みんなの九州きっぷで行くGoTo九州旅行記2日目/3泊4日

【2日目:2020年9月20日(日)】

朝5時半、セットしていたスマホのアラームが鳴る。眠い。どうして私はいつも始発に乗らなければ成立しないような旅程を組んでしまうのだろうか、と数日前の自分を恨みたくなる。しかし始発列車の力は偉大で、駅の電光掲示板に光る一番列車の発車案内を見ると、たちまち元気が湧いてくる。ここまで来ると一種の麻薬かもしれない。

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6時22分発特急ソニック1号大分行きは各車両に十数人程度の客を乗せて博多駅を滑り出た。年配の車掌が博多を出る前から検札を始めている。「みんなの九州きっぷ」を見せると、どこまで行くのかと聞いてくる。私のきっぷでなら終点の大分まで効力圏内に入っているからどこで降りようと構わないはずだが、JR九州の車掌はどこで降りるか必ず聞くというルールでもあるのだろうか。もしかしたら各駅の利用調査も兼ねているのかもしれない。

博多から小倉までの区間は、そこそこ長い距離にわたって新幹線と在来線特急が併存している珍しい区間である。他には特急踊り子と東海道新幹線が併存する東京熱海間、特急草津と上越・北陸新幹線の東京高崎間、特急しらさぎと東海道新幹線の名古屋米原間、特急スーパーはくとと山陽新幹線の京都(大阪)相生間ぐらいだろう。いずれも東京・名古屋・大阪といった、各地方の中心都市からの直通需要を見込んだものであるが、この博多小倉間についてはJR西日本とJR九州の競合という側面もあるように思う。さらには西鉄バスという強敵もあり、いずれの会社も力を入れているからこの区間の利便性は良い。サービスを提供する各社の間で競争があってくれた方が、利用者にとってはやはり望ましい。地元の愛知で、JRとの競合のない路線について名鉄が高額な運賃を設定して殿様商売をしているのを日々眺めているとつとにそう思う。

小倉で乗客の何割かが入れ替わり、座席を反転して日豊本線に入る。博多小倉間は沿線に住宅地や工業地帯が続いていたが、こちらは行橋を過ぎると郊外的な車窓となる。7時48分中津着。中津は福沢諭吉の出身地で、駅の各所に1万円札で見慣れた諭吉の顔が散見される。

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中津からは耶馬溪に向かうバスが1時間に1本程度出ており、次のバスは8時30分発である。目星をつけていた中津駅前のうどん屋はコロナの影響による時短営業で9時開店であったから、代わりに駅ナカのコンビニで朝食を済ませ、今日と明日の特急指定券を買い求めにみどりの窓口へと向かった。狙いは「ゆふいんの森」と「あそぼーい」で、いずれも全車指定席の観光特急である。結果「ゆふいんの森」は先頭車両の窓側がとれたが、「あそぼーい」は満席であった。

どうしてかように直前になってから席を取りに行くのかと怪訝に思われるかもしれない。もっともな疑問で、私としても後々キャンセルをすることになっても早めに席を押さえておいた方が良いと理屈ではわかっているのだが、一方で旅程の自由度を直前まで最大限確保しておきたいという思いがあって「もうこの旅程で100%後悔しない」という確信が持てるようになるまで決断を先延ばしにしてしまうことが多い。これは航空券や宿の予約にしても同じで、旅行に出発する直前にようやく決心がついて航空券を予約したり、宿泊するその1時間前になってようやく宿を決めたり、というパターンがお決まりになっている。こればかりは性格の問題であり、もはやどうしようもないものと諦めている。

耶馬溪方面行きのバスは私を含め3名の乗客を乗せて中津駅前を発車した。しばらく中津の町中を走るが、時間調整と称して各バス停でちょこちょこ止まる。早着より延着の方が良いのはわかるが、なかなか律儀なことだと思う。

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中津の町を抜けると、バスは山国川沿いを耶馬溪の方へと上って行く。鮎帰りというバス停があり、近くには川を遡る鮎が上れないぐらいの滝があるという。だんだんと岸壁が切り立ってきたところで、川沿いに穿たれたトンネルの前でバスは停車した。ここが江戸時代に禅海和尚が30年をかけてノミで掘り抜いたという青の洞門で、今は車両用に拡張されているが、当時の掘り跡が一部残されている。

