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『眠る虫』監督: 金子由里奈×音楽: Tokiyo 対談

東京、ポレポレ東中野で9月5日に公開された映画『眠る虫』。ポレポレ東中野では一ヶ月のロングラン。京都出町座でも10月9日から公開され、10月17日からは大阪ナナゲイで公開される。映画館を出た後、一駅分歩いて帰る人が続出している、不思議な魔力を持った映画だ。

監督の金子由里奈と、劇伴を担当したTokiyoは共に関西に住んでいる。『眠る虫』関西上陸を記念して対談を行った。

金子由里奈(かねこ・ゆりな)1995年 東京生まれ。立命館大学映像学部卒。立命館大学映画部に所属し、これまで多くのMVや映画を制作。チェンマイのヤンキーというユニットで音楽活動も行なっている。山戸結希監督プロデュース『21世紀の女の子』(2018)公募枠に選出され、伊藤沙莉主演の短編作品「projection」を監督する。同年、自主映画『散歩する植物』(2019)が,第41回ぴあフィルムフェスティバルのアワード作品に入選し、香港フレッシュ・ウェーブ短編映画祭でも上映される。長編最新作『眠る虫』はムージックラボ2019にて見事グランプリに輝いた。8月に公開された森山直太郎『ありがとうはこっちの言葉』のmvを監督。
音楽:Tokiyo (And Summer Club)
関西で活動するソングライター。And Summer Clubのギタリスト。エレキギターのループ演奏によるドリーミー且つ不穏なサウンドが特徴。これまでmei ehara、菅原慎一BAND(シャムキャッツ)、増子真二(DMBQ)など、幅広く様々なアーティストと共演。2018年末7inchシングル、『Wakefulness』を発表。

Tokiyoさんとじゃなかったらこんな素敵な映画になってなかった。(金子)

ーーお二人は何がきっかけで知り合ったんですか?

Tokiyo:おととしに京都のネガポジというライブハウスで共演したのがきっかけです。

金子由里奈:私が「チェンマイのヤンキー」っていうデュオで音楽活動もしてるんですけど、Tokiyoさんと対バンする機会があって、そこで出逢いました。以前、一緒に住んでた友達にTokiyoさんの音楽を教えてもらっていて、めちゃくちゃいいなと思っていました。

Tokiyo :「チェンマイのヤンキー」ってすごいパワーワードですよね......! 初めて由里奈ちゃんの演奏を見て、映画的なパフォーマンスに魅力を感じたのを今でも覚えています。一癖もふた癖もありましたね。


金子 :演劇みたいに毎回ライブで題名やコンセプトを決めていて、その時は「漫才とさせていただきます」でした。あんまり覚えてないけど(笑)。Tokiyoさんの演奏も素晴らしくて、歌い始めた瞬間に神聖な空気になるんです。ライブが終わった後はお互いに褒めあった!

ーー『眠る虫』はMOOSIC LABという音楽×映画プロジェクトに端を発した作品ですね。コラボレーションするミュージシャンTokiyoさんと最初から決めていたんでしょうか。

金子:はい。まずTokiyoさんに声をかけました。映画の息として、アーティストの息で始めて最後も息で終わるという構想があったので、彼女の声の静謐さが必要でした。Tokiyoさんとじゃなかったらこんなにいい映画になってなかった。「ここにTokiyoさんの音楽がのるから大丈夫!」と思って現場を乗り越えたんです。


Tokiyo:うれしい。ありがとうございます。


金子:脚本は15稿くらいまで改稿を重ねたんですが、初稿からTokiyoさんには脚本を読んでもらっていました。物語はけっこう変わったけど、軸はずっと変わらなくて、それをずっと共有していました。

無心で、考えるよりも感じながらつくりました。(Tokiyo)

ーー音楽はどうやってつくっていったんですか?

Tokiyo:仮タイトルがついたシーンごとの映像を送ってもらって、手元にPCを置いてそれを見ながら音楽をつくるっていうのが基本的な流れでした。


金子:生活の音が音楽として響くような映画にしたいと考えていました。参考にしたのは『リズと青い鳥』(18/監督: 山田尚子)。撮影の時に、音楽にできそうな要素を入れておくんです。例えばバスのシーンでは乗客にあくびをさせたり。それを素材としてTokiyoさんにお渡しして、散りばめた要素を拾ってもらいつつ、つくっていただきました。

