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「シュルレアリスム」を分かった気になれる会②

ーー下の記事の続きです↓ーー


私たちは知らず知らずのうちに、心に浮かんでくるイメージや考えを一つ一つ手に取って調べて、これはいわゆる正しいものか、間違っているものか検閲する習慣を身に着けています。ブルトンに言わせればこの習慣こそが例の「狂癖」の元凶であり、真っ先に銃殺すべきものです。

このような検閲の手を加えず、心の中に浮かび行くイメージや言語を堂々と垂れ流すこと。胸を張って自分自身のオリジナルな「支離滅裂な思考・発言」を一つの世界として味わうこと。

これがシュルレアリスムです。

一つ例を挙げてみましょう。これは実際にシュルレアリスムによって書かれた詩です。

私の墓は、墓地が閉門されたあと、海をつきすすむ一隻の船のかたちになる。ときおり夜のブラインドを通して、両手を上にあげたひとりの女が、空をゆく私の夢の船首像か何かのようにあらわれるのを除けば、この船の中には誰もいない。べつのところ、おそらくどこかの農場の中庭では、ひとりの女が、空中で爪のように燃える青のしゃぼん玉をいくつか、曲芸のようにあやつっている。この女たちの眉毛の錨、それこそがあなたの触れたい点である。(アンドレ・ブルトン「溶ける魚」より)

まさしく支離滅裂です。なにがなにやらサッパリ分かりません。

しかし、その「わからない」と思ってしまうような思考回路こそが、例の狂癖に頭脳をたぶらかされている証拠なのだ、とブルトンは言います。

まるで何の関係もないような語句同士が、精神の摩訶不思議な作用によって一つに組み合わされるとき、そこには一つの「真理」が生まれます。その真理は、詩を作る人と読む人とで全く違うものかもしれないし、あるいは同じものかもしれない。
それでいいではないか。
何をイメージするか、何を感じ取るかは、個人の中に完全に閉じ込められた自由な世界であり、その世界を豊かに育てることが、「シュルレアリスム」の目的の一つなのだから。

この支離滅裂な世界観は、ほとんど全ての人間に共通なある習慣の中に豊かに保存されています。
それが「夢」です。

私たちの意識の外側には、「イドの領域」という無意識の領域があります。それが作り出すイメージが夢を作りだす、と考えたのが精神分析学者のフロイトです。

彼は、まさしく「無意識」の領域にあるものがその人間の精神の本質であり、その領域から作り出される「夢」は、まさしく私たちが無意識的に何を考えているのか、どういうことを望んでいるのかを知るための大きなヒントになる、と主張しています。

この主張は、精神医学よりもむしろ哲学や芸術の分野に大きな影響を及ぼしました。アンドレ・ブルトンもまた、フロイトの主張に大きな影響を受けた人物の一人です。

皆さんにもこんな経験はありませんか?

もう起きてしまったけれど、まだ起きるにはちょっと早い。そんなまどろみの中で、自分では夢だと分かっているような夢を見る。

その夢は、サッパリ意味が分からないようなイメージや言葉で作り出されている。夢を見ている最中は感情を揺り動かされたり、結構楽しみながら鑑賞していたりするものですが、いざ起きて「現実世界」と闘わなければならなくなると、不思議なことにさっき見た夢の内容はキレイサッパリ忘れてしまう。

サッパリ理解できないような、決してありえないようなことが容易に起こるこの「夢」の世界こそ、私たちにとってもっとも大切な物であり、例の狂癖や自惚れに陥ることなく生きていくことができるための大きな拠り所になるのです。
ちなみに私は今日、知人の女性が私をPDFファイルにするために襲い掛かってくる、という夢を見ました(笑)

さて、いったいどうすれば「夢」を文学や芸術にして表現できるのでしょう?

ブルトンが書いた「溶ける魚」という意味不明な小説は、まぎれもなく彼が最初に挑戦したシュルレアリスムです。後の回想で、彼はこのようにして「溶ける魚」を書いたと言っています。↓

できるだけ精神の自己集中に適した場所に落ち着いてから、何か書くものを持ってこさせたまえ。できるだけ受け身の、つまり受容力のある状態に身を置きたまえ。あなたの天分、あなたの才能、またあらゆる他人のそう言ったものを無視したまえ。文学とは、どこに行くかもわからないみじめな道の一つである、ということをしっかり自分に言い聞かせたまえ。あらかじめ主題など考えずに、記憶にとどめたり読み返したくなったりできないほど素早く書きたまえ。最初の文句はひとりでにやってくるだろう。事実その通りで、私たちの意識的嗜好とは無縁な、ひたすらおもてに現れることだけをもとめる文句が、刻々と生まれてくる。句読点をつけることは、この言語の流れの息の根を止めることであり、あの忌々しい検閲の手が言葉の上に加えられるための十分な猶予となりえる。何も恐れずに、好きなだけ続けたまえ。

つまり、シュルレアリスムは「月並み」との戦いです。「月並み」な語句、「月並み」な文章、「月並み」なイメージを銃殺し、生まれたばかりの子供が考えるような自由な想像を創造すること、これがシュルレアリスムの醍醐味であり、また最も難しいところなのです。

長く生きれば生きるほど、完璧に純粋な「シュルレアリスム」を遂行することは難しくなるでしょう。
だからこそ、少しでも挑戦してみてはいかがでしょうか。
やってみれば、自分の精神の豊かさに驚かされるはずです。そして、ルールから逸脱したり、「普通」とはちょっと違う行動をしたりするいわゆる「変わった人たち」に対して寛容な心を持てるようになったような気がしてきませんか?

笑いたきゃ笑えばいいのです。好きならば大声で好きと言えばいいのです。今この瞬間に、自分の心が求めることをあれこれ考えずににやっちゃおう!

アンドレ・ブルトンが考えていたことは、こんなところでしょうか。





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