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洞門ができる前は断崖絶壁を鎖のみで渡るしかないような難所で、旅人が幾度も命を落としていたのだという。実際に通ってみると、このあたりの山国川はこのトンネルがある一郭以外は川の両側に平地もあってそれほど深い谷ではないが、当時は橋を架ける技術が無かったのかもしれない。

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前述の通り、中津から青の洞門そして耶馬溪上流の守実温泉にかけては、かつて大分交通の耶馬溪線が通っていた。現在はその廃線跡がサイクリングロードになっており、今日はそこを走ることになっている。青の洞門から守実温泉までは約20kmとそこそこあるが、空は快晴、気温も24℃とちょうど良い気候だから、この程度の距離なら問題にならない。

青の洞門から守実温泉までは緩い登りだが、標高差は150mほどで、これを20kmかけて登るからそこまでの傾斜ではない。走り出してしまえば快適で、数kmおきに残る廃駅跡を写真に納めながらのんびりと漕いでゆく。

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それでもやはり下りの方が人気があるのか、下りの自転車と次々とすれ違う。サイクリングロードとはいうものの、近隣住民の散歩道もかねているようで、農家の婆さん同士が立ち話をしている。今日は天気が良いから庭先…というよりは道路端に洗濯物が沢山干してある。実におおらかであるが、 このあたりの田舎の集落ともなると高齢化も進んで、洗濯物が盗まれて困る年頃の娘などもはや居ないのかもしれない。

1時間ほど走ると中間地点の柿坂で、ここにもサイクリングターミナルがある。時刻は10時、好天も相まって貸自転車は盛況なようで、ひっきりなしに自転車が出てゆく。山国川の河原にビニールプールが設置されていて、なにやら人が集まっているからアユ釣りでもやるのだろうか。

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柿坂を過ぎると沿道はさらに寂しくなり、道の両側は藪や田んぼが広がるばかりで、たまに頼山陽が称賛したという耶馬溪の奇勝の解説板が現れるぐらいである。

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九州のこのあたりまで来るともう稲刈りの時期らしく、刈り取られ積み上げられた稲穂の山がそこここに見える。鹿や猪対策のものものしい柵がそれらを囲っている。最後の途中駅である宇曽駅から1kmほど走ると唐突にサイクリングロードが尽き、一般道に出る。そこから少し走ると守実温泉の駅跡を示す看板があった。

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守実温泉からは12時20分発の日田行きのバスに乗る。この区間は平日が1日4往復、休日は2往復という閑散区間で、今回の旅程計画の難所のひとつであった。

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しかしこのバスがあるおかげで1日で耶馬溪と「ゆふいんの森」乗車の両方をこなすことができるのだからありがたく思わねばならない。旧山国町の山間部を抜け、12時55分日田着。

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日田焼きそばの店に長蛇の列ができていたので駅前の久留米ラーメンの店で昼食を済ませ、13時49分発の「ゆふ3号」で天ヶ瀬へ向かう。天ヶ瀬駅は玖住川沿いに広がる天ヶ瀬温泉街の入り口で、川沿いには露天の公衆浴場があるという。

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「ゆふいんの森」の発車まではまだ時間があるから、サイクリングの疲れを温泉で癒してから向かうのがちょうど良い…ぐらいの気分で天ヶ瀬駅に降り立ったのだが、温泉街の方に向かってみるとどうも状況がおかしい。玖住川にかかっているべき橋は無く、旅館は廃屋同然に破壊されており、営業している店は数えるほどしかない。

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これは今年7月の豪雨災害によるもので、実際久大本線もこの豪雨の影響で豊後森庄内間が未だに運休しているから、私もその存在ぐらいは知っている。しかし眼前の状況はあまりにも生々しかった。被害から2ヶ月余りも経過しているにもかかわらず、ろくに復旧が進んでいないのは、経済的な側面もさることながら、オーナーの高齢化等を理由に存続自体を迷っている旅館が多いことを示唆している。