8ミリフィルムを見るシーンでカタカタっていう映写機のような音が流れているんですが、実際にはミシンの音なんです。ミシンの音にギターの音が重なって、そこから「一連の流れ」という曲になります。生活音が映画の音に変わっていくイメージで、ミシンの音を入れたいとTokiyoさんにお願いしたら探し出してくれました。最後はコウモリランに光が差すところで音楽が消えていくのも、空間に溶けていくみたいでめっちゃいいんです!どんな気持ちで作るのでしょうか、 虫目線のシーンとか。


Tokiyo:無心でつくりますね。あまり考えすぎないようにしてました。映像をもらってその時に感じたことをリアルタイムで入れていきたかったんです。考えるよりも感じながらつくりましたね。虫目線のシーンは急にサイケデリックになるじゃないですか。だから普通にギターを鳴らしたときに出る音じゃなくて、ピッチを極端に上げたり下げたりして、普通に鳴らないような音を入れました。

ーー全編を通して、風というか吐息の音が多いのも印象的でした。

金子:この映画はTokiyoさんの息で始まって、Tokiyoさんの息で終わる。映画の第三人称としてtokiyoさんの音楽を存在させたかったんです。


Tokiyo:オープニングも由里奈ちゃんにから「最初に呼吸があって......」っていう依頼をもらってつくったので、私が一人でつくるとああいう感じにはならなかっただろうな。新品のスリッパのビニールを開封するとスーハー息をするとか、由里奈ちゃんの発想一つ一つに毎回驚きました。

”死”にさえもカッコ笑いを付けちゃうような映画にしたいという話をしました。(金子)


Tokiyo :「The Girl in the yellow Dress」というかなこがバンドで演奏する曲は撮影前にできていました。


金子:脚本を改稿していく時にもこの曲の存在が中心にありました。主人公のかなこが追いかける老人の鼻歌のメロディにもなっています。「The Girl in the yellow Dress」は「シンプルで少し童話っぽい感じで」とお願いした記憶があります。お願いしたらすぐ作ってくれました。


Tokiyo:台本をいただいた後に一度私の家に来てもらったんです。今つくってる途中の映像を見せてもらいながら「このシーンはこういう音楽がほしくて」っていう話をしているなかで、この作品に対する思いを聞かせてもらいました。私がずっと生きてきたうえで感じていたことと被る部分があって、「これはつくれる」って思った。「つくる! つくれる! つくりたい!」って。


金子:その時、死生観の話をしました。この映画は、おもちゃ箱の中で生死も、閉店した喫茶店も虫も人間も、ごちゃ混ぜになってる映画にしたかった。死、(笑)、みたな。“死”にさえもカッコ笑いを付けちゃうような映画にしたいという話をしました。結局、“死”という概念って人間が作り出してるから。人間以外の存在から見たら“死”とか、もっとかわいい感じなのかなとか考えたり。


Tokiyo:私は実家の近くにおばあちゃんの家があって、大学時代はそこで寝泊りすることが多かったんです。部屋に仏壇があって、こんなに大きくて立派なもんを置いてどういうふうに向き合ったらいいんだろう、本当に故人と会話ができたらすごいなと思っていました。死ぬってなんだろう、生きているってなんだろうと考えることがあります。だから由里奈ちゃんの話を聞いたときに、わかるというか、感じたっていうか......。


金子:死生観を共有できていたから音楽と映像がしっくりきた。Tokiyoさんの家でお話した時間は大事だったなって思いますね。


Tokiyo:その後はずっと感覚だけでやりとりしてたんじゃないかな。


金子:本当にそう! 言葉じゃなく、私は映像を送って、Tokiyoさんは音楽で返事をしてくれて、それで会話が成立してました。

電車の窓から光に照らされた石が、予想もつかない場所に連れてこられて、かわいらしく儚いものに見えた。(Tokiyo)

ーー主題歌の「なめたらしょっぱいのか」など、歌詞が付いた曲もありますね。あまり映画の世界観にぴったりなので、金子監督が作詞されたんだと思っていたんですが、作詞もTokiyoさんだとか。

金子 :「なめたらしょっぱいのか」には「君はいつから死んでたんだろう」っていう歌詞があって、“死”や“生”を瞬間的なものとして捉えていない。自分が地球上に生まれたら、それが「生きている」っていうことなのか。両親が出会った時からなのか、さらに先祖からなのか。いつから死んで、いつから生きて......って。生と死が持続しているように書かれていて、自分の考えと似ていたから驚きました。歌詞はメロディと一緒に思いつくんですか?


