青春18きっぷで行く山陽山陰旅行記1日目/2泊3日

【1日目:2020年8月29日(土)】

青春18きっぷが4回分余っている。使用期限は9月10日である。

今週を含めて、週末はあと2回あるから使いきろうと思えばできるけれど、取り急ぎ住んでいる愛知から18きっぷで行ける範囲に行きたいところがない。といってこのご時世だから買い取りは値がつかなそうだし、腐らせてしまうぐらいなら、と最悪一日中列車の中で過ごすのも覚悟でとりあえず計画を立ててみることにする。

今月は北海道と東北、先月は四国と九州に行っているから、今回行くなら北陸か近畿、中国地方だろう。どちらに行くにしてもまず米原までは確定である。そこから先は当日決めることにして、月曜休みを取って3連休にした。残り1日分ぐらいなら腐らせてもそこまで気にならないし、なんなら京都か伊勢あたりへの日帰りで使ってもいい。

土曜の朝5時、目覚ましに叩き起こされる。前夜は金曜ロードショーを見たあとに荷造りなどしたから相当な寝不足である。行き先はまだ決めかねているが、家を出る機を逃したくはないのでとりあえず始発で出掛けることにする。始発を逃すとずるずると布団に引きずり込まれやすい上に、この時期はどんどん暑くなるから尚更出づらくなる。出掛ける気が少しでもあるなら、眠かろうが早朝のうちに思いきって家の外に出てしまうのが望ましい。それに家で惰眠を貪るよりは、列車の心地よい振動の中で自然に眠りに落ちる方が好みでもある。

愛知から新幹線を使わずに米原経由で関西か北陸に行く場合は名古屋6時10分発の普通大垣行きに乗ることが多い。関西方面ならその次の7時2分発の特別快速大垣行きの方が乗り継ぎもよく所要時間も短いが、それだけにこちらは混む。コロナ禍のいまはそんなこともあるまいが、18きっぷシーズンの休日なら名古屋から大垣まで立ち通しというのも珍しくない。6時10分発ならまずそんなことにはならないが、ホームに出てみるとどうも人が多い。座席も8割方埋まっていて立ち客もちらほら見られる。リュックサックの客が多いからおそらく大半は18きっぷユーザーだろうが、平時でもこの電車がこれだけ混むのは珍しい。8月最後の週末だから、我慢しきれずに飛び出してきたのかもしれない。大垣が近づくと皆いそいそと扉の前に集まるから、おそらくは旅慣れた歴戦の旅人共だろう。

列車が大垣に到着すると、乗客は我先にと階段を駆け上り、隣のホームの大垣始発米原行き列車に向けて殺到する。これが俗に言う大垣ダッシュで、大垣から米原までの30分あまりの時間席に座りたいがために無言の競争が展開される。特に大垣止まりの列車が8両で大垣から先が4両、といったような場合は大変熾烈な争いになるが、今回の場合は両方4両なので競争率は低い。マスクをした無言の連中の大移動はやや異様の感があるが、おばさん連れなど会話をしながらのんびり移動するグループも目立つ。

無事日の当たらない西側の座席を確保すると、間もなく6時52分に列車は大垣駅を発車した。大垣米原間は東海道本線でも屈指の閑散区間で、沿線の景色もやや鄙びてくる。水田の苗もずいぶん伸び、車窓を青々と染め上げている。取り急ぎ米原からどちらに進むか決めなければならないが、今回は西に行くことにした。北陸の訪問候補地は平泉寺と能登島ぐらいでややストック不足だったし、どうせ能登半島に行くならもう少し案を練ってから行きたい。

7時27分米原着。次の新快速網干行きは46分発で、入線までは10分ほど時間がある。待合室に座ってみるが、コロナ対策で扉が開け放たれている。まだ7時半ではあるが、日差しがじりしり照りつけてきて暑く、橋上駅舎の屋内にあるベンチで待てばよかったと後悔する。大阪は今日37℃まで上がるという。一日中列車に乗るだけの旅行にはなるべくしたくないとは思うが、こうなってくると下手に出歩くのも身体によくない。

