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民主党政権とは何だったのか キーパーソンたちの証言

55年体制は細川政権という非自民連立政権によって一時的に中断したが、民主党政権成立まで長らく自民党は第一党の座を守った。そういう意味で民主党政権とは戦後初の本格的な政権交代プロジェクトだったわけだが、それがあらゆる点で失敗に終わったという認識は衆目一致するところだろう。

本書は民主党政権が理想としていたものと現実に待ち受けていたものを関係者から取材しまとめたものである。民主党政権についてはレッテル貼りや憶測に基づく非難、事実誤認、中国や北朝鮮とつながってる等の陰謀論によって未だ健全な批評が国民の間に広がっているとは言いづらい。

組織運営やプロジェクトの成功に責任を持つ人間は、読む価値がある一冊だと思う。

マニフェストとは何だったか

民主党がまずつまずいたのは鳩山政権で、ガソリン税の撤廃や高速道路無料化、子ども手当などの政権公約が反故・修正となり、マニフェスト原理主義派・修正派・国民世論などがぶつかりあったところに始まる。

マニフェスト成立の過程は菅直人が以下のように証言する。

「2003年11月の総選挙に向けて、マニフェストには、高速道路の原則無料化、諫早湾干拓の中止などを入れたのですが、小沢さんは政策内容そのものよりも表現に非常にこだわられました。政策を積み上げていった結果、盛り込む項目が多くなったのに対し、小沢さんから選挙戦略的に「まず数を減らせ。できれば3項目、多くて5項目に」と強く言われたのを覚えています。」
(略)
「本当にこれで財源的には大丈夫なのかと、かなり感じていました。個別的には、マニフェストを作る政権政策委員会の赤松委員長や政調会長に財源的には大丈夫かと何回か言いました。最終的には小沢代表が「そこら中に財政の無駄があるのだから、政権さえ取れれば大丈夫」と。政権の中枢にいた経験のある小沢さんがそこまで言われるのなら、という気持ちが私にも多少ありました

要するに小沢氏が入ったことで政権奪取に重点を置き、選挙受けする政策を打ち出したということである。ただし証言では藤井裕久元大蔵大臣のような大蔵省出身のベテランも予算は楽観的だったというから、小沢氏1人の責任とは言えないだろう。

政権交代後に発覚した当初想定とのギャップ

民主党の青写真では、政権交代後に国の総予算207兆円に対して16.8兆円の財源を用意し、これを子ども手当などの予算に充てる思惑だった。16.8兆円のうち9.1兆円は無駄を省いて捻出する計画だったが、事業仕分けなどで削減できた恒常的支出は6,900億円程度にしかならなかった。支出のうち社会保障関連や地方への割当はほとんど削減ができなかったのである。

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※ 財務省HPより引用https://www.mof.go.jp/budget/topics/special_account/fy2018/4kuninozaiseikibonimikata.pdf

個人的には政権交代を機会にそれこそアベノミクス的な政策を打ち出すべきで、プライマリーバランスに捉われるのが理解できないのだが、まぁ現実的にはそうはいかないのだろう。

鳩山政権→菅政権の引き継ぎの失敗

鳩山政権は普天間問題を収束できず、鳩山氏の母親からの献金(というか資金援助?)も攻撃対象となり、発足当初71%あった支持率は末期に19.1%まで低下する。このままでは2010年の参議院選挙で戦えないと判断した鳩山氏は辞任を決断、小沢氏も切ってみせることで次期政権に希望を託した。

鳩山由紀夫内閣の支持率推移_(共同通信)

菅政権の支持率も当初はそれなりに高く、参議院選挙で勝てる可能性はあった。しかし菅氏は消費増税を公約とし惨敗、54議席から44議席に減らしねじれ国会を招いた。もともと民主党政権の誕生は2007年に参議院でねじれ国会を作り出し、対立路線で国会審議で与党を追い詰めた経緯がある。今度はその逆を産み出してしまったのである。

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振り返ってみると不思議なことに、参議院選挙での惨敗後に菅政権の支持率は回復している。これは鳩山-小沢ラインが倒閣に動いたが、この二人に対する忌避感のほうが国民に強く、支持率が回復するという特異な現象だった。

