史叶井凡骨

12年間女子校で少年として育ちました。青山学院大学文学部史学科思想史専攻卒業、一橋大学…

史叶井凡骨

12年間女子校で少年として育ちました。青山学院大学文学部史学科思想史専攻卒業、一橋大学大学院言語社会研究科修士課程修了。noteでは修士論文『≪耽美的なもの≫に就いての哲学的一考察』をテキストとして講座を連載予定です。諸々準備中。

最近の記事

本来的交友

 一日の何処かに必ずただ無言で座り込んで死に掛けているだけの時間があるのだが、同様に公園のベンチで死に掛けていた或る日、大きな犬が真っ直ぐ私に寄って来た。私は警戒するのも忘れて、眼を細めて其の顔付きを窺った。ゴールデンレトリバーの目の、どうしてあんなに優しいのか。薄暗い処の無いひたすら開け放した興味だけを湛えて私を見上げるから、虚無の鉛で重く沈んでいた背中はふわりとベンチから離れたのである。彼女か、彼か、差し出された指から膝頭から足元へ、丹念に匂いを嗅いで、何時迄も新鮮に空気

    • 循環する一瞬

       人の何気無い営みが如何に健全で、如何に代え難く尊いか、私は何度でも語り直したい。其れは時間という図り難く万能なる観念が、麗しく機能している心地良さなのだ。  一家総出という趣で、老夫婦を中心にご近所さんも手を貸して、畑の周囲の木の剪定をしている家が在った。私は仕事の為駅に向かう途中で、ちらりと横目に見て良い光景だと思っただけで通り過ぎた。其の日の仕事は慣れない社会的集いであった上に夜に及び、私は疲れた身体を引き摺って二十三時頃、再び其処を通り掛かった。一人だらしない足音で坂

      • 殉死備忘録

         貴様が辺鄙な処に棲んでいるからだと言われれば返す言葉は無いのであるが、下リの終電は私の最寄りから二つ離れた駅が終点である。街灯も少なく、時折辻自動車が無人を信じ切った速度で飛んで行くだけの道を、私はより暗い方へ暗い方へと歩かねばならなかった。秋口の温かい夜の気温であった。  私は、其の日遭った本当に予想だにしない裏切りの事をーー人間の極限心理までをも消費に供する悪趣味の食い物にされた事を、湿湿と思い返して、あぁ、あぁ、と時に低く虚な声を上げて泣いていた。愛の純度の話を、私は

        • 本当の花の生命

           花瓶に挿した花の命の短き事よ。自然の移ろいに鈍感な現代人としての私は、然う云う花瓶の花の生き死にしか、注意して見て来なかった。いつしか花の寿命は儚く短い物だと思い込んでいた。だって通例花は儚き事の代名詞であるし、玄関先に在るものを超えて花を定点で見守る事など、人生の中で有り得なかったのだから。  然し此れは感染症の与え給うた功名、国家より敷かれた軟禁令の内で増えた小さな散歩という新しき趣味の中で、小生は何も変わらず生きて芽吹く草花を愛す様になり、其の姿に注意を向ける様になっ

        本来的交友

          神秘的真実について

           此の世には、真実なれども納得の行かない事が余りにも多い。彼の大国の大統領選で、政策以前に人として未熟な人物がやはり四年前同様票を集めている事や、他人の人権を踏みにじる事を己の正当な権利、ひいては社会の正常な運用の一環なのだと疑い無く主張する人間等も、其の一種である。  然し私には其の内でも、特別に、圧倒的に納得の行かない、一つの真実が在る。此の世を覆う不可思議の力を思い知る。其の真実は身近に在りながら、私にとって古代文明の遺せし金字塔や地上絵よりも謎めいて、自然の神秘、人

          神秘的真実について

          泣きながら猫を撫でる

           或る人が猫を撫でる時に「いいこ、いいこ」と言ったので、私は初めて自分が其の様に云う事が無いと認識できた。然う云えば当たり前に共有される慣例としては此方の方で、私が従来口にしていた「撫で、撫で」と云うのは、当該行為のまこと不必要な謎めいた確認で、実に奇妙ではないか。然し何らの疑念無く、ずっと「撫で、撫で」とやってきたのである。  気付いたからには、我が家の猫にも慣習と云う物を教えてやろう、そう考えて、帰宅するや否や寝惚け眼で伸びをする獣に忍び寄り、不慣れなままに小声で「いいこ

          泣きながら猫を撫でる

          廃墟愛好趣味の終末

           廃墟を愛好する人々の内で平凡な価値観に、「今は失われし嘗ての人々の気配を感じられるのが、物哀しくて良い」というものがある。確かに廃墟には、異常な程に生々しい人間の息遣いが残っている。遊園地の廃墟やラブホテルの廃墟は其の最たるものだ。廃墟を好む趣味の無い人が真っ先に想像するであろう病院や旅館、学校等という部類よりも、人間の欲や快楽、夢の痕が沁み付いた場所の荒廃は、何とも言えない諸行無常さと人間の卑小さを象徴していて虚しく美しい。其処には人間というものが息衝いているのである。

