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イソップ童話のキツネの心境

 このタイトルを見てすぐ、「凡筆堂の軽いアタマのなかは読めたぞ」と、記事の内容を察した方は多いと思う。お察しの通りです。

 イソップ童話にはキツネが登場する話がいくつかあるが、この記事では「キツネとブドウ」を取りあげる。
 キツネがブドウを取ろうとするが、どうやっても取れない。結局キツネは断念するという、よく知られた有名な話だが、問題なのはそのときのキツネの考え方だ。このキツネは「あのブドウは酸っぱいんだ。あんなもの欲しくないや」と言う。
 これはキツネの負け惜しみや捨てゼリフであるというのが大方の見方だ。本心は「食いたい」のだから。

 先に結論を申しあげておきますが、この記事にはどっちが正しいとか、それは間違いだとかという答えはありません。

 まずは私の周辺であった話。
 私の住む近隣の某自治体議会議員A氏は議長になりたい。しかし、A氏は絶対に議長にはなれない。何よりも人格に問題があり、しかも主流から外れているのだから。
 A氏と雑談していたときの話。「凡筆堂さん、私はね、議長になるつもりはありませんよ。ただでさえ忙しいのに、とてもじゃないけど議長をやる気にはなれませんよ」と言っていた。
 これが、じつはキツネの捨てゼリフなのだ。真実は、A氏は議長になりたくて長い間切望しているのだ。しかし、残念ながらいまだになれない。なりたくてなりたくてしかたがないのに。まさに「酸っぱいブドウ」なのだ。

 もう一例。これは私自身の話。
 独身時代、B子と少しいい関係になった。どういう関係かといえば、普通以上恋人未満といったところ。だから、残念ながらエロいことなどは少しもなかった。
 B子はなかなか見映えがよかったし人気もあった。このままつきあいを続ければ自動的に深い関係になっていくだろうという状況だった。
 ところが、あるときからB子が私をさけるようになった。当時は携帯電話などはないから家の固定電話にかけた。しかし出ない。家人が出た場合も、B子が出たくないと言っていますと言うばかり。

 私には、そうなった原因がわからなかった。関係がこじれるようなことは何ひとつ思いつかなかった。
 そうなると、頭をもたげてくるのは疑心暗鬼だ。オトコができたか、おれに何か不満があったか、などとあれこれ思う。
 そういう状態が続いた結果、私はB子と縁を切る判断をくだした。そしてそのとき、頭のなかではさまざまな思いがかけめぐっていた。「なんの説明もないなんて非常識な女だ」「きっとばかなのだ」「いや、簡単にオトコを乗りかえる淫乱女に違いない」などと。
 これもやはりキツネの負け惜しみなのだろう。

 ところが、その後しばらくしてから、思いもよらぬあるルートからの情報で、B子は尻軽女だということが判明した。詳細は不明だが、私の「簡単にオトコを乗りかえる淫乱女に違いない」は、幸か不幸か的中したようだ。つまり、私と連絡のやりとりをしなくなったのは「乗りかえた」からと推測できた。
 結果的にこうなったが、当時の私はキツネの心境と同じだったと言える。

 日常でもキツネの心境が顔をのぞかせることがあるかもしれない。たとえば以下のようなこと(もちろん、キツネの心境ではなく、真実そう思っている場合も多い)。
 「大きな家がほしいけど無駄だ。狭いくらいでちょうどいい」
 「高級車がほしいけど不経済だからいらないや」
 「一流大学に入れないけど、学歴なんか関係ないもんね」
 「イケメンや美人とは縁がないけど、顔より人間性だよ」
 「収入が低いけど、お金がいっぱいあると人生おかしくなるわ」
 正しい答えは人によって異なる。

 というわけで、ブドウを食えなかったキツネの心境には正答も誤答もないと言えるのではないか。当人の人生観や価値観次第だ。「あのブドウは酸っぱい」というのは、はたから見れば「負け惜しみ」であろうが、当人が悔いを引きずらないで、自身を納得させられるならそれでいいと思う。

 そう思いながらも私は、キツネが言っていることはやっぱり負け惜しみだと思ってしまう。私がキツネなら、負けは負けと率直に認めて受け止めると思うが、ああ、でも、やっぱり心の片隅では負け惜しみが残ってしまうんだろうなあ、とも思うのだ。

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