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おーい!落語の神様ッ 第三話

 咲太があの爺さんに会ってから一週間が経とうとしていた。日本で唯一の演芸専門誌、東京瓦版発行の『寄席演芸家名鑑』にはフリーランスも含めて全ての演芸家が網羅されているはずだが、あの爺さんは載っていなかった。「そんなはずないんだけどな」と他協会の芸人のページを行ったり来たりしながら目を皿のようにして探したが、見つからなかった。『いつきや』の大将から引き受けた貧乏神も咲太の右肩で一緒になって首を捻っている。
 あれから、他人の肩に乗っている貧乏神と幾度となく遭遇していたが、状況に慣れることはなく、見るたびにぎょっとする。その間に咲太は、自分の肩にいる貧乏神が、いつも肩にいるわけじゃないことを知った。リードに繋がれた犬や猫のように、ある程度の範囲までは自由に稼働できるとみえて、姿が見えない事も多いのだ。だから二、三日姿が見えない時は紛らわしい。「出て行ってくれた」と文字通り、肩の荷が降りた気でいると、「やっぱり我が家が一番」みたいな顔で戻ってくる。
「お前らはどこに何しに出掛けてんだよ」咲太は肩にいる青白い顔をした貧乏神に話しかけてみるが、答えはなく、にこにこしているだけだった。高台に吹く風が小さな貧乏神のぼさぼさの髪を揺らしていく。
 爺さんの「しじみ売り」を聞いて以来、毎日咲太はこの高台にある神社の境内で落語の稽古をするようになっていた。どういうわけか落語の稽古の時には貧乏神が必ずいる。咲太も誰もいないよりはいいかと、聴いてるのか聴いてないのかわからないが、いつもにこにこしている貧乏神の前で稽古をしている。
 この一週間、咲太は好きな酒を呑まず、ギャンブルもらやらず、女遊びも辞めた。元々そんなタネ銭なんてなく、足りないばかりだが、ない時ほど少しでもおタロ(金)が入ると博打で増やしたくなったり、酒が吞みたくてたまらなくなったりする。たいがいは負けたり呑んでしまってすぐになくなるが、間違って博打で勝ったりしてもそれを方々の支払いに回すわけがなく、酒や色っぽい遊びに消えてしまうのである。借金ばかりが膨れ上がるのは当然だった。
 でも、貧乏神が一人憑いてるにも関わらず、すぐに金が出ていかないということは、きっとつい最近までは貧乏神がわんさか憑いていたんだろうと思う。それをあの夜、あの爺さんが追い払ってくれたに違いなかった。それにしてもどうして……と咲太は落語家らしきあの爺さんの素性の事をまた考える。あの爺さんの落語をまた聴きてえなと思い出すと、やはりもっと稽古をしなければ、と強く思うのである。
 落語は「上下かみしもを切る」と呼ばれる独特の仕草がある。目上の者が客席から向かって左(下手)に話し、目下の者が客席から向かって右(上手)に話す。これが登場人物の使い分けの所作の基本だ。咲太が下手に向かって話し出す。
「そのほうか、たいそう金が欲しい欲しいと言っているのは?」
 今度は上手を向く。
「左様でございます。金が欲しくてたまりません」
「拙者は、新身あらみの一刀を求めたが、切れ味を試さんと思う。そのほうの命を、百両で買おう。試させろ」
「ヘぇ、百両! 欲しいですな、百両」
「どうだ」
「死んでしまうのはねぇ……じゃ、五十両でよござんすから、半殺しにしてください」
 金がらみの小噺で肩慣らしをして、「宿屋の富」に入る。金がない男が、金がないから汚い宿にしか泊まれないのを、そうとは言わず、大金持ちのふりをする。普段は大勢の取り巻きが色んな面倒をみるので、たまには放っておかれたいがためにわざと粗末な格好でもって汚い宿に泊まるのだと嘘をつく。しかも金が余って仕方がないとまで言うので、金をなくすお手伝いとばかりに宿の主人は、どうせ当たらないからと自分が売らなくちゃいけない富くじ(今でいう宝くじ)をその男に買って貰う。なけなしの銭を使わされた男だったが、さらに見栄を張り、当たったら半分くれてやると約束を交わす。果たして男はその富くじで千両という大金が当たってしまうのだが……。
 咲太は富くじで当たった時の男を自分と重ねて、まるで現実に宝くじが当たったかのように演っている。それをいつの間にか正面に回っている貧乏神が見て爆笑していた。
「本当に宝くじでも当たらねえかな」真打の披露目までに必要な金額を計算するだけで頭が痛くなってきた。でも貧乏神と言っても悪い貧乏神ばかりじゃないのかもしれないな、と咲太は思う。先日貰った祝儀は『いつきや』で使ったっきりで、残りは電話代と家賃を払うためにとってあった。
 気の済むまで稽古をやって自分の部屋に戻って、電気のスイッチを入れる。部屋の電気がつかない。スイッチを付けたり消したりしてみるが電気がつかない。この辺りが停電なのかと思って近所を見渡すとちゃんと明かりが付いてる。もしかして、と嫌な予感がして、トイレやテレビのスイッチを入れてみる。つかない。
「電気が止まっちまったぁ」頭を抱える咲太の横で貧乏神が申し訳なさそうにしている。
 去年、一度だけ電気が止まった事があり、その時に咲太は学んでいた。電気と一緒にガスも止まるのだ。そしてローソクは必需品だった。
「お前、ちゃんと仕事してるじゃねえか」
 真っ暗なワンルームの真ん中に置かれたローソクの炎が隙間風だろうか、風に揺れるたびに咲太の大きな影も揺れる。
「もう寝ちまったほうがいいな」
 咲太が横になると貧乏神もあくびを一つして姿を消した。
 
