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幸せにならずとも、幸せはありました。

ずっと幸せになりたかった。

幸せが欲しかった。
幸せな人生を望んだ。
幸せそうに見られたいと願った。

幸せを望めば望むほど、私の元から幸せは遠ざかっていくようで。

「私は世界で一番の不幸者だ。」

無色無笑

「悲劇のヒロイン気取られても。」

そんな言葉を投げられたのはいつだったか。

確かに私は悲劇のヒロインで、当時の状態を今振り返ってもさながら悲劇だったと思う。

なりたくてなったわけではなかった。
抜け出す方法が分からなかった。
自分を笑わせる術を失っていた。
全てが無色に見えていた。

悲劇の中には、悲しみしかなかった。

転がる幸せを拾い上げて。

もちろん私は今もなお、幸せを求めている。
生きながら不幸を求める人なんておそらく居ないだろう。

でも、私の「幸せの求め方」はこの数年間で大きく変わった。

幸せは「なる」ものではなく、「ある」ものだと気づいたことが大きかっただろう。

幸せにならずとも、幸せはそこにあったのです。

かつて私が経験した悲劇の中にも、幸せはたくさんあった。

暖かく包み込んでくれる布団の中。
散歩道で見かける名前も分からない綺麗な花。
母が作ってくれる美味しい雑炊。
私という存在を生かし続けてくれた大切な存在。
「何もできない」を許容してくれる人。
広い実家のリビングの窓から見上げる青い空。
自分で稼ぐことができた小さな小さなお金。
昨日よりも少しだけ遠くまで行けたこと。
弱くて脆い自分を知ったこと。
涙を流せるようになったこと。

ああ、挙げれば挙げるほどきりがない。

全部全部、幸せだ。

どこもかしこも幸せだらけ。

溢れて零れて、また掬う。

幸せは、足元を見ればいくらでも転がっている。

少しだけ足を伸ばせば、その幸せはさらに広がっていく。

狭くてもいい。広くてもいい。

幸せを自分の手で掬い上げることができたなら、それだけで十分だ。

これからの私は、ずっとずっと幸せ者だ。

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