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2024/03/17

粟津邸でジョナス・メカス展『われわれは理想主義者でなければならない - Be idealistic -』を見てきた。

粟津邸、記憶みたいな場所だった。境界がない開放的な建物に光が差して、奥の方まで見える。右にも左にも後ろも部屋や階段があって、足が先へと歩きたがる。降りた先で、さっきの私と出会う。あれ?こことここがつながってるんだってユニークに惑わされる。

粟津邸

そんな空間にはジョナス・メカスの視線や詩、粟津潔のデザインしたポスターや洞察力に溢れた言葉が散りばめられている。
ジョナス・メカスの視線には、その瞬間を逃さない愛でできた執念がある。その執念をメカスはきっと習慣にしている。その習慣化された身体を持っているからメカスの視線はそこにあって揺れている植物のように自然だ。

16ミリのフィルムがからからころころと息をしている。上映会はまだ外に明るさが残っているうちに始まった。『いまだ失われざる楽園、あるいはウーナ3歳の年』終わる頃にはもうすっかり暗くなっていた。

うっとりしてしまう生活の断片と消滅は常に隣り合わせだけど、でも必死で目の前を頷くカメラにわたしも必死の視線を送る。
ポテトが口から落ちそう、枯れ葉が音を立てた、料理の湯気がきえていく、ずっと変わらない植物の風との遊び方、公園でストレッチをしてる見知らぬ人、雪を走る犬、2度と踊れないダンス、友達が尋ねてきた、友達が死んだ、火が消えた。

何もかもなくなるから、いまここにある他者を見つめる。

階段に置かれたキットカットの袋

今日昼間、将来が不安でどろどろ泣いていた。お金がずっとない。ずっと状況が変わらない。でもお金がなくても詩は死なないって思えた。ここにきて良かった。お金がないのは最悪なので国を殺す。

なんで急に日記書き始めたかっていうと、急じゃないんだ。ずっと、なんかやりたいなでも何から始めようとおもって、そのコップが溢れたのではじめどきだった。

これから日記を書きます。有料記事とか定期購読とか、てさぐりにやっていこうと思います。

よろしくお願いします。

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