Tokiyo:私は普通に人とコミュニケシーションをとる時は言葉が出づらいんですけど、ギターを弾きながらメロディにのせると自分の内側を表現しやすいんです。「なめたらしょっぱいのか」もギター弾きながら何回も歌っているうちに、「君はいつから~♪」とふいに出てきて、「これだこれだ」ってなった。そこからは言葉をつないでいく作業ですね。私は「石の歌」が特に気に入っています。


金子:近藤の「どこかの石だ」というセリフに被せて始めてくださいとお願いした曲ですね。


Tokiyo:あのシーンの映像をもらって感動したんですよ。まず「どこかの石だ」というセリフが、“どこかの誰かだ”というふうに聞こえました。それから、電車の窓から光に照らされた石が、予想もつかない場所に連れてこられて、かわいらしく儚いものに見えた。子どもの頃によくお墓の玉砂利とか持って帰ってきちゃって、親に怒られたのを思い出しました。


金子:あのセリフには“どこかの、絶対に存在している、石だ”っていうニュアンスが欲しくて、演出にこだわったんです。Tokiyoさんにも石に人間味があるように感じてもらえて、共鳴できてうれしい。シアターセブンTokiyoさんに初めて劇場で本編を見ていただいて、その後ちょっと飲んだんです。その時「石の歌」について、「石の気持ちになってアルバムをめくるようなイメージでつくった」って言っていて、「この人、石主体になったんだ! すごい!」と思いました。

『眠る虫』を見て、一匹の生き物と接しているような感覚になってくれたらいいなと思います。(Tokiyo)

ーー『眠る虫』は映像と音楽が見事に融合したことによって、娯楽作になっていると思いました。

金子:ずっと音楽が鳴っていてもあまり圧迫感がないのは、もともと音楽がのることをしっかりと想定して、画づくりをしたからかも。バスの車内シーンとかは、カメラマンの平見さんと暇なシーンにしたいって話をしていたので、音楽がのる隙というか余白を作りました。寝ちゃってもらってもいいんです(笑)。目が覚めたら違う世界に行けたみたいな感じでも全然いい。


Tokiyo :「実際にバスに乗ってるような感覚に映画を見てるお客さんもなったらいいな」って由里奈ちゃんが言っていて、「へえ~、面白い!」と思った。


金子:観客自身の記憶を喚起できる余白のある画作りを意識しました。映画を見ながら自分がバスに乗っていた記憶が再生されるようにしたかったんです。


Tokiyo :そのとおりに、映画を見るというよりはその場に自分がいるように感じました。


金子:バスのシーンで乗客の貧乏ゆすりに合わせて音楽をつけてくれてるんですけど、その動作をかなこが見た瞬間にボリュームが上がるんですよ。視線の誘導を音楽でしてくれているのに驚きました。足音とか停車ボタンのピンポーンという音を増やしていたり......。メロディの主線はずっと同じなんですけど飽きなくて、聞いているうちに段々自分の中で音楽が生成されていく感じもありました。それから乗客の一人がイヤホンで聞いている曲をうっすらと流してもらってるんですが、実はそれが主題歌の「なめたらしょっぱいのか」なんです。

Tokiyo:音楽をすごく褒めていただいてるんですが、この機会にむしろ自分の幅を広げてもらえたという感覚です。由里奈ちゃんとだからできたんじゃないかな。制作中は必死でつくってたけど、後から映画ってなんだろうと考えました。ただ音楽を付けるだけじゃ、違うんですよね。自分の中でデカい経験でした。映画が完成した後、街に出るときにイヤホンをつけられなくなってしまったんす。

金子:そのように言ってくださる方けっこういます!


Tokiyo:ある意味、この映画にのろわれた! 完全に映画にやられてしまいました。


金子:面識のない他者や風景の中の痕跡のようなものに少しでも視線がいくような映画にしたい、簡単に言えば人をやさしくしたいという気持ちで映画をつくっていたんです。イヤホンを外すって周りに意識を向けるっていうことだから、それが成功したならうれしい。


Tokiyo:セリフとかも、登場人物同士が話しているんだけど「私に言ってる?」って思うことがあった。淡々と進んでいるようだけど要所要所で「え?」って、クセになる感じ。


金子:クセになってほしい! バスに乗ったことのある人に全員みてもらいたい!


Tokiyo:観客の皆さんには『眠る虫』を見て、一匹の生き物と接しているような感覚になってくれたらいいなと思います。


二人のプロフィールは↓
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構成&執筆: 樺沢優希

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