米原ではスカスカだった新快速だが、彦根で多くの学生が乗り込んでくる。確かに今日は土曜日だがまだ8月である。コロナ対策で春頃休校になっていたから、その分夏休みが削られたのだろうか。

コロナの影響で学生は部活も学校行事も中止でかわいそうだと思う。特に大学生は講義まで遠隔授業になってしまって、入学以来ほとんど登校していないという新入生も多いという。学校では学業を修めるのが第一ではあるけれど、友人作りやサークル活動ができなくては、薔薇色のキャンパスライフは夢のまた夢である。

名古屋~米原~大阪~姫路にかけての新快速区間は年に何回も乗っていて車窓を眺めるにも力が入らないので、このあたりでここから先の予定を考えることにする。今回は中国地方を徘徊するつもりだが、訪問場所の候補がないわけではなく、生野銀山・鎧駅・因美線と津山線の途中下車・川棚温泉の瓦そば・周防大島・防府・江田島といったあたりからいくつか回りたいと思っている。このうち江田島の旧海軍兵学校はコロナの影響で見学中止になっていて…などと調べものをしていると前日の寝不足もあって眠くなってきた。うつらうつらしている間に京都、高槻と止まって大阪9時12分着。

大阪で下車し、9時20分発の丹波路快速篠山口行きに乗り換える。余談だが、関西地区には大阪と篠山口・福知山の丹波方面とを結ぶ、丹波路快速のほか、紀州路快速・大和路快速・みやこ路快速など、列車の方面別に異なる愛称がつけられている。これは多方面へ列車が発着する京都・大阪、特に大阪環状線における誤乗防止の意味合いが大きいものと思われるが、地域色がほどよく出ていて好ましく思われる。JR西日本は他にもサンライナー・マリンライナー・アクアライナーなど、快速列車に対し積極的に愛称を付与しているが、こういう施策も地元住民に鉄道に対し愛着を持ってもらうための一助になっているのではなかろうか。

列車は尼崎を出ると東海道本線を跨ぎ、北へと進行方向を変える。伊丹の次の北伊丹で古びた駅名標を見かけたが、これは国鉄時代のもので、大阪近郊では貴重な現存例であるらしい。

川西池田で能勢の山々を右手に見ながら大きく西に曲がると、左手に阪急の操車場、右手には山に張り付くようにして立ち並ぶ住宅街が展開する。川西池田の次が中山寺で、このあたりは中山観音・売布神社・清荒神清澄寺と寺社仏閣が多い地域である。並行して走る阪急宝塚線にはそれらの名を冠する駅名が多い。中山寺を過ぎるとタワーマンションが林立する宝塚市街に入り、小林一三の偉業が偲ばれる豪奢な阪急宝塚駅を左手に見つつ、9時46分宝塚着。

宝塚は人口22万、元は阪急が開発した兵庫県東部の文化都市で、今でも大阪方面はJRと阪急の間で熾烈な競争が繰り広げられている。大阪から宝塚までは26分で、阪急宝塚線の急行を使うと梅田から宝塚まで33分だからJRの方がだいぶ早いが、阪急側は運行本数で対抗しており、利用者数ではやや阪急の方が優勢であるらしい。とはいえかつての国鉄時代、関西地区では国鉄は私鉄に歯が立たないレベルでボコボコにされていたことや、福知山線の脱線事故があったことを考えれば健闘しているのではないかと思う。 それに阪急沿線の住む人々の中には、阪急ブランドに誇りを持つ人もまだ多いというから、ちょっとぐらいの差ではJRに乗り換えてはくれないのかもしれない。

宝塚を過ぎると車窓には一気に緑が増え、郊外の様相を呈してくる。三田で一度街らしい車窓になるがそこを過ぎるとさらに一段と鄙びてきて、丹波イノシシ肉を宣伝するような看板が出現するほどになる。

