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娘とチームメイトと、これから 4

ここで経歴紹介

卓球と出会ったきっかけ。

小学校
クラブ活動の時に、周りよりなんとなく上手かった気がした。

中学校(順風満帆)
 友達と入部したが、先輩たちが少ないだいを占領。後輩は2年になるまで台の準備や、いわゆる奴隷の対象。ここでみんな辞めていく。
 しかし、2年時に新しい顧問が就任。実はオリンピック候補選手で有名な指導者。いじめっ子な先輩は次々と退部し、本気で打ち込みたい部員だけが残る。

練習は楽しいながらもハードなもの。足がもつれて転んだり、酸欠になったり。毎週のように練習試合、遠征。日本代表の選手と試合したり、中国人のコーチをつけてもらったり。技術や経験は先生が今まで培ってきたものを惜しげも無く譲り受けて育った感じ。
 わずか1年で北海道チャンピオンになり、全国大会への扉を開く。

高校(低迷、後悔)
 道内外いくつかの高校からスカウトを頂き札幌の高校への進学を希望したが、叶わず。ここでの3年間はそんな希望が叶わず卑屈(思春期?反抗期?)になった自分と過ごすことになる。
 試合に出たら「あいつなんか中学の時弱かったくせに強豪校に行って」や「なんで俺が地元の弱い高校なんだよ」と。学校に行ったら「なんでこんな部活をいい加減にやる奴らの学校に俺はいるんだよ」とどの部活の生徒に対しても完全に見下していました。
 もちろん結果は出るはずもなく全道ベスト8止まりでインターハイ出場ならず。

大学(希望、再建)
 札幌の大学には、中学の時に行こうとしていた札幌の高校の先輩がいる大学への進学を希望。周囲の協力を得て入学し、再び全国へ挑戦する。
 そして高校3年間の卑屈な心を持ってしまった心を、チームメイトだけではなく大学で出会った友人達が払拭してくれた。大学で部活をやっている人は一部で、それは学費を払うためにバイトをしなければいけなく、部活を諦めた友人が多い。多分、挫折や後悔を味わったことがあるはずだ。だからなのか私のことを受け入れ、授業終了後に部活に向かうわたしに「がんばれよ」と一言。多くは語らないが、必ずその一言をかけてくれる。高校の時の自分に言いたい「お前は未熟者だよ」と。
 2年次からキャプテンを任され、長らく遠ざかっている団体優勝をこの素晴らしい仲間が通っている大学のためにという気持ちで全うしようと。OBの挨拶周りから合宿・練習試合の手配、部のカラー作り、他部との練習時間の調整など行った。
時にはトラブルや意見の食い違いで分かり合えずに終わったこともあるかもしれないが、間違いなくこの大学生活では自分の財産となった。
 実績は数えるのが面倒なので、北海道チャンピオン多数。全国大会出場多数。

以上の中〜大学までで得たことは還元していきたい。

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