もともと鳩山氏は小沢氏を追い落とす意図はなく、参議院選挙を乗り切るためのバトンを菅氏に渡したはずが、菅氏は参議院選挙に負けた上に鳩山-小沢ラインを外しにかかっている。それが鳩山氏が菅氏に不信感を募らせる原因となった。

(鳩山) タイミングとしては普天間も重要でしたが、参議院選挙にどうしても勝たなければならないというのが至上命令でしたから、自分としてはその前に辞めなければならないと考えました。衆議院で多数でも参議院で負けてしまえば、非常に苦労することになる。与野党が衆参でねじれてしまえば政策の遂行ができない。なんとしても勝たなければならない。そのためには身を引かなければならないと思ったのです。(略) この問題(母親からの資金提供)で国民のみなさんの支持率を下げてきたことは間違いないので、自分の責任によって選挙で1人でも落としてしまったならやっていられないと思ったものですから、総理を辞めました。その瞬間に支持率はV字回復したのです。しかし、次の総理は、消費税増税発言を行い、勝てる選挙で負けてしまった。そこは非常に残念に思っています

中国漁船衝突事件

菅政権の支持率は9月以降急落する。尖閣諸島で漁船衝突事件が起き、その対応がずさんなイメージが広がった。鳩山政権のときも外交で大きくつまずいたので、民主党政権では外国から舐められるのでは? 国が持たないのではという不信感が国民の間に定着してしまったと思う。

しかし、本件については仙谷氏が「今でもあの対応がベストだったと思う」と語っている。個人的にもセンセーショナルで感情的な面が注目され、外交で最も重要である法と慣習に則った対応であるか否かは不明確だった。ビデオを流出させた海保職員が称賛されるなどはガバナンスの観点から許されるべきでないが、世論の昂りに対して民主党の議員たちは原則主義的な対応を採っていたといえる。
こういう所は、リベラル流の生真面目さ、国民世論よりもルールを押し通すことを優先しがちな民主党タカ派(仙谷氏周辺人物)の不器用さが目立つ。

原発事故の対応について

菅政権は外国人献金問題などでも支持率を落とし政権末期の状態が続いていたが、東日本大震災が起きたことで政局は中断、未曾有の原発事故対応に突入する。

菅氏は原発事故対応でも批判を浴び、東電幹部らとともに業務上過失致死で告訴までされているが(不起訴)、菅氏に対する批判は大まかに以下のようになる。
1. 3月12日早朝に原発を視察し、ベントを含む各種作業の遅延を招いたのではないか。それは政治的なパフォーマンスではなかったのか。
2. 廃炉を気にして海水注入をストップさせたのではないか。
3. 東電側の退避を全面撤退と誤認し、東電に乗り込み一方的なアジを行って現場とのコミュニケーションが成立していなかったのではないか。

結論を先に話すと私は菅氏の原発事故対応は適切だったと考えており、そう考えない人々(というか世論の大勢だが)から反発を受けるかもしれない。

関係者の話を総合すると、1については枝野氏を含む政権幹部からも反対が多かったが、菅氏が押し切った。枝野氏らは「政治的パフォーマンスと受け取られ、あとから絶対に批判される」と指摘したが、菅氏は「現場の情報が不正確で遅い。現場を見て判断しなければならない」と考えたという。要するに支持率向上のパフォーマンスではなく、批判覚悟で現場視察を強行した。深刻度・現場の信頼度などが官邸に伝わらない以上、視察が間違いだったとは言い切れないと思う。

2については誤解というかデマに近く、斑目氏が塩分が配管に詰まる可能性を指摘したので官邸がそれについて東電に照会したところ、それを忖度して注入を中止するように東電が現場に要請した(現場は拒否していた)。

3は、他の官邸関係者も全面撤退と受け取っていたことから、官邸側に伝わった言葉はそういうニュアンスだったのは確かだろう。まぁ全体的にイライラして怒鳴っていたのは事実らしいが、当時の助言役の斑目氏の言動を見ると怒鳴る気持ちもまぁ分かる。