 翌日、咲太は寄席が空く時間に出掛けて行って、出番もないのに楽屋に顔を出した。ケータイ電話を充電する為だったが、それを悟られないように、頃合いを見て若い前座に自分から話しかけた。話題は何でも良かったが、スマホを操作していた前座を見つけて、声をかけた。
「あのさ、スマホって何でも調べられるんだよな」
 珍しく咲太に話しかけられたので、驚きと焦りをわかりやすく体現してしまう前座に苦笑する。
「は、はい」
「貧乏神の追い出しかたって調べられる?」
「え? なんです?」
「だから、貧乏神を追い出す方法だよ」
 前座の動きに間があったが「自分で調べればいいだろ」と思い、咲太がガラケーだった事を思い出したに違いない。「えっと、びんぼうがみのおいだしかた、と」とネット検索した画面を咲太に見せる。
「部屋を片づける。身だしなみを整える。要らないものを捨てる。優しい心を持つ。なんかこういうんじゃないんだよなあ」
 前座にありがとなと声をかけて解放する。一時間は充電したいところだがまだ15分くらいしか経っていない。
「咲太あにさんじゃないですか。どうしたんです」
 出番が終わった二ツ目の女流落語家・夏風亭みかんに突然後ろから声をかけられて驚いた咲太だったが、先輩として堂々とした態度で返そうと振り向いて仰天した。みかんの両肩に貧乏神が一人ずつ座っているではないか。咲太の肩の貧乏神と互いに会釈し合っている。
「みかん、お前、大丈夫か」思わず出てしまった。
「大丈夫って何がです?」首を傾げるみかんと同じ角度で首を傾げる貧乏神達。
「何もないならいいんだ」
「それより、聞きました? とんびあにさん、降ろされるらしいですよ」
 とんびあにさんとは夏風亭とんびという落語家で、みかんの二つ上の兄弟子の真打だ。先週『いつきや』で観た演芸番組の中で貧乏神を肩に乗せてたのがその夏風亭とんびだった。
「なんで?」
「なんか、ネットとかでつまらないって評判が凄くて、本人が気に病んじゃって、自分から降りたらしいですよ」
 みかんはそう言いながら、さほど心配していないのか、自分の肩を揉みほぐす。咲太はやっぱり肩が重いのだろうかと心配になる。
「でもあれ、とんびあにさんの芸風だろ」
「その辺がわかんないですよね実際のところ」
「いや、でもなあ」ネットの評判が悪いぐらいで全国放送のテレビの仕事を辞めるなんて考えられないけどなと言おうとして辞めた。咲太自身もネットの評判を見たくないからスマホに変えていないからだ。
「勿体ないですけど、本人が決めたんですから仕方ないですよ。それよりご飯いきましょうよ」
 咲太は電気を止められている状況で後輩に奢る状況になってしまった己を嘆いた。電気代が高くついちまったじゃねえか。「悪い事は出来ないなぁ」咲太がつぶやくとみかんが「兄さん、悪い事しかしてないって評判ですけど」と笑って先に演芸場を出た。
「おい、みかん、待てよ」
 ふざけたやつだなあと慌ててついて行く咲太と入れ違いに「おはようございます」と入ってきたのはモギー鳥司だった。咲太は挨拶を返しながら振り向いてモギー鳥司の肩を確認した。この前見た時よりも、肩にいる貧乏神が少しばかり小さく見えた気がした。
 