          廃墟愛好趣味の終末

          朝と正と夜と虚

           朝が苦手だ嫌いだと思っていたが、能く考えてみれば雨の日の朝は好きなのだ。起きてから上衣を羽織り電灯を点けなければならない様な、薄暗い朝が。其れは只の夜よりも余程魔術的で美しい。  朝早い時間も嫌いでは無い。一日で最も駆り立てられず、罪悪感を感じない時間だ。肌寒い五時辺りに珈琲を淹れて猫を眺めて居る時には、世界と云う物がとてもsimpleなものに思えてくる。生きる事など、何も難しく無い様に思えてくる。ただ七時や八時、"真面"な社会性を帯びた時間帯になってくると居心地が悪く、世

          朝と正と夜と虚

          死せる者と夢想

           人類が、本来決して知り得ない観念を何故だか朧げにでも理解し共有する事が、私にとっては非常に空恐ろしいのであるが、一般的には何ら疑問無く広く受け入れられている様である。此の世で死せる者であれば到底経験し得ない観念ーー例示するまでも無く、永遠・無限・完全性、神ーーを、我々が何故か理解し得る、というのは明らかに奇妙で、異常な事である。其れ等を直接認識した事等有る筈も無く、次元を一つ・二つ超えても辿り着くかという極限の高次元的観念を、何故我々は"果てしなさ"として実感しつつ、理解し

          死せる者と夢想

          幻想浪漫的綿埃

           子供であった頃、童話で読み覗く架空世界は"よおろっぱ"なる異国と同じ程度には実在していた。併し其の中で、「本当に桃から生まれた子供がいる」だとか「本当に犬が喋って友達になれる」という風にFictionを信じた事は、どれ程幼い頃でも一度も無かった様に思う。ただ、「王子様という役職がある事」や、「金貨や宝石が実在する事」などは、何故かすんなりと真実だと捉えていた。明らかにFictionだと思われる箇所は信じられないのに、幾つかの"常識"として語られる部分となると、異文化的"事実

          幻想浪漫的綿埃

          自殺志願者へ

           世で叫ばれる自殺抑止の文言が余りにも軽薄で的外れで自己陶酔的で偽りに満ちていると思うので、推敲もせずに書く。  必ず幸せが訪れる等という、姑息な嘘でしか無い餌、俺に相談に来いという意味不明の自己顕示、自分も自殺願望から立ち直ったと自称する悪質な矮小化、何の絶望の痕も無い能天気な言葉共め嗤わせるな、「あの時自殺しなくて良かった」と思える様な事は、此の世に何一つとて無い。此の世界は、此の社会は、"死ななきゃ許して呉れなかった"だろう。早く死んだ者勝ちであって、生きている限りは命

          自殺志願者へ

          勉強とは違う、とは何か

           現場主義的な場所から聴こえてくる【勉強とは違う賢さ】なる概念を理解できずにいる。  賢さである限り、其れは知性である。論理性は学問の根幹であるのでまさか此処に含まれはしないのだろう、と思うと然うでも無い様だ。一体何が【違う】のであろう。おそらく其処で特別に云われているであろう処理能力の速さや機転、閃きは、そのまま学問的・学習的な実績に直結するものであり、殊更に切り離されて強調される必要は無い。此の"部分"は"全体"の何処に位置するのか?視点を変えた解法ではどうか?規則性を理

          勉強とは違う、とは何か

          AIは麗しき過誤を選択できるか

           我が弟は情報技術主義者で進歩史観の持ち主であるので、歴史学で学士を取った循環史観の持ち主とは屡々対照的な立場に立って話すのであるが、彼が「翻訳は最も早く機械化できる分野だろう」と言った時の隔絶は我々の歴史の中でも最も深かった。  必修や教養課程が終わり漸と自分の趣味に偏重した履修を組んだ二回生の春、朝陽も夕陽も差し込まぬ不思議に薄暗い講義室の中の、初めて触れた古典希臘語の辞書でεσυを引けば【汝。】と訳の在るのが嬉しかった。其れは上から振り向けられる二人称である。二千年の時

          AIは麗しき過誤を選択できるか

          抄訳

          ーーーーー https://youtu.be/yH86jaBQ0F4 text翻訳 Hello, I am Socrates and I changed the world. As I speak to you now, I'm sitting in a jail cell in a cave just outside of Athens. In a few moments, a guard is going to bring me a cup of poison heml

          懺悔室DIY

           此の夏、自室を着々と『完成』させんと動いている。手始めに部屋の壁を四面、深い群青に塗り替えた。初めは真っ赤にしようと考えていたが、家族に話した所「気が狂うぞ」と止められたので、それならばと群青を選んだ。其れは丸二日間に及ぶ大仕事だったが、仕上がりは素晴らしかった。  私の永遠の憧れ、デ・ゼッサントが邸宅の水槽の中の入れ子食堂と宝飾の亀、ギュスターヴ・モロー美術館の増殖する額縁と螺旋階段…裏腹、貴族階級でもなし、賛助者なども在ろう筈は無く、豊かな資産で以て丹念に異界的建築を顕

          元・教育の成功した子供

           規範意識と強迫観念は人一倍であるのに、気力に著しく欠けている。「気力」と日本語で云うと、何やら軍隊仕立ての「根性」に似た物の様に思われそうであるが、実際には英國語で云うところのenergyが最も近く、胆力とも、体力とも、或いは全てを絡げて生命力とも言い換えられる様な、広範な力能を指して云っている。其れは、"変化を起こす力"である。故に、逆転して私は、"異常に我慢強い"処がある。決して保守の向きに豪胆なのではない。革新の向きに怠惰なのだ。  此れは幼少の頃培われた性質だ、とい

          元・教育の成功した子供