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言う苦しみ。

言わなければ、丸く収まる。
私に目を向けられることはない。

他人と話をしていると、「それは違うでしょう」と言いたくなる自分が頻繁に現れる。

別に相手を貶めたいわけではないし、マウントを取りたいわけでもない。
SNS上で知らない相手にぶつかることはない。

どちらが正しいとか、間違っているとか、そういう話がしたいわけでもない。

ただ、私はこう思う、と伝えたい。

あなたの意見と私の意見、ここが一致しないね。

親密な友人と議論をすることの一体何がいけないのだろう。
私にはよく分からない。

言い方の問題なのか。
そもそも論点がずれているのか。

しだいに、もくもくと漂う、薄ら気味悪い空気感、そんなものが見えてくる。

言うことが苦しい。
何を言えばいいのか分からない。
言わなければいいのか分からない。

正確には、分かったとしても、そんな言葉を言いたくはない。

なんだこれ。
大人になるってこういうことなのか?

なんだかんだ言いつつ私は自分の意見を押し付けようとしているだけにも思えて、言わなければよかったなと後悔することも多い。

必要なのは私の意見ではなく、相手が望む答えのようだ。

言いたくないことを言えるほど、私は大人ではないし、私は言いたいことを言える人でありたい。

こんなことを考えては、言うのが怖いなあ、苦しいなあ、って、沼にはまっていく。

でも、言わなければ何も生まれない。
もしかすると嬉々とした相手の表情に出会えるかもしれないし、知らなかった相手の一面を見られるかもしれない。
それらは言うからこそ発生するもので、言わなければ何にも出会えない。

そもそも、ここまで私が書き連ねてきた不安だって、杞憂に終わることが大半だ。

無闇やたらと自分の主張を繰り広げればいいわけじゃないことは、26年間をこの世界で生きてみて、理解しているつもり、ではある。

かと言って、すべての「言う」を諦める必要だってない。

苦しくても、言ってみる。

今までも、これからも、そうやって未来を作っていくのかもしれない。

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