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どん詰まり小説ハウツー

 突然ですが小説を書かれたことのある方にお聞きします。

 あなたは小説の書き方をご存じですか?

 私事ではありますが、私は何度か小説を書いたことがあります。読書会で知り合った仲間と文芸部を立ち上げ書いたものをネットで公開したり、その読書会が主導で始まった文学フリマ出店企画にも参加し、同人誌製作に関わったこともあります。そして公募の新人賞である文學界新人賞にも応募したことがあります。全くの素人ですが、小説の執筆経験のある私が、先の質問に答えるとするならばこう答えるでしょう。

 私は小説の書き方が分かりません。

 正確には分からなくなった、と言えるかもしれません。では以前は書き方が分かっていたのかと聞かれると、それも正しくはないように思います。
 漠然とした言い方になってしまいますが、以前の私はもう少し素直だったように思います。好きな作家の好きな小説がある。こんな小説を書きたいと思う。そう思った私は素直にその小説をある種の下敷きにして、そのうえで自分の創作をしていました。下敷きとした小説のテーマや手法を自分なりに理解し咀嚼するための創作。パロディやオマージュとまでは行きませんが、ニュアンスとしては近いかもしれません。
 もう少し分かりやすく説明すると、例えば何か書きたい材料を私が見つけたとします。しかしその材料の調理方法、つまり書き方が分からない。そこで読んだことのある小説のなかから、この手法を使えば私の書きたい材料が書けるかもしれないと思うものを探したりします。材料に対して適切なレシピを見つけるといった感じでしょうか。

 そういったことをしてきましたから、完全に私オリジナルという小説を書いたことがほとんどないのです。ここでのオリジナルとは過去に前例のなかった全く新しいものということではありません。過去に同じものがあろうと、そこまで自力で捻り出したかどうか、ということです。
 見つけた材料に対して、自力で格闘してレシピをつくり出す。そのレシピで書かれた小説が過去に何千回とあったとしても、最初からそれを意識して書いたのとではやはり得るのものは違うでしょう。
 私が小説の書き方が分からなくなったというのは、ここまで書いた「私のレシピ」から脱却しなければと思い、自力で小説を書いてみようと思ったからです。○○みたいな感じで書こうとか、○○っぽい手法を使おうとか、一旦そういうのは取っ払って、まっさらな気持ちで書いてみたいと思ったからです。

 先に書いた読書会の主宰が公募用の小説を書いていると聞き、私も触発されて一月末くらいから構想を練り始めました。普段はプロットやメモ書きのようなものはしないのですが、書きたい内容や小説でやりたいことを箇条書きにしていきました。ある程度まとまったのでいざ書き始めようとしましたが、それが全く書けなかったのです。揃えた材料のどこから手をつければ良いのか、何から書き始めれば良いのかが決まらず、書き出しを一、二行書いては消し、また違う角度から書いてみては消しを繰り返しました。そして結局は諦めました。
 今回は前提となる小説や手法をこれと決めずに書き始めましたから、ある意味で指針がない状態なので、どうしても書き出しに迷いが出て自信が持てないのです。これで合っているのか、このまま進んで大丈夫なのか。
 そもそも小説を書くというのは道なき道を進むことではないでしょうか。それで駄目ならまた書き直せばいいのです。それを私は怖がって指針頼りにしていたのだと、改めて感じたのです。楽をしていたとまでは言いませんが、思ったよりも手助けされていたのだと感じたのです。
 またこれは私の変な真面目さに起因することですが、前提となる小説や手法をレシピとして利用した場合、そのレシピに囚われ過ぎてしまうということがあります。レシピは一つのきっかけに過ぎず、そこから飛躍してもっと自由に書けば良いのに、どうしてもレシピ通り、指針通りに書き進めてしまっていた部分があります。

 これらはあくまで私の創作意識の問題ですから、出来上がった小説を読む人にとってはあまり関係のない話かもしれません。前提とした小説があろうと無かろうと、書かれた小説が面白ければいいのです。
 パロディやオマージュ、既存の作品を下敷きとして書かれた小説は数多くありますし、それらはれっきとした創作方法ですから別にやましさを感じる必要はありません。ですがそろそろ外に頼らず、内から出るもので自由に書いてみたいのだと思うようになったのでしょう。そのためには根気強く、どん詰まりからでも一行一行書いていくしかないようです。それがどんな小説にも共通するハウツーでしょう。

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