 落語家がよく行く中華屋で軽く済ませることになって咲太は内心ほっとした。
あにさんが抜けた後、枠が一つ空くじゃないですか。そこに誰が入るんだっていう話しで楽屋は持ち切りなんですよ」
「へぇ。で、誰が有力なのよ」
あにさんですよ」
「どのあにさん?」
「咲太あにさんですよぉ」
 咲太は啜っていたラーメンを危うく吹き出しそうになった。
「なんで!?」
「やっぱり、少し前にテレビとか出てたし、もうすぐ真打だし」
「いやいやいやぁ、スケジュールはばっちり空けてあるけどもぉ」
 かろうじて軽口を叩いた咲太だったが心臓が口から飛び出そうなほど動揺していた。貧乏神も「ないない」みたいなジェスチャーをするので、お前がそういう仕草をすると一番説得力あるからやめてくれと睨む。
「まあ、もし本当にあにさんでも直前まで家族にも内緒だって言うし、言えないですよねぇ」
「だから、ないって」咲太が苦笑し、貧乏神がまた「ないない」と手をひらひらさせる。
「ご馳走様でしたっ。じゃ、次があるんで失礼します」
 みかんが店を出ようと立ち上がった。
「みかん、おまえ、なんかあったら言えよ。金の事以外ならな」
「今、金貸してくださいって言おうと思ったとこ!」
 ケラケラ笑ったみかんの後ろ姿が寂しそうに見えた、ような気がした。
 
 咲太も店を出て、例の番組の一つ空いた枠について考えながら歩く。
「あんちゃん、ありゃなんだい」
「うわぁ、びっくりしたぁ」
 咲太は急に声をかけられたので体制を崩して通行人とぶつかりそうになった。
「師匠、久しぶりじゃないすか」
「さっきのあのタレはなんだい」
 タレとは女性を指す隠語であり、さっきと言うからにはきっとみかんの事だろう。
「何って、夏風亭みかんていう後輩ですけど」
「女なのに噺家なのかい?」爺さんが珍しく不快そうに目を細める。
「いっぱいいるじゃないすか」
「女の噺なんて、聴いてて面白いか?」
 年配の落語家は女流を認めない師匠方がいまだにちらほらいる。この爺さんもそうかと少しがっかりする。咲太は時代錯誤だと思って少し強い感じで返事をした。
「ええまあ」
「わからねぇな」
「何がです?」
「だってそうじゃねえか。噺家なんてのは、三道楽に狂った遊び人が行きつくような商売よ。世の中の裏っ側を見てきたやつが喋るから面白いンじゃねぇか」
 爺さん、あんたの言いたい事はわかる。わかるけど、やっぱりそれは古いわ。咲太は頭に血が上って言い返した。
「師匠、今、そんな感じで落語家になるやつなんて少ないんすよ。東大出の秀才だって落語家になってるんすよ。それに、お言葉ですが、女が演る落語も面白いんすよ。今度ちゃんと聴いてくださいよ。時代とともに落語も自然と変わらなくちゃいけないんすよ」
 みかんの肩にいた貧乏神を見たばかりだからか、思っていた以上の強い口調になってしまった。
「あんちゃん、いつからそんなに生意気な口をきくようになったんだい」
 咲太はしくじったと思った。さすがに今のは大先輩に向かって失礼な発言だった。しかし。この爺さん、『寄席演芸家名鑑』に載ってないんだからトーシローって可能性がある。もしくは廃業した元落語家だ。どちらにしても、いずれ落語の稽古を付けて貰いたいと思っていたのでしくじるわけにはいかない。
「すみませんでした」
 咲太が頭を下げると、貧乏神が咲太を慰めるような仕草をした。
 それを見た爺さんが大笑いした。
「あんちゃん、おめえ、すっかり貧乏神と仲良しじゃねえか」
「はあ」
「時代とともに落語も自然と変わらなくちゃいけねえ……か」
 爺さんは「ふん」と笑ってまたすたすたと歩いていく。
「で、女の中じゃあ、誰が一番面白えんだい?」
 追いついた咲太が聞かれたので、さっきの夏風亭みかんもいいですよと答えた。
「お宅の息子さんは心に何か思ってる事がある。それが叶いさえすれば必ず全快するから……」
「師匠、それ『千両みかん』すね」
 爺さんと貧乏神が一緒に笑った。
 
つづく

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