列車は低山に囲まれた盆地と盆地の間を縫うように蛇行しながら進んで行く。本州の内陸部を走る路線は概ねこのような形が多く、山陰本線の亀岡豊岡間や東海道本線の大垣米原間、奥羽本線の院内秋田間など似たような車窓が多い。そんなありふれた車窓でも、何度も乗っているのだから見ただけで何線か、少なくともどの地方かぐらいは判別できないかと試みたこともあったが、伊吹山を判別できれば東海道本線沿線だとわかるぐらいで、ほとんど私の手には負えなかった。日本各地の風景や風俗は均一化が進んでおり、車窓の少ない情報量からその地方の特色を見出だすのは難しい。深層学習の分類モデルを作ろうとしても難しいのではなかろうかとも思う。

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篠山口を過ぎると一旦田畑が尽きて、渓谷の車窓に変わる。川幅は狭く水量もそこそこではあるけれど、両岸は切り立っていてなかなか見応えがある。これは篠山川の川代渓谷で、三田から先ではほぼ唯一面白味のある区間である。

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渓谷を抜けてしまうと再び盆地の車窓に変わり、石生駅の近くで日本一低いという分水界を越える。標高は約100mでトンネルも無いが、このあたりではここが山陽と山陰の境になっている。水系も篠山川水系から由良川水系に変わり、ゆるゆると下っていって11時32分福知山着。

福知山駅構内の王将で昼食をとり、12時11分発の豊岡行き鈍行に乗り継ぐ。相変わらず盆地の平凡な車窓であり、食後でもあるので眠くなってくる。手前に田んぼ、奥に低山という風景が延々と続く。早生なのか、大垣では緑色だった田んぼがこのあたりでは黄色くなっている。豊岡には13時31分着。

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豊岡では13時55分発の列車に乗り継ぐが、これは香住止まりでその先の乗り継ぎはない。鳥取まで抜けるならさらに1時間後の浜坂行きに乗る必要があり、その場合どこかで時間を潰さねばならない。候補は玄武洞・城崎温泉・香住といったところである。

豊岡の次が玄武洞で、玄武洞はマグマが冷えて固まった巨大な岸壁で、玄武岩の見事な柱状摂理が観察できるという。ちなみに玄武岩という岩は、ここでよく採れるからその名がつけられたそうである。玄武洞までは玄武洞駅から渡船で河を渡って10分ほどで、渡船というのも面白く食指が動くが、洞と名はついていても鍾乳洞ではなく屋外の岸壁だというから、この暑さの中で歩いて見て回ることを考えると足がすくみ、結局下車しなかった。

玄武洞の次が城崎温泉で、ここは関西の奥座敷とも呼ぶべき温泉地であり、一度一通り歩いてはいる。良い温泉ではあるが、真夏の真っ昼間に二度目の温泉街を散策するのもこれまたあまり面白くなく、快適な車内から身体は動こうとしなかった。そんなわけで結局終点の香住まで来てしまったので香住で下車する。

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香住は山陰ジオパークの拠点であり、香住海岸や今子浦の断崖絶壁が有名だという。歩きだときついが、自転車なら行けそうな距離である。駅前の自転車屋の看板に「貸自転車1時間100円 延長1時間50円」とある。その価格設定に驚きつつも、店頭で自転車を修理していた店主とおぼしき男性に声をかけてみると、名前も電話番号も書かされずに二つ返事で貸してくれた。これほど客を信頼してくれる貸自転車屋ははじめてであるが、それだけの実績があるのだろう。

炎天下の香住の町を3分も走ると漁港に出る。香住はズワイガニの町だが、今はちょうどシーズンを外れており港は閑散としている。来月からカニ漁が始まるそうで、冬場のハイシーズンには大阪から観光客が大挙して訪れるという。例年ならば11月から3月にかけて、大阪と香住・浜坂を結ぶ臨時特急も運行される。

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港から高台に駆け上がると岡見公園で、松と石灯籠と断崖の絶景が拝める。崖の縁に茶屋が一軒あり、たいそう眺めが良さそうだったが、窓を開け放っているのがいかにも暑そうだ。今日の香住の最高気温は34℃である。

