に行った方が。。。なんてあえて反論しようとも、求めるものが違うはず。

「コンビニや弁当屋のトンカツと全然、味がちがうよ!!!わからないの?」なんて上述のグルメな友達に言われそう。彼はコンビニ弁当は全く食べない。

で、どこに・何を食べに行くか。イチイチ考えて行動しない。一瞬だ。ま、一瞬の時が多い。常にではないが。「今日はお弁当にしよ」と思うが、一体、脳みそは、何を選択軸に、どう評価し、比較しているのか不明だ。

消費者の店頭での購入の意思決定は数秒と言われる。3秒とか5秒とか。昔から「真実の瞬間」・「第1の瞬間」なんて言葉も使われる。販売側とお客様の接点となる短い時間でどう良い印象をもってもらうかであり、数秒でお客が購入を判断する瞬間に、どう自分達の商品・サービスを買ってもらえるように店頭広告、パッケージなどをコントロールするか。

ボクの「2500円の特選のヒレカツ」の選択も即決。メニューの書き方にまんまと”誘導された”。「特選」の文字が目立っていた。この無防備な週末に、ボクの脳みそは機能せず、高い方をなぜか無意識に誘導され即決。「真実の瞬間」・「第1の瞬間」にやられた。

なお、「2500円の特選のヒレカツ」の前に、そもそもトンカツ屋をボクの脳みそは選択していた不思議がある。店頭でなくても、その前に何かの購入を一瞬で決める時がある。「今晩はトンカツをあそこに食べにいこ。」そう思って、食べに行ったが、どうしてお弁当ではダメだったのか、自分ではわからない。比較しておらず、思いもよらなかった。正直、どうして、トンカツを食べに行こうと思ったかもわからない。近所の色んなお店を比較し、決めた訳ではない。トンカツが食べたくなった訳でもない。脳みそがどう機能したのかわからない。。。

人間って、こんなもの。ロジカルなのか、直感的なのか。直感の中に自分が気づかないロジカルステップがあるのか。わからない。無意識。お店の前を最近通って目にしていたからか。。。お昼がお魚だったからか。。。

まるで、夜みる夢と同じ。無意識の偶然レベルだ。情けなし。その通り。情けない!?!?

今日のベターアイデア:
のんびり・穏やかな・仕事を忘れた晴れた週末。何かをしないといけない外部要因が無い。目標も目的も計画もない。何からも影響されない。だからこそ自分で意味不明の説明できない行動。自分で自分に気づきがあったのは、だからこそ、目標、目的、計画、行動習慣、指針を明確にしないとな、ということ。縛りがないと無意識にどうにでも動いてしまう。

食事や睡眠や健康や仕事や勉強や趣味や家族や友人関係や。。。1日XXXカロリーとか。魚とお肉のバランスとか、ゴルフは土曜日だけ、1日2時間読書とか。。。柔軟性無い?融通効かない?。計画性とのトレードオフだ。XXだから〇〇する自分が常にあると、XXの実現が早まるはず。ありたい自分の姿に向けて詳細設計しよ。いいアイデアだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?