民主党政権失敗の本質

本書では野田政権も取り上げられるが、野田政権自体は確たる失敗もないが民主党全体の不支持の煽りを受けて瓦解した。民主党政権自体が鳩山→菅の2連続失敗で勝負が決まったところがあるので、野田政権については省略する。最終章では著者らによって、民主党政権の失敗要素がまとめられている。

(山口二郎) 政権交代可能なシステムを作ることが民主党政権の使命だったわけですが、そのシステムとはなにかということが、当の民主党の政治家にも実はよくわかっていなかったと思います。一度政権交代を起こせば、システムが政権交代可能なものになるわけではありません。1997年のイギリスのブレア政権と比較してみるとよく分かるのですが、ブレアの労働党は、10年間政権を続けるという明確なビジョンを持って、2期分の政権構想を97年の段階から用意していました。55年体制以来、本格的な政権交代の経験がない日本で、政権交代を可能にするシステムを作るためには、民主党も最低二期は続けて政権を維持しなければならなかった。そうした問題意識は民主党にはほとんどなく、マニフェストを用意して、政権交代を起こし、それを実現していくという、短い時間軸の政策転換のイメージしかなかったように思います。
(山口二郎) 民主党は、権力に対する執着や権力欲が小さいですね。これは世界的に見ても珍しい政治集団ではないかという印象さえあります。(略) しかし、政党政治のシステムを変えるためには、自民党を当分の間は与党に戻さないことが必要でした。民主党が風にのって大勝ちはしましたが、地方組織や政党の地力を見れば、自民党とは比べ物にならないほど貧弱でした。(略)ましてや政権党の有利を活用しつつ、地方議員や首長を増やすという発想を持っている人など、小沢一郎さんを除けば、いなかったのではないのですか。
(中北浩爾) 私は民主党政権の最大の岐路は、鳩山政権から菅政権への移行、菅首相の消費増税10%発言、そして参院選での敗北にあると考えます。2010年6月に発足した菅内閣の支持率は60%と、鳩山内閣の末期から一気に回復します。その意味で、鳩山首相が小沢幹事長を道連れに身を引いたことが成功しました。しかし、菅首相は脱小沢を強調しすぎ、消費増税についても用意されていた参院選のマニフェストの文章を書き換え、さらに唐突な10%発言へと突き進んでいきました。

私もこの意見に非常に賛同する。政治をロングスパンのシステムで見た時、民主党政権の最大の過ちは普天間でも漁船でも原発でもなく、確実に参院選の敗北だったと思う。自民党のオルタナティブとして成立した民主党はクリーンさ、宏池会的な誠実さに努めたが、国民世論の審判=選挙の勝利を貪欲に追求すべきだったし、もっとポピュリズム的な手法も取り入れるべきだった。例えば参院選に勝利し、漁船問題で強行対応を貫き、原発事故が収束しかかった通常国会の会期中に「自民党政権と原発ムラの癒着が今回の事故を引き起こした」とか言って脱原発解散でもすれば、まだ生き残りの道はあっただろう。

本書の教訓

政権交代可能な二大政党制というオピニオンは大衆にはわかりにくい。国民は、自分たちの領土を侵略してきた中国人を叩きのめしたり、原発事故の黒幕を暴いて利権を貪るとされる人物たちをやり玉に挙げるような政治を求めている。

現代の政治家には、これを嘆いたり国民を啓蒙しようという考えよりも、国民目線まで降りてきて国民受けするスターを演じつつ、少しずつ自分の理想を混ぜ込んでいくような強かさも重要である。

本書の裏の教訓

民主党の政権交代のような国家的な一大プロジェクトで数年前にお祭り騒ぎだったものでさえ、しっかりしたインタビュー本・論稿による批評まで目を通す国民はごくわずかだ。こうしてみると、民主党の失敗はプロジェクト運営やマーケティング、会社の組織論などにも通じるところがあり学習も多い。
身近なニュースもブームや流行から離れて冷静に論評されることで、学ぶところが多いものである。

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