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悔しさも時が経てばネタになる


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山門文治さん、りゅうしんさん、登録ありがとうございます!
記事の形で感謝を表させていただければと思います。

■就活での悔しい体験

今日は春のお題に沿ったエッセイでも。
就活の時の私の経験についてお話したいと思います。

就職活動のとき、私は無謀にも就職先を一本に絞って受験していました。
志望先は国家公務員の裁判所事務官でした。
文学部だった私は半年かけて、卒業論文の制作の傍ら法律や経済学、政治学などの専門科目を勉強しつつ受験に備えました。思えばこの時点で無謀だった気はします。

教養・専門の筆記と論文は合格し、面接までは漕ぎつけました。
忘れもしません。横浜地裁での面接でした。

試験官は三人。うち一番年長と思われる、向かって左側に座った眼鏡の職員は腕を組んでふんぞり返っていました。圧迫面接だったとしても、社会人としてその姿勢はどうなの? とさすがの私も思いました。
そもそも最初の説明会への申し込みの電話対応を考えても、社会で働く身である今となってはありえない対応でした。終始言葉少なくぶっきらぼうで、明らかに電話対応を面倒に思っているなというのが伝わる感じ。名乗りもしないし、電話の切り方もガチャ切りでした。

さて、面接では、中央の面接官が主に質問をし、私が答えるという形式で進んだのですが、趣味は何ですか、という質問に、私は「読書と小説の創作」と答えたのです。すると左側の職員が鬼の首を取ったように、「小説を書くような人物はいらない」とまるで小説を書いている人間は、頭がおかしいと言わんばかりに否定し出したのです。「(小説を書く人間は)普通じゃない」とか、「仕事中に小説を書かれては困る」とか、散々な言いようでした。
そして私が文学部出身であることから、「裁判所は畑違いだよ」と言われて面接は終わってしまいました。

結果は言うまでもなく不合格。大慌てで就職活動をし、いくつか出版社を受けましたがどこも最終面接で落ち続け、そして私は地元に帰って書店員として働くことになります。

その結果として今の人生があるわけで、もし事務官になっていたら、妻とは続かず、家庭を築くことはなかったかもしれません。まがりなりにも夫に、父親になれたので、今の人生を、私はよしとしています。

それでも、あのとき受けた面接での屈辱的な態度は十数年経っても忘れることがないのですから、相当悔しかったのだと思います。

私はゼミの担当教官が「おどるでく」で芥川賞をとられた作家の室井光広先生だったので、翌日研究室で報告しました。やはり小説を書いているということは、就職面接では隠した方がよかったね、とご自身も同じような経験をしたことがあるとお話しいただいて気分が慰められたのを覚えています。

なお、私の経験は十数年前、限られた職員の方から受けた不快な印象について述べさせていただいておりますので、現在は勿論そうではないと信じておりますし、横浜地裁そのものを否定するものではないことをご了解ください。

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