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ものの15分も走っておらず少し物足りない気がしたので、足を伸ばして今子浦にも行ってみる。こちらは海水浴場やキャンプ場があり、多くの海水浴客で賑わっていた。今子浦は夕陽の名所で、今日は晴れているからあと2時間もすれば綺麗な夕日が拝めそうだが、この先の旅程もあるのでこのあたりで引き返すことにする。

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激安貸自転車屋に2時間分の料金150円を支払って自転車を返却し、16時46分発の浜坂行き鈍行に乗り込む。向かいのホームには16時51分発の大阪行きの特急はまかぜが停車しているが、カニのオフシーズンだからか私の乗った鈍行の方が客が多いぐらいには空いていた。

香住からは上り勾配となり、次の鎧駅は入り江を見下ろす崖の上にある。鎧から2km弱のトンネルを抜けると餘部橋梁があり、餘部の町を遠く眼下に見ながら16時57分餘部着。

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香住とその先の浜坂は共にカニで名高い沿岸の港町だが、その間は海岸ギリギリまで迫る山々で隔てられており、山陰本線の建設においても屈指の難工事であったという。海岸沿いにはとても線路が敷けないのでトンネルを掘るか大きく迂回するしかないが、当時(1910年頃)の技術水準では長大トンネルの建設は難しいとされていたから、なるべくトンネルの長さを短くするために山の前後で標高を稼いでおく必要があった。しかし途中に西川の谷と餘部の集落があって山が途切れているから、稼いだ標高のまま橋をかけなければならない。それが餘部橋梁で、全長310m、高さ41mのコンクリート橋である。ちなみにこれは2代目で、初代は東洋一とも謳われた鋼製トレッスル橋であり、2010年まで使われていた。今は11基あった橋脚のうち3基のみが「空の駅」という観光施設として残されている。

真新しいエレベーターで橋上のホームから地上に降りると、何やら向こうからカメが歩いてくる。これは2018年に新たに餘部の「駅長」に任命されたケヅメリクガメのそらちゃんで、普段は橋梁直下の小屋に住んでいるが、たまにこうして散歩に出ているのだという。近年猫の駅長が全国各地に誕生して、ローカル線の人気に一役買っているから、それにあやかったものであろう。

カメ駅長に別れを告げ、橋梁の真下の道の駅に立ち寄ってみる。餘部駅は鉄道ファン以外からもそれなりに人気があるらしく、道の駅もずいぶん賑わっていた。トレッスル橋に使われていた鋼材を用いた文鎮等の各種グッズも展開されており、食指が動く。小腹が空いていたので香住ガニバーガーも気になったが、残念ながら販売は17時までであった。

餘部から一駅戻って鎧駅へ。眼下に入り江の広がる眺めの良い秘境駅である。

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鎧で道の駅で調達したパンと缶コーヒーで一服したのち、17時55分発の浜坂行きで西進を再開する。浜坂で鳥取行きに乗り継いで、19時3分鳥取着。

鳥取からは19時9分発のとっとりライナー米子行きに乗り換える。この列車にはもう何度も乗っているがいつも混んでいる。他の鈍行が米子まで2時間半もかかるところをこの列車は1時間半で走ってしまうから当然だが、ボックスシートの窓側を取れないのは少し困る。だがそれも2つ目の鳥取大学前で解消した。

山陰本線は海の見える風光明媚な区間も多く、車両も赤銅色の古びたキハ40系やこじんまりとした2両編成の特急の走るような旅情を掻き立てる素晴らしい路線であるが、鳥取のあたりは田んぼと小さな町が連なるだけの平凡な車窓で何度も見てもいるから夜に通過しても気がとがめない。列車は倉吉の手前の泊までは各駅に停車し、その後は快速に飛ばして20時42分米子着。

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米子に泊まるのは5度目だが、その晩は3度目の居酒屋でノドグロと白イカを食べた。ノドグロを食べるのも3度目だが、これは2度目の塩焼きが一番美味く、次いで今回の煮付け、初回の刺身の順であるように思う。もっとも、白身魚の王者と呼ばれるだけあってどう料理しても美味しいのだが。

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1日目


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