河原に降りるとここにも流木や瓦礫が散乱している。露天公衆浴場の残骸らしき石組もちらほら見られるが、もちろん湯は張られていない。脱衣所らしき設備も一切見られないが、流されてしまったのか、はたまた元から湯船だけしかなかったりするのだろうか。

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廃墟化が進む温泉街だが、一ヶ所だけ営業している公衆浴場があった。それが駅前浴場で、天ヶ瀬駅から僅か徒歩1分の場所にある。ここも他の公衆浴場同様河原にあるが、蛇行する川の内側にあったために難を逃れたのだという。昔地学の授業で、蛇行する川の外側の岸が削られやすい、と習ったのを今更思い出す。

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お湯はさらっとした硫黄泉で、抜群の解放感の中の入浴であったから最初は少し緊張したが、途中から常連客や地元の方も入って来たので世間話や情報交換をしながら心地よく浸かることができた。

天ヶ瀬からは「ゆふいんの森5号」で豊後森へ向かい、折り返しの「ゆふいんの森6号」で博多へ戻ることになっている。天ヶ瀬と豊後森の間に慈恩の滝というのがあり、滝が近づくと「ゆふいんの森」は減速してゆく。ついで車掌が進行方向右側の日除けを上げてゆき、さらに「まもなく字音の滝が近づいて参ります」と声をかけて回っている。少々うるさくもある。滝の近くの観光客は、列車が近づくと振り返って我々の車両を撮影している。そうこうしているともう豊後森である。右手の山からパラグライダーの一団が空へ飛び立っている。

豊後森では折り返しの待ち時間の間に、残り数少なくなった現存扇形機関庫の1つである豊後森機関庫を見学する。京都の鉄道博物館にもあるからわざわざここまで見に来るようなものでもないが、どうにも美しい構造でつい眺めてしまう。どこかに黄金比でも仕込まれているのかもしれない。

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駅に戻ると「ゆふいんの森」は既に折り返しの準備を終えており、続々と客が乗り込んでいる。各号車の入り口には白い制服のアテンダントが立っており、格調の高さを演出しているようだ。

「ゆふいんの森」はJR九州の観光列車のはしりとも言うべき列車で、そのオリーブグリーン色の外装からしてJR九州の画一的な特急車両から一線を画している。内装は客室がハイデッカーとなっていて中間車両にビュッフェがあるほか、全体的に豪華さを感じさせるデザインとなっている。

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加えて車内の巡回販売や写真撮影サービス、随所での減速を伴う観光案内(車掌が車内を巡回しながら案内して回るからややうるさくもあるが)もあり、昨今の車内サービスカットの潮流に逆行するかのような手厚さである。それでいて特急料金は他のソニック・かもめ等の在来線特急と同じ料金体系になっているから、これで採算がとれるのだろうかと思う。もちろん全車指定席であるから他より多少は実入りも良いのだろうが。

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ビュッフェで由布院サイダーとかぼすアイスを購入し、先頭車両の2列目の席についた。車両前面は展望席になっており、2列目からでも少し腰を上げれば全面展望を拝むことができる。

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毎月のように旅行をしていても特急にはなかなか乗らないし、ましてや車内販売で買い物をすることなど滅多に無いから、座席のテーブルに食べ物が置いてあるだけでも気分が高揚する。我ながら安上がりな幸せだが、これで良いのだとも思う。旅とは非日常との邂逅であって、金額の多寡は問題ではない。もっとも、遠くに行かないと旅情を感じにくくなってきているのは事実で、距離面では随分贅沢になってしまった。宮脇俊三先生が仰っていたように、私もいずれ日本のどこに行っても旅情を感じられなくなる日が来るのかもしれない。

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日田を過ぎたあたりで日が落ちる。観光列車の常で、帰りの便は観光案内も少ない。遊び疲れて静かになった乗客を乗せて「ゆふいんの森」は夜の筑紫平野を疾走してゆく。19時20分博多着。

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明日の旅程を考えると今日中に熊本まで行っておいても良いが、私は博多名物の皮焼きを食べてみたかったのでこの日も博多に泊まった。駅近のビル地下にあった焼鳥屋「とりかわ大臣」で30分並んだ末にありついた皮焼きは程よく脂も落ちていて、10本ぐらいは軽く食べられるぐらい美味かった。

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