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社畜が骨折したら、引きこもりになった件。㉚~用量用法を正しく守っても、ダメなときはダメになるらしい~


最初に感謝と喜びを。
「スキされた数(記事)」75回達成しました。つながりがあるようでないお話に「スキ」をしてくださる皆様のおかげです。ありがとうございます!

さらに、「今、このnoterが面白い」選考担当|山門文治(やまかどぶんじ)|コトバテラス|note にて選考対象となりました。書きたい気持ちがそのまま反映されたみたいで、本当に嬉しいです。ありがとうございます!

今回のお話は、痛み耐性がない方、めまい・薬・救急病院にトラウマが発動しそうな方は、冗談抜きで、先へ進むのを止めてください。”着替えは恐怖”以上に、マズい状態です・・・・・・。

  • 副作用? 命の危機?

  • 8~11回までのリハビリの話。

  • ヒアルロン酸注射の効果は?

  • 3度目の自宅療養の延長


忠告はしましたよ?


大丈夫ですね?

産業医さんとの面談の翌日。
プレッシャーに負けたのか、体調が急激に悪化。
3月14日の日記によると「ダウン。夕食あたりから、吐き気、頭痛、めまい。救急車を呼んだことを思い出した。もう一度あったら、めまいの医者にいかないと・・・・・・」と書いてありますが、実際は、もっと荒れてました。

夕食の準備をしていた頃から、「頭痛とは違うけど変な感じがするなぁ~」と、思っていた矢先、夕食を口に含んだ途端、強烈な吐き気に襲われました。ただ、少ししてから吐き気が止まったので「ちょっと気持ち悪いから、食べないでロキソニンを飲んでから寝るね」と、その場を離れました。

今考えると、吐いてしまった方が楽になれたと思います。ですが、家族に心配をかけたくなくて我慢してしまったのです。その結果、ぐるぐる回る頭をかかえながら、逃げるように目を閉じて、ベッドに横たわるしかありませんでした。

日記に書いたとおり、三半規管の弱さが原因のめまいで通院経歴があり、その中で最悪だったのが、いきなり意識を失った、あの日の夜のことでした。

その時間が、一瞬だったのか、数分だったのか、もっとだったのか分かりません。覚えているのは、記憶を失ったショックと猛烈なめまいに耐えきれず、救急車を呼んだことぐらい。その後の、搬送先の病院で点滴を受けた直後、吐いて、戻して、下痢をしたこと。入院の必要はないからと、ふらふらしながら帰宅して、倒れこむように寝込み、そのまま意識を失ったという一連の流れは、付き添っていた主人から、こんこんと聞かされました。

しかも、救急搬送されたのが夜間だったため、後日、カルテの書き直しと支払の精算のために病院へ行ったところ、医師から「めまい持ちにはありえる話なので、同じような状況になったら、今度は無理だと思う前に病院へ行ってください。倒れ方によっては、頭を打って即死しますよ?」と警告されてしまいました。

その後、治療により完治したはずだったのに・・・・・・。
頭痛と吐き気のセットは天気痛があるから仕方がないとしても、めまいはなかったのに、なんで?!

後悔したくてもすでに遅く、いつまで正常な思考でいられるのか怪しくなってきたところで、いきなり思考が冴えました。
何が起ったのか、少し前の痛みが嘘のようになくなっていたのです。
そして、力が抜けたように寝落ちした私は、その夜、久しぶりに7時間、一度も目が覚めないまま熟睡したのでした。

ただ、その翌日の診察で先生にそのことを伝えた瞬間、いつも朗らかすぎるほど朗らかな顔が一変し、深刻な顔つきに変わり。
「身体に若干残っていた新しい鎮痛剤とロキソニンがぶつかって起こした副作用だと思う。今回は数時間で止まったから良かったけど、同じようなことがあったら、薬は飲まずに医者に行くか、救急車を呼びなさい」
と、静かな声で諭されてしまいました。

つまり、めまいが再発したのではなく、薬による副作用に当たってしまったのです。あの日は、前日の夜に新しい鎮痛剤を飲んだだけで、ロキソニンを飲むまで半日以上空いていたのにも関わらずにです。とはいえ、急に薬を変えるのも危険らしく、新しい鎮痛剤はそのままで、突発的な痛みに襲われたら、即病院という約束をして、要経過観察となりました。

それ以降、ロキソニンが必要になる不調に見舞われていないので、本当に薬の副作用だったのかは不明です。それでも、負荷のかかった気持ちは安定させるのに10日かかってしまいました。その間のリハビリや注射治療は、その日の体調と要相談だったので、具体的な成果をあげるどころか現状維持・・・・・・、停滞・・・・・・、もしかしたら後退してしまったのかもしれません。

というわけで、副作用を起こしてから2週間後の3月29日。
3度目の自宅療養の延長を宣告されてしまいました。
診断書には「週2回のリハビリおよび注射による可動域を改善するための加療を継続するも、前回同様、職場復帰が困難なレベル。5月1日までの自宅療養と加療の旨」と書かれていました。

つまり、2度目の延長と何ら変わらないということです。
内心では覚悟していましたよ?
進展がないのだから当たり前だと、拒否したくても、できない現実だと。
でも、これ以上、どうすればいいのか分からなくて、絶望しました。

今から1時間後、職場に生存報告をしにいかなければならないのです。
場を整えてもらっていたのに、待ってるって言ってもらえたのに。
これまででさえ、動揺を隠すために無理矢理笑っていたのに、今日は出来そうにありません。

・・・・・・それでも、行かなければならない。
義務であり、責任だから。
雑談さえ滞る報告会で、淡々と、淡々と、精一杯の虚勢を張って説明しました。
内心で、どれだけ葛藤していたか、自分に対して腸が煮えくりかえっていたか、吐露したくなったけど、寸前で踏み留まれました。

それだけが幸いで。
帰宅後、逃避するように爆睡していました。

つづきます。

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